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終末のエクレシア(No.28)

   「キリストの花嫁」狩りに備えよ!




あなた方は自分のことに気を付けていなさい。あなた方は地方法院に引き渡され、会堂で打ち叩かれる。また、私の為に総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。
                                          【マルコ福音書13章9節】


「艱難時代」に起きる人狩り
 「キリストの花嫁」狩りとは、魔女狩りと同じニュアンスです。今回のメッセージは、私たちが「終末」に向けて、備えるべき第三の「備え」に関することです。9節の御言葉は、原文に近い私訳で「あなたは先ず、自分自身に気を付けるべきです。これから何が起こるのでしょうか?たとえ突然に①地方法院に引き渡され、②会堂で打ち叩かれ、③総督や王の前に立たされるなどの、三つの流れが起きたとしても、別に慌てる必要は無く、キリストの花嫁であるならば、命を懸ける程の覚悟をもって、その時に証言することになりますので、私たちはその備えを為しておくべきです。」となります。


 この御言葉から、私たちが備えるべき第一の重要トピックは、「終末の時代」に必ず起きる、「エクレシア」狩りについてです。真の「エクレシア」とは、キリストの花嫁として、イエス・キリストに忠実な、「賢い乙女」のことですが、このエクレシアを人間狩りの如くに、ハンティングする(迫害する、襲撃する、不法逮捕する)連中が、必ず出て来ます。


 勿論、私たちは「人間を獲る漁師」として、霊的な収穫に携わっています。しかし、それと同時に悪魔サタンは、そのような私たちの霊的な働きを妨害すべく、中世時代の「魔女狩り」の如き、とんでもない「でっち上げ」を演出しながら、この世の支配権力などに、全く服従しないキリスト者たちを、次々にあぶり出そうとします。そして彼らは、キリスト者を脅すばかりではなく、実際に強制連行して拷問したり、最終的には行方不明の如き状態に貶め、キリストに対する信仰を失わせながら、この世の権威に無理矢理服従させるなど、終末の「艱難時代」に、既に入っていると言っても過言ではありません。


「何」に気を付けるべきか?
 そのような事(三つの流れ)が、突然に起きることを想定しながら、先ず「気を付けなさい!」と命じられている、イエス・キリストの御言葉の奥義について、私たちは正しく知る必要があります。マルコは今回の9節で、突然この言葉を引用した訳ではありません。イエス・キリストが先ず、彼らに「気を付けなさい!」と命じた言葉は、実は5節でも使用しています。


 「人に惑わされないように気を付けなさい!」(5節)の「気を付ける」とは、英語で「watch out」と言い、突発的な「危機」や「出来事」などに用心し、常に警戒しておきなさい!という意味です。これに似た言葉として、「be careful」や「take care」などの言葉もありますが、これらは私たちの浅はかな、知能(知識)でも理解し得る、危険予知の次元の言葉で、私たちが準備するのに、ある程度の余裕がある「言い回し」です。


 今のアメリカや、私たちの日本においても、一つの悪しき「兆し」が出て来ています。政治的な「分断」や「闘争」により、例えば日本においては、今「統一教会」がヤリ玉に挙げられ上げられていますが、彼らの幹部が強制連行されるには至っていません。政治家に守られています。明らかに自民党の「偉いさん」達と、裏で結託していることが推測できるなど、大事なところでは守られています。


 むしろ、このことを通じて様々な宗教が、国家の権威(秩序体系)に従う宗教団体に関しては、活動面での「お墨付き」が与えられるでしょうが、少しでも従わないような宗教団体やグループ、また信者の集まり(集会)には、逆に締め付けが更に厳しくなることでしょう。 宗教法人法に登録すること自体が、その審査が厳しくなるなど、何らかの動きが文部科学省に出て来ているからです。


 ですから、これからの時代は一気に様々な事が悪化し、イエス・キリストの逮捕の時も然り、ステパノが受けた迫害、そしてパウロやベテロの強制連行時も然り、全てがマルコ書13章で語られている通りに、イエス・キリストの「福音」を、真実に語る者が突発的な危機、即ち命の危険に必ず遭遇するでしょう。それ故に、「その時」に備えておく事が重要となります。しかし素晴らしいことに、そういう事が起こったとしても、未だそれは世の「終わり」ではなく、あくまで一つの霊的段階である!という点です。つまり、一つの「産みの苦しみ」を経て、実際に産んだ後、どうなって行くのか?その「徴し」を見せられる訳ですから、私たちは「希望」をもって忍耐できるのです。


