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命と心の健やかなる成長のために!
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あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.40)

    「キリストの軸」にシフトする




サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が・・・・言われる。「私あなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりに、実は死んでいる。目を覚ませ、死にかけている残りの者たちを強めよ。・・・・サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着て私と共に歩くであろう。・・・・勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。・・・・
フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。・・・・「私はあなたの行いを知っている。・・・・あなたは力が弱かったが、私の言葉を守り、私の名を知らないと言わなかった。・・・・それ故、地上に住む人々を試す為、全世界に来ようとしている試練の時に、私もあなたを守ろう。私は、すぐに来る。あなたの栄冠を誰にも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。勝利を得る者を、私は神の神殿の柱にしよう。・・・・私はその者の上に・・・・天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、私の新しい名を書き記そう。・・・・
ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。・・・・「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくも熱くもない。・・・・そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金を私から買うがよい。・・・・身に着ける白い衣を買うがよい。また、見えるようになる為に、目に塗る薬を買うがよい。・・・・だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って、叩いている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。勝利を得る者を、私は自分の玉座に共に座らせよう。私が勝利を得て、私の父と共にその玉座に着いたのと同じように。・・・・

                                            【ヨハネ黙示録3章】


エクレシアの「完成形」
 今の「エクレシア」は、完全なる姿ではありません。「エクレシア」が完成される時とは、花婿なるイエス・キリストと、新しい天地である御国において、キリストの花嫁が「婚礼」を挙げる時を指します。そうです!今までの「エクレシア」が、聖霊様の働きを通して、霊的に欠けていた部分が、見事に組み合わされ「一つ」となる時、神との親しい「交わり(礼拝)」が、新しいフォームで完成されるのです。


 今の「エクレシア」が霊的に練り聖められ、いよいよ「完成形」へと整えられる時には、「この世」に軸を置く世俗的教会も続出します。サタンは、私たちが神の「真理(真実の道)」よりも、この世が提供するもの、つまり私たちの肉を満足させる、世俗的な「教え」や「イベント」等を提供することで、汚れに満ちた教会を造り上げることに必死です。
  
 しかし覚えて下さい!聖霊様が諸々の「エクレシア」に告げる、最終的な「新しいフォーム」が、如何に素晴らしい次元の中にあり、霊的に花婿と組み合わされ、麗しい「一つの体(フォーム)」として完成されること!この奥義を知る時に、私たちは「確信」と希望に満ちた「誇り」を戴くのです。


三つの「エクレシア」の役割
 今回の記事に登場する「サルディス」「フィラデルフィア」「ラオディキア」、この三つのエクレシアの霊的雛型は、他の四つのエクレシア同様に、七つの燭台上に立ち並んでいます。そしてその在り様(デザイン)は、上(神の視点)から見た時に、聖い七つの「完成形」の配列として、七つの「光」を発します。又その七つの各「光」を、直線で結び合わせた時に、「ダビデの星(七つの光)」になります。


 そうです!七つの霊的個性を持った「エクレシア」が、一つの「軸(イエス・キリスト)」を土台とする時に、「七つの光」を放つ、麗しい「一つの体(フォーム)」が現れ出るのです。確かに各「エクレシア」には、それぞれ欠点(欠けたところ)があります。その「欠けたところ」に、聖霊様が働かれる時に、イエス・キリストという、唯一の「軸」に結び合されることで、天上の「豊かさ(祝福)」が満ち溢れる、麗しい「花婿」と「花嫁」の一体化が完成されるのです。


 それ故に聖霊様は、私たちキリスト者に対して、霊的に厳しく勧告されます。「今は世の軸に、あなたの足を置く時ではありません!直ちにキリストの軸にシフトしなさい!あなたの生活から、あなたの信仰、あなたの語る言葉など、全てに渡ってキリストの軸に、シフトしている限り、決して揺るがされることはありません!」と。


 各「エクレシア」が、「キリストの軸」の上に、霊的に「一つ」として融合されるべく、聖霊様が各エクレシアに対して、「備えの時」を用意し個別に働かれます。「賢い乙女」と「愚かな乙女」の、最大の霊的相違点は、何処に霊的な「軸」を置いていたか?という点です。「賢い乙女」の場合、彼女たちの関心事は、ただ「花婿(主人)」が、いつ帰って来ても良いように、日々の「備え」を決して怠らないこと、つまり「花婿(主人)」との交わり(食事)が、いつ来ても整えられるべく、花婿そのものに「軸」を置いていました。


