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終末のエクレシア(No.37)

「苦しみ」に遭っても富んでいるエクレシア




スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。・・・・「私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、私は知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みる為に、あなた方の何人かを牢に投げ込もうとしている。あなた方は、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。・・・・勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」
                      【ヨハネ黙示録2章8~11節】


霊的「没薬」としての三つの賜物
 今回の記事にあるスミルナ教会は、「終末のエクレシア」における、第二の「雛型」を表しています。スミルナという都市は、エペソから北の方角50kmにある港町です。他の五つの教会と違って、このスミルナ教会は非難すべき点が見当たりません。どちらかと言えば、模範的な「褒められる教会」です。何故褒められるのでしょうか?「苦難(苦しみ)」に遭っても、決して負けていないからです。


 私たちが、霊的に航海している「今の時代」は、いつも「勝利」に至ることが出来る程、生半可な時代ではありません。むしろ「苦しみ」と「貧しさ」、そして激しい「迫害」に遭遇するなど、様々な「苦難」の大波が、次々と襲って来る時代です。そのような「苦しみ」に遭っても、「イエス号」の船頭なる聖霊様が、確実に正しい航路へと導いている故に、私たちは霊的領域において勝利し、いつも富んだ状態にあるのです!


 今回のスミルナ教会から学ぶ、第一の重要となるポイントは、イエス・キリストに対する、「信仰」と「希望」と「愛」という三つの賜物が、実は「没薬」の如き効果がある!という点です。ところで「スミルナ」の語源は、ギリシャ語で没薬を意味する、「ミルラ」から造られた言葉です。この「ミルラ(没薬)」には、二つの大きな「力(効力)」があります。その第一の効力が、①あらゆる「痛み」を緩和する、つまり「麻酔」のような効き目があります。


 ご存じのように、私たちの人体組織は、大きな「痛み」に耐えられません。例えば「歯痛」は、私たちの食欲を低下させ、殆どの体力及び気力を失わせます。その時に用いられたのが、この「ミルラ」でした。続いて第二の効力が、②物質の腐敗進行を遅らせる、つまり「防腐剤」としての効き目です。


 このように「ミルラ(没薬)」の如き働きを担うのが、イエス・キリストに対する、①信仰②希望③愛という三つの賜物です。当時のスミルナ教会は、見た目は「弱小集団」でしたが、時の権力者から激しい迫害を受けます。何故でしょうか?皇帝陛下(シンボルも含む)に膝を屈めないからです。


 何故私たちに対して、①信仰②希望③愛という三つの賜物が、天より与えられているのでしょうか?それは「今の時代」に、霊的な「没薬」として、私たちキリスト者を用いる為です。そうです!霊的な「大迫害時代」の中にあっても、私たちが全ての「苦難」を乗り越え、全ての「汚れ」に腐らない(朽ち果てない)理由は、イエス・キリストに対する、①信仰②希望③愛という霊的没薬が、私たちに与えられているからです。


苦難と貧しさに遭っても富んでいる!
 では、スミルナ教会から学ぶ、第二の重要となるポイントは、スミルナ教会のイエス・キリストに対する、偉大かつ推奨すべき事象とは、一体如何なるものであるのか?という点です。現実として①苦難の中にあり、また②貧しい状況下にあること。しかし霊的には③豊かさに富んだ状態にあり、決してめげていませんでした。この点を主なる神は、全て知っていたのです。神が「知る」とは、目の前に居る「我が子」の状況を、親として自然に共有し合う、ストレートな関係から生じる言葉です。


 覚えて戴きたいことは、スミルナ教会は現実として、様々な迫害を被りました。先ず①時の最高権力、即ちローマ帝国によって、多くの信者が不当に逮捕され、様々な拷問を受けました。次に②同族のユダヤ人・グループ、ローマ帝国に組するユダヤ人、そして古い律法主義を貫く過激派ユダヤ人から、日常的に襲撃されるなど、逃亡生活を強いられる毎日でした。そして最終的には③サタンの「集い(悪魔崇拝)」に属する人々からの、霊的な「試み(誘惑)」や「策略」を受けることで、「群れ」全体が打撃を被るなど、大変な霊的攻撃を受けました。


 「今の時代」も同様に、「サタン礼拝」の信奉者が激増しています。私たちが、イエス・キリストに対する信仰を、純粋に守り通そうとすればする程、サタンは私たちを「逆の方向」、即ち「不純かつ汚れた道」へと、私たちを誘い込もうとします。これが霊的迫害の始まりです。しかし主なる神は、スミルナ教会に対して発した、三つの「激励」をもって、私たちに対しても、大いなる「励まし」を送って下さいます。


死に至るまで忠実であれ!
 「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みる為に、あなた方の何人かを牢に投げ込もうとしている。あなた方は、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」(10節)この神の大いなる「檄文」における、先ず第一の「励まし」は、①これから様々に受ける苦難を、決して恐れてはならない!苦難は終わること無く、更に激化して行くのだから。次に第二の「励まし」は、②悪霊に導かれた暴徒たちが、実際に陰謀を巡らして、あなた方の何人かを投獄したとしても、決して気落ちすること無く、しっかりと神の御声のみに耳を傾けなさい!そして最後の第三の「励まし」は、③死に至るまで忠実であり、信仰を純粋に守り通しなさい!この三つに要約されます。


 「今の時代」が、まさしく「死に至るまで」、そのような危機的状況下にあります。実はスミルナ教会が被った迫害状況は、私たち今のキリスト者にとっては、大いなる励ましのモデルとなります。何故なら彼らは、様々な「苦難」に遭っても、イエス・キリストに対する、三つの霊的賜物(没薬)を大事に用いながら、「死に至るまで」忠実であり続けたからです。


 イエス・キリストが、私たちに対して抱いている「思い(熱情の愛)」は、御子自身が十字架の「死に至るまで」忠実である!そこから来ています。それ故に私たちは、イエス・キリストの「信仰」の中に、「慰め」と「助け」を得ることが出来、また苦難の中にあっても、全ての「痛み」を緩和する程の、「癒し」と「平安」を戴いているのです。


 私たちキリスト者が、互いに励まし合う理由は、イエス・キリストの「思い(熱情の愛)」を、霊的に共有しているからです。それ故に私たちは、「苦しみ」と「痛み」を分かち合うことで、互いに緩和し合うことが可能になります。「死に至るまで」忠実であることは、如何なる「条件」や「方法」も付けずに、唯一の小羊イエス・キリストが辿った、「十字架の死」に至る足跡を、私たちも同様に歩むこと、この一つしかありません。


 そういう意味で私たちは、霊的にイエス・キリストの「ミルラ(没薬)」です!多くの人々が被る「苦難」を和らげ、イエス・キリストを求める人々の、純粋な「信仰」を腐らせない、そのような素晴らしい神の「働き」が、私たちに託されているのです。「今の時代」は、互いに祈り励まし合って、共に前進する大事な時です!


 あなたが常に、主イエス・キリストから豊かな「命の水」を戴き、その尽きることの無い「命の水」をもって、多くの人々の「渇き」を癒し、真の「慰め」と「励まし」を、豊かに流すことが出来ますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年11月6日メッセージ)


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