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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.41最終回)

                 最後の「報酬」




その時、大天使長ミカエルが立つ。彼は、お前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く、国が始まって以来、かつてなかった程の苦難が。しかし、その時には現れるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が・・・目覚める。・・・・目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。・・・・私ダニエルは、なお見続けていると・・・・川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が・・・・永遠に生きるお方によって、こう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事は全て成就する。」こう聞いても私には理解できなかったので、尋ねた。「主よ、これらの事の終わりはどうなるのでしょうか。」彼は答えた。「・・・・多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者は誰も悟らないが、目覚めた人々は悟る。・・・・終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりに当たり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
                                              【ダニエル書12章】


「確信」と希望に満ちた「誇り」
 神の「守り」や「導き」に対する、私たちの「確信」と、「将来」に対する希望を抱きながら、固く握り締める「誇り」は、「神の宮」即ち、生ける神の御子イエス・キリストが、常に私たちと共に居て下さる、真の「エクレシア」の基本形(デザイン)です。


 私たちが聖霊様を通して、この「確信」を戴いているのであれば、次に「天」から来るものは、主なる神が私たちの「働き」を通して、「神の国」の祝福を必ず拡大して下さる!という、明確な「信仰」です。「終わりの時」に至って、多くの民が「混乱」の渦に呑まれています。その「混乱」の大半は、先に対して「どうなるか分からない!」などの、将来に対する「不安」から生じるものです。


 しかし「聖書」だけが、明確に告げています。「古い天地が閉じられ、新しい天地が開かれる!」と。そして「その時」、私たちキリストの花嫁は、花婿なるイエス・キリストと、空中で再会するのです。そして私たちが、主なる神から戴く最後の「報酬」が、イエス・キリストとの「交わり」から生まれるものです。


終末のエクレシアの「最終形」
 今回のダニエル書12章において、霊的に描かれるエクレシアの「最終形(デザイン)」は、最終戦争に逆転勝利した、大いなる「戦いの次元」というよりも、たとえ「戦さ」続きの中で、ボロボロに疲れ果てたとしても、尚も霊的な武器で戦い抜くなど、信仰の次元を描いています。今後恐らく、幾多の「苦難」に見舞われる中で、世界中の殆どの教会群が、ニセモノのメシア(666)に膝を屈めることになりますが、逆に霊的に「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。」(3節)ことになります。


 この3節の預言を直訳するならば「知恵に満ちた賢者(賢い群れ)は、空に輝き続ける、全ての光の如くに輝きを増すであろう。また何が正しいことであるかを、適切に教え示す人たちは、永遠に輝き続ける星の如くに、更に突き進んで行くであろう。」となります。そうです!これが私たちが目指すべき、「終末のエクレシア」の最終形です。霊的に目覚める賢者とは、「終わりの時」に当たり、たとえ目の前の「現実」が、大きな「苦難」や「迫害」の中にあっても、ひたすら神の「安息」に留まり続け、花婿イエス・キリストの「訪れの時」を、心静かに待ち続ける者です。


 この最終形を迎えるエクレシアは、今後どうなって行くのでしょうか?端的に言えば「大患難」を迎える終末の時代の中で、益々霊的に振るい分けられ、聖霊様を通して更に練り聖められて行きます。「多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者は誰も悟らないが、目覚めた人々は悟る。」(10節)と。ここで私たちが憶えておくべき、霊的「振るい分け」の基準があります。その厳正な基準は只一つ、アダム(エバ)に付与された、貴い小羊(イエス・キリスト)の犠牲による、「聖なる衣」が聖められ、かつ白くされているか否か?という点です。


 殆どの人は、自分の着ていた衣服が、洗濯して清潔にしていても、例えば古びたり好まなくなった時に、その時代の流行のファッション、つまり最新の「世の衣」を購入し、その後今まで着ていた衣類は、即処分(捨て去る)します。


 ところで「聖なる衣」を着続ける為には、日々①洗い続け、②聖い状態へと、つまり白く清潔に保つことです。これが非常に重要な、日々の「務め」となります。この単純な作業を、「賢い花嫁」として忠実に守り行う者は、いつも霊的に目覚め、唯一の「真理」を悟ることが出来ます。そうです!天下にイエス・キリスト以外に、真の「救い(贖い)」は無い!という、永遠かつ偽らざる「真理」です。


 ちなみに「世の衣」を好んで、霊的に身に着ける者とは、「①臆病な者、②不信仰な者、③忌まわしい者、④人を殺す者、⑤淫らな行いをする者、⑥魔術を行う者、⑦偶像を拝む者、⑧偽りを吐き続ける者」(ヨハネ黙示録21章8節)のことです。


最後の「報酬」
 神の使い(聖霊様)が、ダニエルに対して語った最後の言葉は、「終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりに当たり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」(13節)この言葉は、実は「終末の時代」に生きる、私たちキリスト者に対しても、盛んに投げかけられている、神からの偉大なる「励まし(メッセージ)」です。


 「最後の報酬」とは何でしょうか?ヨハネは明言します。「私、イエスは使いを遣わし、諸教会の為に以上の事をあなた方に証しした。私は・・・・明けの明星である。聖霊と花嫁とが言う。『来てください。』これを聞く者も言うがよい。『来てください』と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価無しに飲むがよい。」(ヨハネ黙示録22章16~17節)と。


 そうです!「最後の報酬」とは、神が永遠に与えて(満たして)下さる、御国から流れ出る「命の水」です!「命の水(Living Water)」は、何の為に与えられるのですか?私たちが、主なる神による霊的「振るい分け」の時代の中で、①日々強く生かされ、②「最後の戦い」に勇ましく臨み、③神の祝福を「地の果て」にまで、勢いよく流れ拡大して行く為です。


 私たちが花婿なる主イエス・キリストを、いよいよ熱く歓迎する「その時」が、間近に迫っています。私たちは再度、霊的に身を引き締めて、①神の守り、②神の導き、③神の揺るぎ無き安息を戴きながら、信仰が着実に成長している、明確な「確信」と、花婿イエス・キリストに対する、希望に満ちた「誇り」とを、持ち続けて行きましょう。


 この「終末の時」に、如何なる事が起きたとしても、私たちは聖霊様の「助け」を通して、麗しい「終末のエクレシア」として形造られ、幾多の「艱難」を乗り越えながら、日々前進することが出来るのです。聖霊様だけが、神が一人一人に与えている「運命」、即ち霊的なダニエルとして、私たちを常に祝福し、神の勝利を保証して下さいます。「その時」に私たちは、こぞって「アーメン!」と唱えるのです。更に「あなたが与えて下さる最後の報酬は、命の水なるイエス・キリストご自身です。この方を、命を懸けて飲み続けます!」と告白するのです。


 どうぞあなたが、「命の水」なる真実の花婿、イエス・キリストを深く意識し、霊と真によって礼拝し続ける、キリストの花嫁として、更に美しく仕立てられますように。「明けの明星」の光を帯びる者として、あなたが豊かに祝福されつつ、御国に至るまで前進できますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年12月25日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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