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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.39)

  「真の光」を仰ぎ求めるエクレシア




ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。・・・・「私は、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近頃の行いが、最初の頃の行いに優っていることも知っている。しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。・・・・この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなた方に言う。・・・・ただ、私が行く時まで、今持っているものを固く守れ。勝利を得る者に、私の業を終わりまで守り続ける者に、私は、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。・・・・勝利を得る者に、私は明けの明星を与える。耳ある者は、御霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」
                                          【ヨハネ黙示録2章18~29節】


「イゼベルの霊」の台頭
 今回の記事にある、第四のティアティラ教会は、霊的に①賞賛すべき部分と、②警戒すべき部分が詳細に記されています。これは当然、今の「終末の時代」にも適用される、重要な奥義であり、私たちがキリストの「真実の愛」に根ざしながら、純潔を守り通す「キリストの花嫁」として、しみや傷など一切の「汚れ」無き、聖なる状態(品格)を保つことが求められています。


 しかし「現実」は、そのような聖い「行い」を守り通す、聖なるキリストの群れ(エクレシア)に対して、サタンが巧妙に様々な「罠」を仕掛け、代々この都市に巣くっていた、歴史的「文化」と「習わし(習慣、伝統)」、そして昔から続く様々な「因習」などを通して、ユダヤ人のコミュニティを、霊的に貶めようとする、汚れた「流れ」の現れが既に表面化していました。


 それが「イゼベルの霊」です。この「イゼベルの霊(邪霊)」は、今の時代にも表面化しています。今日の「イゼベルの霊」は、柔和な羊を装った「貪欲な狼」の如き存在として、全てのキリスト者を「背教」の方向へと、霊的に貶めようとしています。


 ティアティラ都市は元々、伝統的に「太陽神」を礼拝する民が主流でした。当然の如くに、ユダヤ人コミュニティにおいても、「太陽神」こそ礼拝しないものの、文化的に混在した生活を営む人々が出てきます。しかし、今回のティアティラ教会においては、殆どのキリスト者が「背教の罠」に陥って行く中、霊的に純潔を守り通す、「賢い乙女」が残されていたのです。


 このように「あの・・・・女」(20節)とは、世の汚れた「流れ」に身を染めた、即ち「イゼベルの霊」に組した、偶像崇拝の群れ(愚かな乙女)であり、世俗的な「教会組織」を指します。この世俗的教会は、まさに世界各地で繁栄を究め、特にアメリカでは顕著に現れ出ています。しかし、そのような霊的汚れに染まった神学(教え)ではなく、イエス・キリストの「真実の愛」に根ざし、イエス・キリストの「贖い」の御業は、如何なる「汚れ」をも、完全に破壊し聖めることの出来る御力がある!と信じる、それがホンモノのキリスト者です。


ティアティラに「残された民」 
 私たちは最終的に、新しい「天」と「地」を相続する、「神の子」としての特権が与えられています。その特権的「しるし」が、イエス・キリストという「小羊の刻印」です!それ故に私たちは、如何なる「イゼベルの霊」にも、決して流されることの無い、聖霊様の聖い「命の水」の流れに導かれているのです。


 「太陽神」は偽りの光です。何故なら太陽光自体が、所詮「有限的な光」に過ぎないからです。創造主が仮に、太陽(恒星)に対して「光よ、失せよ!」と、直々に「命の言葉」を発したとしたら、その時点で「太陽」は光を失い、存在自体が消滅します。ですから「太陽」に希望を置いている人々は、その時から死ぬだけです。そうです!目に見える「事実(偽りの光)」に期待している者は、それが見えなくなった時に、生きられなくなる訳です。


 しかし私たちキリスト者は、見えざる「神の事実」の中に、イエス・キリストという、「真の光」を通して新たにされ、何よりも「復活の命」を戴いている!という、揺ぎ無き信仰を戴いています。それ故に、イエス・キリストの「真実の愛」を、宝石の如くに大事にしているのです。その結果、私たちは「キリストの証人」として、「イエス・キリストこそ、真実の光です!この方を信じるだけで、全ての罪の重荷や、様々な苦しみ等から、直ちに救われるのです!」と、大胆に証言して行くのです。


 素晴らしい事に、ティアティラ教会の「残された民」の中には、イゼベルの霊に騙されること無く、ひたすら花婿イエス・キリストに対して、聖なる純潔を守り通した、真の乙女(キリストの花嫁)が存在しました。その群れに対して、イエス・キリストは「勝利ある者たちよ!」と、大いなる「励まし」の御声を発して下さいました。


 今日の「混沌とした時代」の中にあっても、決して汚れることの無い乙女の群れ、それが預言的エクレシアのモデル(雛型)であり、このティアティラ教会です。悪魔サタンは今も尚、巧妙に様々な「罠」を仕掛けて、花嫁(エクレシア)の持つ霊的「弱点」や、「好み(嗜好性、欲望)」などに付け込んで来ます。エバに近付いた蛇の如くに、今度は羊のなりをした狼として、「イゼベルの霊」を送り込むのです。


 ここで覚えておくべき点は、サタンがもたらす「もの(情報等)」は全て偽りであり、決してそこには「真実」が無いことです。ですからサタンは、「偽り」を「ホンモノ」の如くに、巧みにすり替える、つまり「欺く」ことを得意とします。エバが騙された戦術(策略)が、まさに「欺き」です。


 この時に聖霊様は、私たちに対して厳しく警告を発します。「あなたは小羊の聖なる衣を、いつも身に着けていますか?」と。私たちが仮に、小羊の「聖なる衣」を身に着けていることを、うっかり忘れているとしたら、私たちは「別の衣」を求めていることになります。しかし小羊イエス・キリストに優る、麗しい御名は存在しません。そうです!イエス・キリストこそが、私たちの罪の全てを贖った、唯一の「神の小羊」です。


真の「明けの明星」を戴く!
 さて私たちは、いよいよ祈るべきことが「一つ」あります。花婿イエス・キリストが来臨する前に、サタンの「欺き」に騙されている人々を、その悪しき縄目(束縛)から奪還することです。「勝利を得る者に、私も明けの明星を与える。耳ある者は、御霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」(26~29節)ここで使用されている「明けの明星」は、霊的に隠喩表現であり、ある重要な奥義が示されています。


 イエス・キリストが、ご自分のこと(品性、聖さ、麗しさ等)を表明する時に、この「明けの明星」という称号を使用されることがあります。即ち「イエス・キリスト」という存在は、私たちの「霊」の只中に、太陽が昇る前の東の空に、一番に目立つ程に輝く金星(明けの明星)の如くに、「真の光」として常に輝く方である!という、重要な真理を喩えています。


 私たちは、サタンが様々に演出する「偽りの時代」にあっても、「偽りの光」を一掃する程の、重要な「明けの明星」のエクレシアとして、聖霊様は用いられるのです。その為にも、イエス・キリストは御国の「権威」と「力」を、私たちに授けて下さいます。


 ですから私たち日本人キリスト者は、絶えず霊的に目覚めながら、大収穫の時に至るまで、激しく祈り求めて参りましょう!聖霊様だけが、私たちを唯一の「真実」に至らしめる、「助け主」であることを信じて、イエス・キリストにある「勝利」を、いつも戴いて参りましょう!


 主イエス・キリストの豊かな「真実の光」が、花婿を純粋に慕い求める、「賢い乙女(エクレシア)」の上に、更に輝きをもって注がれ、かつ前進することが出来ますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年12月4日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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