 一方的に殺されたり、不当に逮捕されたり、集団リンチの如き状態に逢うことは、とても耐えられることではありませんが、そのような「不法の時代」にあっても、最終的に私たちがどうなるのか?という、霊的ゴールが示される時に、私たちは安心できます。何故ならイエス・キリストが、私たちを「キリストの証人」として、霊的に仕上げて下さる限り、私たちもイエス・キリストと、同じ信仰の「歩み」を体験することになるからです。


 私たちキリスト者を、悪しき権威と権力をもって支配し、恐怖をもって跪かせようとするなど、「艱難時代」の中にあっても、私たちは堂々と「イエス・キリストが真の神、救い主として地上に来られ、そして十字架で死んで下さったが、三日目に復活された!その復活された方は、必ずまた戻ってきて、私たちに正しい裁きを下し、私たちに天の御国において、神の子としての素晴らしい特権を授け、素晴らしい祝福を用意して下さる。しかし、仮にあなた方が、この福音を聞いても、悔い改めないのであれば、それは永遠の滅びである!」と、このような福音を大胆に語るのです。


 これはサタンにとって、彼が最も忌み嫌うニュースですが、これを聞いた人々の中には、当然社会的に地位の高い者、また役人(公務員)など、彼らの中には真実を求めて、神の救いにあずかる者も出て来ます。イエス・キリストの横隣りで、共に十字架刑受けた強盗の一人も、死の直前に救われました。イエス様の福音を聞いたからです。 それ故にイエス・キリストは、「終末」の最終段階に至る中で、突発的な危機が起こるなど、私たちが強制的に逮捕されてリンチ(拷問)を受けたり、支配者の前に引きずり出されたとしても、これは神が確実に私たちを、天の御国に導いている証拠として、私たちは肝に銘じながら、「その時」に備えるのです。


 確かにイエス・キリストは、私たちの「先」を歩まれ、私たちの為に全ての「道備え」を為して下さいますが、その全てが「ハッピー・ライフ」ではありません。「終末」の時代には、霊的な大収穫(リバイバル)が必ず起きますが、それと同時に「大迫害」も起こります。私たちはいずれ来るであろう、「大迫害」の時に備えますが、 恐れる必要はありません。「その時」に必要な「語るべき言葉(福音)」及び「霊的な賜物」、そして何よりも「復活の信仰」という、素晴らしい賜物を戴いている以上、「死」を恐れず大胆に、霊的な闘いに出陣するのです。


三つの「流れ」
 では「その時」に、何が起きるのでしょうか?9節には、私たちが三つの「流れ」の中に、召し出されて行く時に、それに伴って必ず「迫害」が起きることを、イエス・キリストは教え示しています。そうです!神が偉大なる「神の働き人」として、私たちを召し出して行く方向性には、ある面「迫害」が付き物である!ことを、私たちは覚悟しておくべきです。「そんな迫害があるなら、私は結構です!」と尻込みする人々は、逆に淘汰されて行きます。


 聖霊様は、私たちに厳しく問い質します。「イエス・キリストが与えて下さった永遠の命、この素晴らしい恵みに対して、あなたは何をもって応え、またどのように自分を捧げるのか?」と。「私は賜物をもって、一生懸命に(神の為に働きながら)頑張ります!」、「私は什一献金を捧げたり、祈りの生活で十分です!」それも結構でしょう。 しかし聖霊様が働かれる時には、イエス・キリストの私たちに対する、「パッション(熱情の愛)」が見えて来ます。


 私たちが今のような、苦しい「艱難時代」に生きていること自体が、一つの「兆し」です。「コロナ」は、神が創造したものではありません。人間の悪しき「罪」が生み出したものです。被造物全体が苦しんでいるが故に、様々な形で突然変異したウィルスが出てきたのか、それとも悪意のある人工生物(生物兵器の類)なのか、それは分かりませんが、事実としては世界中の人々が苦しみました。その結果、世界中の人々が精神的な面ばかりでなく、物理的にも奴隷と化して、各国で多くの人々が、いつの間にか死んで行く現象が、これから起きるでしょう(現に起きています!)。