 それに対して「愚かな乙女」は、最初は「準備」を整えていましたが、いつしか待ちくたびれて、次第に「この世」の事に、生活の「軸」を移すようになりました。サルディスとは「残された者」を意味します。このサルディス教会を、霊的に統括される方は「聖霊様」です。その聖霊様が、強く勧告するのは「死んでいるのか、生きているのか、はっきりしなさい!」ということです。エクレシアが霊的に生きているのであれば、必ず生きた働きを伴いますので、「賢い乙女」は常に目を覚まして待機する、それが霊的に「生きている」ことです。


 二つ目のフィラデルフィア教会は、「フィーリア(友愛)」的な集まり、つまりコイノニア(霊的交わり)を優先するエクレシアを意味します。ですからこの教会の場合、霊的に戒めるべき点はありませんが、試練の時には「イエス・キリストの栄冠を、固く守り通しなさい!そうすれば、あなた方の信仰は、決して揺り動かされることが無い!」と、更に聖霊様が上よりの「力」をもって、霊的に強めて下さいます。


 三つ目のラオディキア教会の場合は、「ラオ(世俗的な)」と「ディキア(習慣、しきたり、伝統等)」との合成語ですから、文字通り「世俗的教会」を指します。実は世俗化された教会が、日増しに増加している今日ですが、そのような教会においては、イエス・キリストの真実の「福音」が、講壇から語られることはありません!むしろ会衆にとって、耳触りの良い「ハッピー・メッセージ」が、派手な演出と共に用意されるだけです。しかし聖霊様が私たちに対して、「熱いか、冷たいか、はっきりしなさい!」と命じられる時、私たちは「賢い乙女」の如くに、霊的に「熱く」して下さる、聖霊様の導かれる方向に、喜んで着き従って行こうではありませんか!


 今日のラオディキア・タイプのエクレシアに対して、聖霊様が「熱くなりなさい!」と、激しく臨まれる理由は、聖霊様の「炎(火)」をもって、今のキリスト者を純金の如き、「聖なる器」として霊的に精錬する(造り上げる)為です。その時に「不純物(世の汚れ)」は必要ありません。


 さて、私たちはイエス・キリストから、「何」を買う(無代価で戴く)のでしょうか?それが「白い衣(花嫁衣裳)」と「目薬」です。イエス・キリストから戴く「目薬」とは、「神の国」と「神の義」のみを求める、「霊の眼」を霊的に健全な状態に保つ、イエス・キリストの聖なる「唾(命の言葉)」です。


「花婿」来りてノックする時
 私たちが置かれている「今」の状況が、まさしくラオディキアです。何故ならば、花婿なるイエス・キリストが、いよいよ花嫁の元を訪れる、即ち私たちの「霊の扉」をノックして下さる、その直前の時に至っているからです。


 仮に今日のキリスト者が、「世の軸」に留まっているとしたら、それは「愚かな乙女」の一員です。しかし私たちは、イエス・キリストという、揺るぎ無き土台の上に、信仰の軸を据えている限り、私たちこそが「神の宮」として、新しい「天」と「地」を受け継ぐ、真のキリストの「花嫁」です!その為にも、私たちは「霊の耳」をもって、花婿が近付く足音を聞き逃さないようにしましょう。「霊の唇」をもって、イエス・キリストの「真実の愛」を語りましょう!聖霊様を通して、更に「熱く」仕立てて戴きましょう!


 私たち「終末のエクレシア」が、常に目を覚まして準備すべきもの、それがキリストの「燭台」です。あなたの「霊の眼」に、この燭台の完成形が見えていますか?あなたに映る燭台は、もしかしら中心軸のイエス・キリストの光は見えていても、他の光(炎の燃え方)が少し弱く見えるかも知れません。だからこそ、聖霊様は「常に油(燃料)を準備しなさい!」と、強く戒められるのです。


 エクレシアを召集した方は、主イエス・キリストです!私たちは呼び集められた以上、聖霊様を通して、「聖なる油」を絶やすこと無く、イエス・キリストにのみ、自分の「信仰の軸」を置き続ける時に、私たちは「神の宮」の柱として、御国の地にて打ち立てられるのです。「もしあなた(私)が、確信と希望に満ちた誇りとを持ち続ける限り、あなた(私)こそ神の宮である!」と宣言された主イエス・キリストが、あなた(私)に必ず「勝利」を用意して下さいます。


 どうぞ聖霊様との、親しい「交わり」の時が、あなたの信仰の「歩み」と、その揺るぎ無き霊的「軸(柱)」の上に、豊かに増し加わりますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年12月18日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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