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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.22)

        如何なる場合においても




いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにあって、神があなた方に望んでおられることです。霊(聖霊)の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。全てを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪から遠ざかりなさい。
                                    【Ⅰテサロニケ書5章16~22節】


エクレシア号の船頭役「聖霊様」
 「如何なる場合」とは、①時間②生活(人生)③場所④状況など、それぞれにおける言葉です。ですから私たちは①~④において、先ずは創造主なる神を認め、次にたとえ現実が、好ましからざる場合であっても、聖霊様から正しい「導き(道標)」を示して戴き、その道標通りに前進して行くことが大切になります。


 今回の御言葉にある「喜ぶこと」、「祈ること」、「感謝すること」、この三つの基本的な信仰の行動を、例えば私たちが律法的に捉えるなど、神の厳しい「命令」と受け留めますと、信仰行動が逆に堅苦しく(息苦しく)なります。


 しかし覚えて下さい!如何なる場合においても、主なる神は私たちを、信仰のゴールへと導いて下さいます。そうです!目に見える「現実」は、ゴールではありません。その先にある、目に見えざる「神の事実」を、信仰で受け留めて初めて、私たちは単純に「喜ぶ」、「祈る」、「感謝する」ことが出来るのです。その時に聖霊様は、私たちが如何なる場合においても、それらを乗り越えることの出来る、脱出することの出来る、「一つの道(イエス・キリスト)」を、私たちに示して下さいます。


 今回の御言葉から、私たちが学ぶべき第一の重要ポイントは、「終末の時代」にあってエクレシアは、「ノアの時代」の巨大な箱舟の如き存在である!という点です。その霊的箱舟を「船頭」として、如何なる荒波にあっても、凪の如くに導いて下さる方は、「助け主」なる聖霊様です。


 実は聖霊様が「今の時代」にあって、私たちエクレシアを取扱われる際に、二つの霊的「操舵(舵取り)」をもって為されます。先ず第一の操舵は、①風を読んで帆を操作することです。続いて第二の操舵は、②船頭が直接「漕ぎ手」に、正しい針路を指示することです。例えば第一操舵の場合は、「帆」を上げたり、逆に下げたりする場合に、風を読んで「タイミング」を図るなど、熟練した「時」の管理能力が、舟の進路・安全航行を左右します。


 そうです!聖霊様は「今の時代」に、私たちが如何なる時に「帆」を上げ、如何なる時に帆を下げるか、帆を操作するタイミングを見計らって下さいます。この聖霊様による第一操舵に必要なものが、「喜びなさい」「祈りさない」「感謝しなさい」という、三つの大きな「帆」です。


三つの「信仰の帆」
 実は「喜びなさい」、「祈りさない」、「感謝しなさい」には、それぞれ「タイミング(時節)」を表す、副詞が記されています。先ず「いつも」(16節)喜びなさい!の副詞は、100%のタイミングをもって、喜ぶことを霊的に習慣化することを意味します。これは口先だけで喜ぶのではなく、たとえ目の前の状況、時間が(終末の時代には尚更)どうであれ、神の為さる次元を期待しながら、信仰で口ずさむ(神自身を喜ぶ)ことです。


 次に「絶えず」(17節)祈りなさい!の副詞は、私たちに要求される時間の概念で、言い換えれば「如何なる時にも」祈りをもって、事を進める(進めて戴く)ことです。テサロニケ教会のキリスト者も、霊的に振るわれました。「携挙」を巡って様々な議論が噴出する中、神の御前に座して祈る者が少数でした。ですからパウロは、エクレシア号の「帆」を上げるタイミングとして、信仰の基本に立ち返るよう指示したのです。そうすればエクレシアの舵取りを担う方、即ち聖霊様が正しい方向に導いて下さるなど、霊的に針路修正して下さるからです。


 最後の「どんなことにも」(18節)感謝しなさい!の副詞は、私たちが置かれる様々な状況(境遇)・場所(場面)・状態において、感謝の言葉を捧げることを意味します。覚えて戴きたいことは、この三つの「帆」を上げるタイミングを指示して下さる方は、あくまで聖霊様です。聖霊様は私たちが、「喜び」「祈り」「感謝」という三つの信仰行動を、四六時中捧げるようには命じていません。聖霊様は私たちの信仰状態を、十分に見計らいながら、例えば「今は祈るべき時です!」と、優しく促して下さいます。


