花婿の「最後通告(ラスト・サウンド)」
私は愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って、叩いている。誰か私の声を聞いて、戸口を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。勝利を得る者を、私は自分の座に共に座らせよう。私が勝利を得て、私の父と共にその玉座に着いたのと同じように。
【ヨハネ黙示録3章19~21節】
花婿の発する「サウンド」
リーダーの発するサウンドが、何を意図しているのか、その真意を正しく聞き取ることが、私たち聞き手には求められます。何故ならば、私たちは時折、進むべき「道(方向性)」を、リーダーの語る言葉如何によって、いとも簡単に誤る可能性があるからです。
ではイエス・キリストの場合は、今回の預言書の中において、如何なる「最後通告」を、地上に生きる私たちキリスト者に対して、また今後救われるであろう、多くの魂に対して、大いなるサウンドとして発しているのか?その真意を汲み取ることが、今の「終わりの時」には、尚更重要となります。
ところでイエス・キリストは、何の為に再臨されるのでしょうか?それは賢い乙女たち(キリストの花嫁)に向けて、「あなた方は今まで、よくぞ忍耐して待っていてくれたね!さー、私と共に御国に帰ろう。」と、歓喜の笑顔で語るなど、それはフィナーレの始まりを告げる為です。その前に、実は聞き逃してはならない、大切な「兆し(しるし)」があります。その「しるし」とは、思いがけない時に、真実の花婿イエス・キリストが、愛する真の花嫁を迎えるべく、偉大なる「サウンド」を用意することです。
その際に、それが①「いつ」発せられるのか?、また②「どのようにして」現われ出るのか?そして③「何」の為に発せられるのか?この三つのポイントを、正しく知ることが重要となります。実は全てのサウンドには、その「兆し」となるタイミングがあります。即ち予備的なサウンドが、必ず用意されています。
イエス・キリストの「福音」もそうですが、この予備的なサウンドは、「叱ったり、鍛えたり」(19節)の表現にあるように、先ず「愛する者」を叱咤します。この「愛する者」とは、あからさまに聖霊を冒涜する者以外の、全ての人々を指します。続いて「鍛える」とは、真の羊飼いとして、たとえ一頭であっても、羊が誤った道に入って、崖から落ちてしまわないよう、羊飼いは「自分の声」を、羊たちが明確に聞き分けられるよう、常に特殊な「サウンド」を発することで、羊を召集したりする際の訓練を課します。
詩篇23篇4節に記されているように、主なる神(羊飼い)の「鞭」と「杖」は、いわゆる「懲罰を与えるもの」ではなく、危険な場所・時間帯に、羊たちが立ち入らないよう、鞭をもって「危険音(シグナル・サウンド)」を発することを意味します。人の歩む「道のり」には、躓きや転倒を引き起こす、様々な危険因子があるように、この世には罪を引き起こす、様々な誘惑や罠が、サタンによって仕掛けられています。だからこそ聖書は、主なる神の発する「サウンド」をもって、常に「正しい道」へと導くべく、御言葉(命の言葉)で霊的に鍛えたり、またある時は「悪しき道」に迷い込まないよう、懲らしめのサウンドを発して下さいます。
花婿の「ラスト・サウンド」
では「終わりの時代」に発せられる、イエス・キリストの「ラスト・サウンド」は、如何なるものでしょうか?前提として覚えて戴きたいことは、イエス・キリストは思いがけない時に、突然に帰って来られる!という点です。「思いがけない時」とは、いつでしょうか?それは、私たちが想定(推測)できる時ではなく、逆説になりますが、私たちが「油断した時」です。私たちがイエス・キリストにではなく、「この世」の事に明け暮れる(欲する)時、それが「油断する時」になるのです。
イエス・キリストが明言する「私は帰って(戻って)来る」とは、具体的に「いつ」を示唆する表現ではなく、「必ず帰還(再臨)する!」という、ある種の「約束(契約)」を宣言するものです。ならば私たちは、それを「いつ?」という、「人の時」で計るのではなく、 「必ず帰って来る」ことを素直に信じて、ただ「待てば良い」のです。その為には当然、「帰って来られた時」の為に、準備する(備える)ことが肝心です。
そしてイエス・キリストが帰って来られる際には、どのような「行動(有り様)」を為されるのか?それが「あなたの霊の戸口に立つ!」ことです。と言うことは、私たちの花婿なる方、主イエス・キリストは、聖霊様の働きを通して、常に私たちの側近くに居て下さるのです。その時にイエス・キリストは、私たちの「霊の扉」を、必ずノックして下さいます。そして聖霊様は、おごそかに命じます。「いよいよ、その時が来ているから、備えを確実に行いなさい。あなたのしみや傷、汚れの全てが聖められているか、しっかりと点検しなさい!祈りの炎を絶やすことが、決して無いように。」と。
あなたにとって、イエス・キリストの発せられる、様々な「サウンド」や「御教え」が、何にも優る「麗しいもの」になっていますか?私たちが「他のもの(世のもの)」を、追い求めている時が「油断」になるのです。その時に、イエス・キリストが来られても、気付かない者(愚かな乙女)が、結局は取り残されることになります。イエス・キリストの「来臨の時」は、たった一度限りの「訪れ」である!、このことを常に肝に銘じて下さい。
結論になりますが、イエス・キリストは私たちと共に、「食卓」を囲みながら、如何なるサウンドを発して下さるのでしょうか?それは待ちに待った花婿のセリフ、「よくぞ忍耐して、私の帰りを待っていてくれたね!さー、私と共に婚礼の席に着こう!」です。だからこそ花嫁(賢い乙女)も、聖霊様と同様に、喜びの声を上げて言うのです。「花婿なる主イエス・キリストよ、早く来て下さい!」と。
私たちは常に、この真実の花婿なる方 、主イエス・キリストと親しく交わる、真のエクレシアとして、この「終わりの時代」に遣わされています。と同時に、遂に「その時」には、イエス・キリストと共に、御国の婚礼(大宴会)の席に、凱旋しながら帰還する「神のVIP」でもあります。
故に私たちは、朝から夜に至るまで、救い主イエス・キリストの御名を称えながら、日々花婿のラスト・サウンド(福音)を、多くの人々に届けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で、祝福してお祈りします。アーメン!(2025年11月30日のメッセ-ジ)
次回は・・・・神の定めた時(10/7掲載予定)
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