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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.44)

     心の停止ラインが見えますか?




私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。・・・・私を愛さない者は、私の言葉を守らない。あなた方が聞いた言葉は私のものではなく、私をお遣わしになった父のものである。・・・・しかし、弁護者、即ち、父が私の名によってお遣わしになった聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が信じたことをことごとく思い起こさせて下さる。私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではい。心を騒がせるな。怯えるな。
                                     【ヨハネ福音書14章21~27節】


人生の「指導教官」聖霊様
 毎年思わされることですが、何故12月になったからと言って、慌ただしく人が動き回るのでしょうか?年末の行事がこの時期に集中し、商売の掻き入れ時ということもあるでしょうが、私たちがその流れに呑み込まれ、気が焦ってしまいますと、何らかの事故(交通事故やトラブル)に、嫌が応にも巻き込まれる可能性があります。その原因は、恐らく精神的要因にあると思われます。心の中に普段の「ゆとり」が無くなる程、何かに騙される形で、翻弄されているからではないでしょうか。


 しかし私たちキリスト者は、「この世」の流れに翻弄されてはなりません!私たちは、確かに「弱い」存在ですが、一つだけ偉大なる「福音」があります。それは「助け手」なる方、聖霊様が今も尚、私たちと共に居て(ご一緒して)下さる!という事実です。聖霊様は私たちを、「一時」だけ助ける方ではありません。私たちがイエス・キリストと合いまみえる、その素晴らしい「来臨の時」まで、聖霊様は片時も離れること無く、守り導き続けて下さる方です。


 そして聖霊様は、私たちの「人生」の歩みの指導教官として、手取り足取り教えられる方です。ある時は、私たちが身勝手に走り始めますと、それを見守る傍ら、迅速に「そっちに行っては危ない!」、「ここで止まりなさい!」などと、様々に霊的危機(事故)を回避して下さいます。


 余談になりますが、「道路交通法」という法律は、他の「民法」や「刑法」などと違って、法律違反に対する裁定の解釈として、「情状酌量」の概念が全くありません。一見冷たい法律に見えますが、その理由として法律制定の、三つの目的にあるのではないでしょうか。第一に①道路における危険を防止するため、第二に②交通の安全と円滑を図るため、第三に③道路の交通に起因する障害の防止に資するため、この三つです。


 実は、聖霊様が私たちの信仰生活に対して、様々に関わって下さる目的は、道路交通法の主要な三つの目的に類似しています。特に聖霊様は、神の「掟」を守ることが出来るよう、私たちの霊的「弱さ」や「欠けた所」をカバーし、丁寧に教えながら指導して下さいます。「もっと私を信頼して、私の助けを追い求めなさい!」と。


「神の息」なる聖霊様の働き
 ところで、最初の人(アダムとエバ)が犯した「罪」とは、一体何でしょうか?「それは創造主が定めた、最初のルールを破って、善悪の木の実を食べたことです!」と、多くの人々が即答することでしょう。しかし私たちが、この「罪」の本質を、正しく理解していなければ、私たちも彼ら同様に「罪」を繰り返す、愚かな存在(罪の末裔)となります。「罪」の本質の正しい回答は、彼ら(私たち)が「神の息から離れた!」ことです。神が「最初の人」に与えて下さった賜物であり、「神の息」とは聖霊様のことです。


 そうです!聖霊様が、内住して下さる「助け主」として、彼らと常に「ご一緒」して下さいました。しかし彼らは、内住の神の「御心」を無視して(忘れて)、自分の肉の力で「善」と「悪」を、判断(識別)することの出来る、サタンの言葉に聞き従いました。彼らは「神の息」を捨てて、自分の「息」に頼る、自己中心の生き方を選択したこと、これが「罪」の原点です。「罪」はギリシャ語でハマルティアと言い、神に背を向けて(離れて)生きることです。


 しかしその結果、人はトラブル(事故)続きの生き方を余儀なくされました。それ故私たちが、神の「安息」に留まり、神の「掟」通りに歩みさえすれば、主なる神は「全て」のことを、相働かせて益として下さいます。そうです!私たちの「歩み」の一歩先を、確かなものとして下さる聖霊様に、私たちは信頼して従って行くだけで、神の「祝福」が備えられます。聖霊様は常に励まします。「イエス・キリストに従いなさい!イエス・キリストだけが、あなたの足をしっかりと支え、踏み行く先々に必要なものを、既に用意して下さるが故に、あなたは一歩一歩、確実に歩んで行きなさい!」と。


