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命と心の健やかなる成長のために!
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あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.7)

           史上最大の「召喚状」




主は、アブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。・・・・地上の氏族は全て、あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
                              【創世記12章1~4節】


そこで、ステパノは言った。「・・・・私たちの父アブラハムがメソポタミアに居て、まだハランに住んでいなかった時、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、私が示す土地に行け』と言われました。それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今のあなた方が住んでいる土地にお移しになりました。・・・・
                              【使徒行伝7章2~4節】


真実の神を求める「叫び」
 今回の「召喚状」は、良い意味での「召し出す(招きに預かる)こと」です。アブラハムが創造主によって命じられた、今回の「召喚状」は、彼の霊的飢え渇きに応える形で、神が直接「御声」をもって、彼に対して返答されたものであり、それは人類史上最大の「召命(Calling)」となります。何故、彼が最初に選ばれたのか?またその目的は、何の為であったのか?これが今回の中心的メッセージです。


 今の時代は「終末の時」と言われていますが、主なる神がいよいよ、ご自身の立てられた「計画」を、「完成の時」として成就する為には、アブラハムを召し出した、今回の「召喚状」と同様に、神の偉大なる「召命(Calling)」を発する時が必要です。そして神の「召喚状」に対して、必ず応じることの出来る、「真の花嫁」が存在するからこそ、神は今も尚「お呼びになる(Calling)」のです。


 そこで先ず、私たちが知らなければならない、第一の重要ポイントは、アブラハムは何故、「ウル」の地において、真実の神を求め始めたのか?という点です。ステパノの証言によれば、偉大なる神の訪れが、栄光ある出現となって、彼の「叫び」に応えて下さいました。それが「御声」や、眩いほどの「光」、または「啓示」の現れであれ、「神が応えられた!」という事実が、彼にとって大事な体験となりました。


 そうです!アブラハムは、見えざる神に対して「真実の神よ、私の求めに、どうぞお応え下さい!」と①激しく渇き、実際に神に対して②叫び続けた、この二つの信仰行動が重要です。それが何年続いたのか、聖書には何の記述もありませんが、彼は「ある時」から飢え渇き、叫び始めたのです。その理由(霊的源泉)を、私たちも知る必要があります。


「天の都」を求めたアブラハムの信仰
 聖書には、その正しい理由が記されています。「ところが実際は、彼らは更に優った故郷、即ち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らの為に都を準備されていたからです。」(ヘブル書11章16節)そうです!アブラハムが熱望していたのは、地上の都(ウル)ではなく「天の都(故郷)」です。「天の故郷」とは、天にある「永遠の都」のことです。


 しかし彼は、実際には天の概念を知る由もありません。では彼は当初、何を現実として見ていたのでしょうか?それは地上の都、つまりウルという、当時にあって華々しい都市を、彼は見ていたのです。実は他の都市同様に、ウルにおいても「偶像神(月の神シン)」を祭るべく、盛大な宗教行事が執り行われていました。そしてアブラハムの父テラは、この月の神シンを祭るべく、熱心に礼拝していたと思われます(ヨシュア記24章2節参照)。


 サタンは「偽りの光」を、あたかも「真実の光」の如くに演出する、つまり見せかけることに長けています。人は私たちを含めて、「現実」というフィールド(三次元)や、現実に起きる様々な出来事を見た時、また「今の時」の流れを見た時に、どうしても二元論的に比較するなど、「善」か「悪」という意識レベルに陥ってしまう為、物事を狭く見てしまう弱さがあります。


 その結果、私たちは別のもの(方法)をもって、現実を変えてみたり、「今の時」の流れから逃避しようとします。すると、どうなるのでしょうか?見えざる神の「真実の光」も、正しく捉えることが出来なくなり、目に見えるサタンの「偽りの光」を、信じて(受け容れて)しまいます。私たちが一番に気を付けるべき「偶像」とは、想定外の対処できない出来事が起きた時に、神の「御心」を求めるのではなく、自分が思い描いていた「理想」や、自分が心に秘めていた「計画」などを、自分の「霊」の只中に据える(対処する)時、これが「金の小牛」になるのです。


 確かにアブラハムは、地上の都ウルの地において、この世的な繁栄や偶像崇拝を見て過ごしました。しかし彼の「霊」を、真実の平安で満たすものは皆無でした。恐らく彼は、何度となく月の神シンに対して、様々な「疑問」を投げかけて祈るのですが、「答え(返答)」がありませんでした。そしてある時、彼は気付きました。「今まで、先祖代々から聞かされてきた言い伝えが、全てまやかし(偽りの光)である!」と。


 その結果、彼は見えざる神に対して、心の限り叫び始めたのです。「主なる神よ、あなたが真の神であり、私を創造した神であるならば、私の叫びに応えて下さい!」と。すると主なる神は、ウルの地に居るアブラハムの元を、「栄光ある臨在」をもって訪れ、そして応えて下さいました。そして「その時」のウルの体験が、今回の12章に記された、神の偉大なる「契約調印」の時につながります。