 では、真の「キリストの花嫁」は、何処に存在するのでしょうか?決して隠れている訳ではありません。人間的な「救済措置(遺伝子組換型ワクチン)」に一切組み(跪き)せず、絶えず祈り続けながら、唯一の「命の道」を示し、真実に至る道を提供して下さる、花婿なるイエス・キリストのみを崇める花嫁。彼女たちは、イエス・キリストの御言葉のみに従い続け、大胆に「御言葉」を宣言しているのです。悪魔サタンは、それが許せないのです。ですから、世的な教会を益々繁栄させることで、その霊的流れに反している、つまり世的なものに、絶対に跪かない真実のキリスト者に対して、あからさまに弾圧し始めます。


 しかし「キリストの花嫁」は、イエス・キリストの贖いの「血潮」を霊的に受け継ぎ、その「救い」の力を大胆に証ししながら、その働きをリレー競争の如くに継続しています。そうです!聖霊様は神の人材(働き人)を、今の「終末の時」に、不思議な方法をもって、霊的に繋げているのです。


 イエス・キリストが示す三つの「流れ」とは、先ず第一の流れとして、①私たちは何らかの、強制的仕打ちを受けます。それも突然に、様々な圧力(権力)をもって、公然と呼び出されるのです。仮に私たちが、ワクチン接種をしていない等の理由で、自分の所属する組織(会社等)から、不当な仕打ちを受けたとしたら、堂々と戦う方法も一つの手ですが、結局のところ何ら変わりませんので、私は「その場」から去る(辞職する)ことを勧めます。


 第二の流れとして、②世的な圧力(例えば同調圧力)をもって、組織的に酷い仕打ちを被ります。また物理的に拷問の如き、酷い状態に追いやられます。しかし覚えて下さい!イエス・キリストの「刻印」を受けた者は、イエス様に全てを明け渡し、イエス様の為に惜しみなく、自分の命を懸けて生きること、これが本物のキリスト者の「証明」となります。


 第三の流れとして、③この世の「君(長たち)」の前に立たされます。一国の首相や大統領、また地方の組長(知事や市長)の前に立たされて、私たちは「踏み絵」を踏むか否かの、選択を迫られます。しかし「その時」、私たちの唇に聖霊様が働かれ、「よくぞこの場に導いて下さった、私たちの主なる神に感謝します。彼らの前にて、私は何を語るべきか知りませんし、その力もありませんが、私のイエス様!私の唇を通して、彼らに対して、あなたの福音を語ることの出来る、上よりの力を与えて下さい。今がチャンスです!」と捉える、これが「キリストの証人」の信仰です。


 私たちは①強制連行、続いて②拷問、最後に③踏み絵と来ますと、「ちょっと待って下さい!」と、二の足を踏む可能性がありますが、聖霊様は「否!」と促します。私たちはイエス・キリストの「証人」として、この第三の流れの時に備えつつ、今、その信仰の「歩み」を経験しているのです。


 私たちが「今の時」の流れを、「迫害」の兆しと捉えているのであれば、私たちは直ぐに「Watch out(警戒する)!」べきです。そしていよいよ、心づもりする(霊的な備えの)段階に入るのです。朝起きた時から、私たちは警戒しましょう!何に警戒するのでしょうか?私たちが神の「命の言葉」に、絶えず飢え渇く為です。私たちが神の「福音」を、嫌が応にも語るべき時が来るからです。また「聖書」そのものが、強制的に没収される時が来るからです。


 どうぞ、あなたが霊的に備える中にあって、警戒を怠ることがありませんように!いずれ、この三つの「流れ」は来ます。もう始まっています。最後の時に、決して慌てふためることがありませんように!あなたが「キリストの証人」として御国に凱旋した時、「あなたは卓越した、あのステパノの如き信仰者であった!」と称賛され、聖霊様から「表彰状」を付与される、賢い「キリストの花嫁」でありますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年9月4日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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