 そうです!聖霊様が促す「呼吸リズム」は一歩一歩、つまり「イエス・キリスト」のみを見上げ、イエス・キリストの「足跡」のみを踏み行く、単純な信仰の「歩み」です。ところが私たちは、時折急かされるかの如くに、一歩どころか先々にまで「思い(心配)」を馳せ、自分で「呼吸リズム」を確立するなど、先走りしようとします。そうなると、私たちの「霊の目」には、心の停止ラインが映らなくなります。


 聖霊様は常に、私たちに警告を発しています。「待ち(停止し)なさい!これを超えると危険です。」と。仮に私たちが、聖霊様からのレッド・シグナルを、例えば「赤点滅」ではなく、「黄点滅」と錯覚(或いは信号無視)しますと、何らかの事故(人間関係上のトラブルばかりか物質的損失)に、必ず遭遇することになります。


 私たちの「人生」は、罪に満ちた「この世」に生きている以上、「助け手」という存在が無ければ、人生の正しいガイドラインが見えないなど、トラブル続きの人生を強いられ、最終的には「自損事故(霊的な死)」を招くことになります。聖霊様の最大の働きは、私たちが神の「掟」を守ることが出来るよう、全てを手取り足取り①教え、それと同時に②助けることです。


 覚えて戴きたいことは、サタンは常に私たちの「霊」に働きかけ、心の停止ラインを消しています。イエス・キリストではなく、別のものを追い求めるようにして。その時にも聖霊様は、激しく臨んで警告します。「あなたは今、(その歩み方、息使いは)大丈夫ですか?心の停止ラインが見えていますか?」と。


 いよいよ「この世」の君サタンは、全てのキリスト者を騙すべく、偽りの「教師」や「預言者」を台頭させる、そんな時代に入っています。彼らも巧みに、聖書の言葉を語りますが、一番肝心なる方イエス・キリスト、そして「助け手」なる聖霊様のことは語りません。そいう意味で、私たちキリスト者にとって、一番に語るべき、かつ求められている「福音」、それが聖霊様の働きです。聖霊様は「真理の御霊」であると同時に、「助け主(弁護者)」なる方だからです。


 仮にあなたが、心の停止ラインが見えなくなっているとしたら、また霊的に暗中模索の状態にあるのでしたら、逆に聖霊様があなたの傍らに立ち、激しく臨んでいる時であることを、是非受け留めて下さい!あなたが受け留めなければ、サタンは益々「そんな停止ラインは無視しなさい!あなたの力で何とか乗り越えることが出来ます。」などと、神の「御心」から離れるように誘導します。そうなると最終的に、あなたは「反キリスト」が登場した時に、「この方こそ、待ち望んでいたホンモノ(メシア)だ!」と、受け入れてしまう(膝を屈める)ことになります。


イエス・キリストの与える「平和(安息)」
 しかし「真実の花嫁(賢い乙女)」は、こんな時代だからこそ益々「花婿なる主イエス・キリストよ、早く来て下さい!助け主なる聖霊様、命の水をもって、常に私の霊を満たして下さい!」と、激しく飢え渇き続けるのです。今の「終わりの時」に当たり、イエス・キリストは私たちに対しても「私は、平和をあなた方に残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではい。心を騒がせるな。怯えるな。」(27節)と、素晴らしい励ましのメッセージを与えます。


 この御言葉を、原語では具体的に三つの行動を為すよう、私たちに促しています。第一の行動は①心配してはならないことです。神が与える「平和」とは、世が与える次元のことではなく、神との「交わり」が、永遠に保たれていること、即ち真実の「安息(休息)」です。世が与える平和は、一時は素晴らしく見えても、所詮「見せかけ(偽りの休息)」です。サタンは私たちの心に、「不安」や「恐れ」を煽り立て、盛んに「これが無くなったら・・・・」などと心騒がせます。


 第二の行動は②苛立ってはならない(怒りの状態に留まらない)ことです。第三の行動は③恐れてはならない(あれこれと気に病まない)ことです。これらの三つ(心配、苛立ち、恐れ)の次元は、全て「罪」の支配下にある、奴隷状態を現わしています。それに対して聖霊様は、「あなたに必要なものは、主なる神が全てご存じである。イエス・キリストは、先に何が起ころうとも、今を生かす方です。神の国と神の義を求める者には、必ず祝福が後から追いかけて来ます!」と、様々に私たちの霊を励まして下さいます。


 聖霊様が、常に私たちを助けて下さる方である!、この大いなる「神の事実」に、私たちは従って参りましょう!そして更に、聖霊様に頼って行きましょう!聖霊様は、頼られれば頼られる程、大いに喜ばれる方です。私たちの「弱い」ところに、助けの御手を差し伸べて下さる方です。


 あなたが神の「安息」に留まり続け、聖霊様の「助け」を戴きながら、一年の「締めくくりの時」を、感謝と喜びをもって、神の平安の中で過ごすことが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年12月12日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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