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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

イースター・メッセージ

     私は既に「世」に勝っている!




御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことが出来る。見よ、私は今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。私が今日命じる通り、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。・・・・あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主に付き従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり・・・・主があなたに・・・・与えると誓われた土地に住むことが出来る。
                                        【申命記30章14~20節】


これらのことを話したのは、あなた方が私によって平和を得る為である。あなた方には世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。
                                        【ヨハネ福音書16章33節】


イエス・キリストの「戦い」
 イエス・キリストが、既に「世」に勝利している!こと、これは神の偉大なる「福音」です。私たちの「歩み」の全てにおいて、イエス・キリストによって、「勝利」が決定付けられているのであれば、私たちは何事をも恐れる必要がありません。そうです!私たちは、もはや自分で「戦う」必要がないのです。イエス・キリストが戦って下さる(既に戦って勝利を取られた)からです。


 イエス・キリストは何故、①十字架上で処刑されたのか?またその後②三日目に復活したのでしょうか?この二つの正しい「理由(神の目的)」を、私たちは改めて知る必要があります。使徒パウロは、その根拠を次のように証言しています。「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。・・・・キリストが復活しなかったのなら、あなた方の信仰は空しく、あなた方は今も尚罪の中にあることになります。・・・・しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。・・・・キリストによって全ての人が生かされることになるのです。・・・・キリストは全ての敵をご自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。」(Ⅰコリント書15章14~26節)


 ところで、イエス・キリストが与える「勝利」とは、如何なるものでしょうか?イエス・キリストの「戦い」は、「この世」においては、最初から「負け」が決まっているもので、それは「十字架」の死です。ご存じのように本来であれば、イエス・キリストは「無罪」ですから、死刑に処せられることはありませんでした。


 しかし彼は裁判において、弁護士を立てることも無く、自分で無罪を主張するなど、一切の「言葉(自己弁護)」を語りませんでした。何故でしょうか?自分が「有罪」の判決を下され、十字架刑にて屠られることが、父なる神の「御心」であり、この事を通して全ての人々の「罪」を、自分が身に負うことで、彼らの有罪を無効にする為でした。これがイエス・キリストの「戦い」でした。


「聖書」は如何なる書物なのか?
 ところで毎年世界一の、ベストセラー書物である「聖書」には、何が記されているのでしょうか?キリスト教信者でない多くの人々にとって、聖書はキリスト教の「経典」と思っているかも知れませんが、その中身は大きく分類して、①歴史書②預言書③福音書の、三つの内容が記されています。


 先ず第一の「歴史書」ですが、これは人類(神の被造物)の創始時代から、ローマ帝国によって滅ぼされる、イスラエル民族の歴史を辿り、イエス・キリストの誕生から、今日に至る神の最終目的を、神の視点から歴史的に編纂しています。元々、天地万物の「歴史(History)」は、聖書的に見るならば「神の(His)物語(story)」です。


 第二に「預言書」とは、将来に起きることを、超人的能力で予測するなどの、いわゆる「予言集」ではありません。それは①罪を犯した人類(神の被造物)が、最終的にどうなるのか、そして神の歴史の「締めくくり」として、②神にヘリ下って立ち返る者と、神に背を向けたまま反逆し続ける者とを、最終的に選り分ける為に、神が各時代において、召し出した者(預言者)の唇を通して、前もって通知した救済指南書が「預言書」であり、聖書の大部分を占めています。


 第三に「福音書(Gospel)」とは、創造主なる神(God)が被造物である人に対して、分かり易い言葉で綴り語る(spell)べく、イエス・キリストの唇を用いた「良き知らせ(Good News)」です。つまり創造主の「言葉(旧約時代の掟・戒律)」を、御子イエス・キリストが、「新しい教え(新約)」として、イスラエルの人々及び異邦人に対して、分かり易く伝えた(語った)もので、弟子(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)たちが、各自で編纂した「イエス・キリスト伝(言葉集)」です。


イエス・キリストの「勝利」の福音
 さて本来の私たちは、最初の人アダム(エバ)が罪を犯さなければ、神との麗しい親密な「契り(関係性)」が、永遠に約束されていました。しかし彼らは、神との「約束(契約)」よりも、サタンの提示した「善悪の木」の実(世の美)を食べた結果、神に隠れる、つまり背を向けて生きるようになりました。これが「罪(ハマルティア:~から離れる、的外れ)」の本質です。


 これは創造主から見て、「怒り」というよりも、物凄い「悲しみ」となりました。それ故に御子イエス・キリストが、私たちの人類の全ての「罪(霊的負債)」を背負うべく、十字架上に行かれたのです。そしてイエス・キリストは、死ぬ直前に「全てが成就した(All is over)!」と宣言されました。この「成就する」とは、負債(借金)の全てを、完全に返済した(完済した)時に用いられる言葉です。このイエス・キリストの「福音」こそが、「この世」に既に勝利した証言です。


 そうです!イエス・キリストの「勝利」は、①「死」を乗り越え(overcome)、②全ての「罪(負債)」の重荷を、完全に打ち滅ぼすことです。「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現して下さいました。」(Ⅱテモテ書1章10節)「世」が与えるものは、私たちの三次元的思考に働きますので、必ず将来に対して「不安」と「恐れ」を引き起こします。しかし「天(神の国)」が与える福音は、イエス・キリストの信仰に見られるように、必ず「世」に勝利する信仰を、天の賜物として与えます。