史上最大の「召喚状」
 神の偉大なる史上最大の「召喚状」とは、英語で「The Greatest Calling」と言い、神が直接「御声」をもって、「あなたを・・・・という私の壮大な計画をもって、遣わす(掴む、招へいする、勅令を発する)」ことです。アブラハムは即、真の神との対話(体験談)を、父のテラに話しました。最初は息子の話しを、余り信じませんでしたが、何度も何度も興奮しながら、神の偉大さを証しする、息子を見るうちに、テラは心の中で確信しました。「月の神シンは、ただの偶像に過ぎない。だが息子の言う神は、真の神かも知れない!ならばウルを出て、新しき地を求めて、神の祝福を受け継ごうではないか。」と。


 その後彼ら一族は、ハランの地へと移住することになります。そして主なる神は、このハランの地において、アブラハムと史上最大の「契約」を締結しました。しかし主なる神は、このハランの地において、彼ら一族を繁栄に導いた訳ではありません。実際にテラは、ハランの地に移住した後、暫くしてから逝去します。ではハランにおける神の意図は、何だったのでしょうか?


 それはアブラハムに対して、史上最大の「契約」を締結する際に、このハランが重要な場所ではなく、「地上の都」の次元から切り離し、神が与える「契約」の中に、重要な霊的「指南書(特記事項)」を示すことで、アブラハムがそれに聞き従うこと、つまり神が与える「天の都」へと、彼を直接召し出すこと、これが神の意図でした。具体的な霊的「指南書(特記事項)」の中身は、①ハランの地(地上の都)を捨てなさい!②ハランに繋がる親戚関係を全て断ちなさい!③ハランの地で得た財産(土地、家屋、財産等)を、全て清算して(売り払って)、家畜を引き連れて移動(出立)しなさい!、この三つでした。


 結論になりますが、実は神の偉大なる「召喚状(召命)」が、まさに「今の時」において、私たちキリスト者に対して、聖霊様を通して緊急発令されています。そうです!聖霊様が激しく、私たちの「霊」に叫んでいます。「花婿なる方、主イエス・キリストが、間もなく来られる!それに対して、あなたは如何なる準備をしていますか?」と。2023年2月6日に突然起きた、トルコ・シリア大地震は、南北約100㎞に及ぶ巨大断層の地下深くで、アラビア半島から来るプレートと、ヨーロッパから来るプレートとが、ぶつかり合った「ねじれ現象」によって起きました。


 この巨大な地下エネルギーの物理的「動き」が、一斉に地上に向けて彷彿した結果、トルコの国土全体は、西に向けて3mスライド移動しました。今このように、地球規模で巨大な地殻変動が起きていますが、これは世の「終わり」ではなく、あくまで「産み」の苦しみの一つです。ですから、私たちはこの「徴し(兆し)」を見逃してはなりません。


 私たちは目の前の「現実」を、決して恐れる必要はありませんが、いよいよ私たちが、神の偉大なる「召喚状(召命)」を戴く時、アブラハムの如くに、信仰によって力強く踏み出すべきです。そして「いつ」召喚されても良いように、霊的に「出立」の準備をしておくべきです。何故ならば、私たちも霊的に振るい分けられる(切り離される)からです。その時に、殆どのキリスト者が「え?私は偶像礼拝などしていませんよ!」と、真顔で言い放ちます。


 しかし「現実」を恐れる余りに、右往左往しながら「世(地上の都)」を彷徨うのであれば、一番大事な「備え」をなおざりにして、「現実」の問題を解決(対処)するなど、そのような人間的行動は、必ず霊的な「偶像礼拝」に至ります。一番大事な「備え」とは、アブラハムの如くに、迅速に信仰行動に至る「霊的順応性」です。仮に私たちが「主よ、ちょっと待って戴けますか?未だ、その時は早すぎます!」などと、躊躇する姿勢を示すのであれば、既にサタンの「惑わし」に浸っています。


 覚えて戴きたいことは、主なる神は「いつ」、「如何なる時」にも、偉大なる「召喚状」を、私たちに発して下さいます。「その時」が来ていることを、聖霊様の「呻き」として、私たちは霊的に受け留めるべきです。聖霊も花嫁も言う。「主よ、(今すぐに、いつでも良いですから、私は準備できていますから)来て下さい!私を呼んで(召し出して)下さい!」と。


 この世の流れが、たとえ悪しき、汚れに満ちた、ソドム・ゴモラの如き状態になったとしても、私たちは「真の花嫁」として、聖霊様が命じられる「準備の時」に、「聖なる油」をもって祈り続けましょう!神の偉大なる「召喚」の時は、あなたにも必ず訪れます。「その時」に、あなたは「主よ、待っていました。直ちに出立します!」と、応じる(従う)だけで良いのです。


 キリスト者の全ての世代が、等しく「真の花嫁」として、益々神の「召命」を確信しながら、聖霊様と共に信仰の「叫び(返答)」を、高らかに発することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年2月5日のメッセ-ジ)


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