バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.36)

   将来に「希望」を保証するプラン




私は、あなた達の為に立てた計画を良く心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。その時、あなた達が私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見出し、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる。私はあなた達をあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
                                        【エレミヤ書29章11~14節】


神の「保証」と世の「保険」の違い
 今回の御言葉は、この世にある様々な「保険契約」と、プラン面に関して比較しますと、如何に神の「保証」が、この世の次元には無い、素晴らしい「永遠」の次元にあるかが見えてきます。例えば自動車に乗るのであれば、強制的に「自賠責保険」に加入しなければなりません。その他に「任意保険」もあります。


 これは強制的ではありませんが、自分の運転技術に自信があっても、何となく「もしもの時(場合)の・・・・」為に、殆どの人が契約します。この「もしもの・・・・」という発想は、決して「良きこと」を想定したものではなく、その全てが「不測の事態」や突然の「災い(不幸)」、また不慮の「事故」等を、前提としているのではないでしょうか。


 如何にこの世の「保険プラン」が、私たちの「不安(心配事)」や「恐れ」と「悩み」など、三次元的レベルの「思い」を駆り立てながら、それらを一時的に回避する為の、人の「知恵」に過ぎません。「病気」「災害」「死亡」等をゴールとして設定しながら、契約者から「月額金」を徴収します。しかし覚えて下さい!それらの「保険プラン」は、あくまで「病気」「災害」「死亡」に遭遇した時に、保険金が支払われるのであって、「病気」「災害」「死亡」そのものから、逃れることの出来る保証は無いのです!


「平和」の計画(プラン)
 しかし今回の御言葉にある、神の「保証プラン」は、その提示する「ゴール」が、「平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」と断言しています。ところで「災害」とは、人為的であっても、自然的であっても、私たちが営む社会の「秩序(構造)」を、突然に破壊する事象である!と、お役人は説きますが、私たちは「災い」イコール、自分にとって有害となるもの、また自分が望んでいない事象など、それら全てを「災い」と見なします。


 では逆に「自分にとって害を与えないもの」、「自分が望んでいる良き事象」を表すものは、果たして如何なる言葉でしょうか?実は辞書にもありません。即ち「災害」の反対語はありません。対義語として「平和」がありますが、この「平和」という言葉は、どちらかと言えば「戦争」の反意語です。


 主なる神が用意するプランには、「お金」がかかりません。私たちが毎月支払う「支出項目」の中で、一番真っ先に来るものは、腹立たしい程に値上がりする「税金」です。次に「水道光熱費」と来る訳ですが、三番目に来るものが各「保険金」です。しかし主なる神が、私たちに無代価で提示する「保証プラン」は、最優先に「平和の計画(プラン)」です。この場合の「平和」とは、単なる「戦争」が無い状態のことではなく、何の「恐れ」や「不安」も無き状態(次元)です。


 私たちが抱く「恐れ」や「不安」の次元とは、その殆どが「先(将来)」に対する事柄です。しかし、主なる神が私たちに示す「平和」は、私たちに対する永遠の「保証」であり、絶えず見守り続け、祝福を与え続け、最終的には御国において、私たちに対する「ご計画」を完成する、つまり「真実の保証」を用意するものです。


三つの信仰行動
 ですから「平和の計画(プラン)」には、二つのものがセットとして組み込まれています。第一に①地上がもたらす全ての「災害」を一掃する程の、主なる神の「幸(幸福)」です。第二に②私たちに必要なものを、豊かに余りある程に与えて下さる、真の牧者なる方(イエス・キリスト)の「祝福」です。これらは「将来と希望を与えるもの」です。この神の「平和の計画(プラン)」を、私たちが受け取る為には、「あなた達が私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるなら見出し、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう」の御言葉にある、具体的な信仰行動が必要となります。


 仮に、私たちが「金銭面」において、不足の状態にある(置かれた)時、如何なる行動に移りますか?金銭を少しばかり借りるべく、貸してくれる相手に対して、先ずは信頼し、次に具体的にその人の元を訪ね求める、これがストレートな信頼(信仰)行動です。この場合の「信頼」とは、まるで自分が「赤子」の如くに、貸す側に対して「母乳」を求める、つまり何の「隔て」も無き、純粋に信じ合う関係のことです。


 神の「保証プラン」を受け取る、具体的な信仰行動とは、①神ご自身を呼び求めること、②神に対して「神の幸」と「神の祝福」の次元を祈り求めること、③与えられるまで信頼して待つこと、この三点です。私たちの人生は、ありとあらゆる「害」に囲まれ、自分が嫌だと思う程の、様々な苦痛(不幸)にさらされています。しかし主なる神は、それら全てをご存じの上で、私たちに対して信仰の叫び、つまり霊的コールを発信するように、聖霊様を通して促しておられます。


 そうです!私たちは神にコールし、神に対して契約印を押しましょう。「主よ、私は今苦しんでいます。この害は要りません。私に本当の麗しい次元を見せて、そして与えて下さい。最終的に、私の命が尽き果てる時には、完成した麗しいものが、御国において保証されることを信じます!」と。


 神との「平和の計画(プラン)」契約が成立した結果、主なる神は如何なる事(約束の保証)を、イスラエル民族に与えるのでしょうか?先ず第一に①子孫を元のポジション(祖国)に連れ戻すことです。第二に②本来の麗しい状態へと変えることです。それは具体的には、国家ばかりでなく、国民の基本生活から各家族(一族)の在り様が、何一つ害されることの無い程に、麗しく豊かに造り変えられ、素晴らしい神の「平和」の中で確立することです。つまり元に戻し、新しく造り変えることが、この契約のゴール(最終形)です。


 真実の神が「ご計画」として、私たちに保証する「祝福」の契約は、永遠に続くものであり、「将来」に対して素晴らしいものを、必ず保証として与えるものです。是非あなたも、この「平和の計画(プラン)」を信じて受け取り、赤子の如くに「主よ、私はあなたのご計画を信じて、今受け取りますから、私の歩みに害するものを、ことごとく打ち滅ぼして下さい!あなたに私の全てを託します。どうぞ宜しくお願いします!」と、声高らかにコールして参りましょう。


 どうかあなたが、常に神の「ご計画」の中で、新しく造り変えられながら、多くの人々を「神の国」へと、連れ戻すことの出来る、素晴らしい霊的大収穫の働きに、更に召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年10月10日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

英語版(エステル処方)は以下から! 


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する