 ご存じのように世界的「コロナ禍」は、過去三年間に渡って、世界中の人々を「恐怖」で縛りました。日本においては、2023年3月13日からマスク解禁になった訳ですが、国民の約9割の人々が、相も変わらずマスクを着用しています。何故でしょうか?コロナウィルスが怖いのではなく、他人の視線が怖いからです。ですから如何に過去三年間が、「この世」の習慣を通して、「不安」と「恐怖」の空気を、日本人自らが造り上げて来たかが伺えます。


 では、日本のこれからの三年間は、如何なる方向性で、これらの世的な空気から、少しずつ解放されて行くのでしょうか?しかし仮に、「コロナ禍」よりも強力な、別の「災い」が来たとしたら・・・・。その前兆が垣間見える昨今ですが、恐らく今後の三年間は、「コロナ禍」によって被った、様々な「ツケ」が回って来るでしょう。統計学的に有り得ない「超過死亡数」の増加、ワクチン後遺症を巡る裁判が次々と起き、その結果国民感情の「怒り」が、政府に対して爆発するなど、一気に暴動へと走る可能性もあります。では「聖書」は、これからの時代を、如何なる信仰をもって生きるのか?その点について、正しい答え(指針)を語っています。如何なる「災い」が来ても、イエス・キリストを信じる者は、既に「世」に勝利する!これが答えです。


 ところで、過ぐる2023年の受難週において、世界的に不思議な現象が起きています。第一の現象に関してですが、アメリカにおいて、かつて黒人差別撤廃運動を、自らの命を懸けて率いたМ・キング牧師が、1968年4月4日に殉教しました。そして2023年の4月4日に、アメリカ史上前例無き事が、ニューヨーク州マンハッタン検事局で起きます。それは前大統領であるトランプ氏を、連邦裁判において不起訴(無罪相当)であった事件を、地方検事局側が起訴した事です。今日のアメリカは、М・キング牧師によって築き上げられた、人種間の平和路線が崩され、物凄い勢いで「分断」の嵐が進行中です。


 そして世界的に見ると、この人種的分断の激化(うねり)以上に、実は第二の現象として、「大波(津波かも?)」の如きものが、世界経済の流れの中に起こり始めています。それは世界経済の筆頭基軸通貨、米国ドルの資産運用上の価値が、突如として崩壊し始めたことです。先月に起きた、シリコンバレーバンク銀行の破綻に始まった、世界的金融不安の大火は、ヨーロッパ諸国の金融機関にも飛び火しました。そのような中、ブリックス諸国の大国である、インド及びブラジルが、今までの米国ドルによる取引から、各国の通過によって独自に決済(取引)する方式を決定しました。要するに今後、米国ドルから手を引く方向に、舵を切ったことになります。


 では私たち日本人は、アメリカの世界的権威の失墜に、共に付き合うべきでしょうか?そんな愚かな選択をするのは、国の「偉いさん(政治家)」だけで結構です。日本人キリスト者としては、たとえ如何なる事(非常事態)が起きたとしても、エジプトを脱出したイスラエル民族を、天上からの「糧(マナ)」をもって、日々養い導き続けて下さった創造主に、私たちは信仰の基軸(土台)を据えるべきです。


復活の信仰で「死」に勝利する!
 私たちは「死」という現実を、恐怖として見せられた時に、「あーもう駄目だ!」と言って(思って)、安心して立っていた地盤が、いとも簡単に崩壊します。しかしマグダラのマリアの如くに、復活のイエス・キリストに、私たちが霊的にお会いする時、私たちも共に「死」を乗り越える、つまりイエス・キリストの「勝利」に、あずかることが出来るのです!


 今の時代は、確かに「不安」だらけの様相しか、現実で捉えることが出来ません。しかし覚えて下さい。小さな「苦しみ(痛み)」であれ、大きな「悩み(不安)」であっても、その一切をイエス・キリストは、十字架上で背負って下さり、私たちが被る重荷(霊的負債)の全てを、その時に完済して下さいました。これがイエス・キリストの「勝利」です!


 ですからあなたが、イエス・キリストの「言葉(福音)」を信じて、素直に受け取りさえすれば、神の「祝福」の領域、即ち新しい「天」と「地」を、あなたは相続するのです。ある面で「信じて受け取る日」が、あなたの人生の「復活記念日」となります。そして「復活」の後の人生が、とても重要となります。あなたがイエス・キリストを通して、「既に世に勝っている!」という事実が、実際に体験できることになるからです。


 イエス・キリストの「復活」は、常にあなたの「歩み」の前にあります。あなたはイエス・キリストの「勝利(御旗)」を受け取り、共にイエス・キリストに付いて参りましょう!そうすれば、あなたは如何なる「試練」や「困難」が来たとしても、それを乗り越えることの出来る方、イエス・キリストに、あなたは「全て」を委ねることが出来ます。「恐れるな、私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ。水の中を通る時も、私はあなたと共に居る。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃え付かない。」(イザヤ書43章1~2節)


 イエス・キリストは、今も尚あなたを励ましています。「勇ましくありなさい!雄々しくありなさい!恐れてはならない!私はいつもまでも、あなた方と共に居る。私は過去の神ではなく、今働く神、そしてこれから来る時代の中にあっても、インマヌエルの神として働く、神の御子である!それ故に、いつも平安でありなさい!」と。あなたが更に、イエス・キリストの「復活」を通して、勝利ある人生が、約束として完成されますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年4月9日のメッセ-ジ)


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