 私たちが「悲しみ」、そして「苦しみ」や「痛み」にある時は、殆ど「祈り」の言葉すら出て来ません。しかし聖霊様は、主なる神を待ち望むタイミングを与え、「一番に覚えることは、救い主イエス・キリストが、あなたの舟の中心に座しておられることです。このお方が共におられることを感謝できますか?このお方が、いつも近くにおられることを信じて、素直に祈り求められますか?あなたの舟の中心で、いつも力強く導いて下さっていることを、素直に喜べますか?」と、少しずつ三つの「帆」を、順番に上げて下さるのです。


聖霊様の針路指示に従う
 今回の御言葉の第二の重要ポイントは、エクレシア号にとって漕ぎ手(私たち)の「リズム」が、「終末の時代」にあって、非常に重要な針路を定めることなります。そのリズムとは第一に「御霊の火を消してはならない」ことです。これは聖霊様の「働き」を、肉の「思い(判断)」から、自分勝手にコントロールしたり、解釈したりてはならないことを意味しています。


 第二に「預言を軽んじてはならない」ことです。これは普段の信仰生活の中で、祈っている時に与えられる、聖霊様からの様々な「啓示」や、礼拝の中において霊的に説き明かされる、預言的メッセージ(教え)等、これらが示される場合のタイミングを、自分勝手に排除し(軽く考え)たり、先延ばしにしたりしてはならないことです。


 第三に「あらゆる悪から遠ざかる」ことです。これは「この世」に蔓延る「悪しき事」だけではなく、教会に侵入する「毒麦」や「犬(狐)」などの、「悪しき教え」や人本主義的神学等、私たちが霊的に警戒すべきことを語っています。もしエクレシア号の「漕ぎ手」の中に、悪しき「ウィルス」が入り込みますと、「漕ぎ手」全体が感染してしまい、それこそ舟は航行できなくなるからです。


 これからの時代を、私たちキリスト者は、どのように捉えるべきでしょうか?今後起こり得る、二つの巨大な「潮流」を覚悟しておいて下さい。それは、ノアの大洪水の時もそうであったように、最終的に万物は創造主による、「最後の審判」へと至ります。大潮流を止めることの出来る方は、神ご自身だけですが、起こされた(始まった)以上、それは「完成」へと至ります。第一の潮流は、人間的な「世の大波」です。第二の潮流は、神が「終わりの時」に完成される、霊的な大潮流です。


 この二つの異なる大潮流の中で、エクレシアは「賢い乙女」号として、船旅のゴールである、御国へと目指していることを、今一度覚えようではありませんか!エクレシア号の中心に座して折られる方は、神の御子イエス・キリストです。この方と私たちが、常に「一体」として働かなければ、私たちは簡単に「世の潮流」に呑み込まれ、最終的に破船します。


 この日本は、好むと好まざるとに関わらず、恐らく平和を貫く為の「国防(戦争)」が美化されてゆくでしょう。この流れに異を唱える言論は封殺され、時の為政者たちにとって、都合の良い政策を通して、国家の「舵取り」が為されて行くでしょう。その中で嫌が応にも、世界的「大潮流」に組み込まれ、最終的には「新世界秩序」という名の、世界統一政府(ニューバビロン・ワールド)の、隷属国家となります。


 しかし私たちキリスト者は、決して「恐れ」の波に呑み込まれてはなりません!エクレシア号を、大波の中にあっても舵取って下さる方、即ち真理の御霊なる「聖霊様」が、私たちと共に居て下さるからです。今の「終末の時代」にあって、生きた聖なるエクレシアとして、私たちが御国へと凱旋する、その力強い「舵取り(船頭)役」に、私たちは信頼しながら、タイミング良く三つの「帆」を上げ、日々忍耐をもって「オール」を漕いで行きましょう。


 ゴールは目前に迫っています。イエス・キリストは再臨されます。「その時」に賢い乙女たちは、「待ってましたー!私たちは絶えず喜び、如何なる時にもあなたを待ち望み、日々祈り続け、そして如何なる状況にあっても、感謝の捧げものを携えて待っていました。聖霊様が私たちを、正しく導いて下さっていることを、何よりも感謝します!預言的啓示をもって、私たちをキリスト・イエスにあって、一つとして下さっていることを感謝します。」と、高らかに告白するのです。


 イエス・キリストの豊かな「守り」と「導き」、そして聖霊様の豊かな「油注ぎ」と「預言的啓示」、主なる神の偉大なる「祝福」と「平安」が、如何なる場合においても祈り続け、日々喜びと感謝を捧げ続ける、あなたの信仰の歩みに臨みますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年7月10日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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