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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.42)

       「自由」を勝ち取る戦い




私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救って下さい。
                                           【マタイ福音書6章13節】


締めくくりの「祈り」
 私たちは、敵の首領であるサタンが、牙をむいて暴れ出す「兆し」よりも、私たちを迎えに来られる、真の花婿なるイエス・キリストが、遂に再臨される「神の事実」を、ワクワクしながら待つ、そんな「時代」に生きています。


 今回の「主の祈り」の御言葉は、イエス・キリストが示された、最終的な「締めくくり」に当たります。弟子たちが生きていた時代は、今の時代と何ら変わりません。彼らはローマ帝国という、巨大な権力国家の支配下にありました。同様に私たちキリスト者も、霊的には空中(天)の支配権を司る、悪魔サタンの支配する、「この世」に暮らしています。


 「死」と「病い」と、様々な「苦難(試練)」と「恐怖」をもって、全ての人々をコントロールする、それが「この世」です。しかし真のキリスト者は、次の「神の事実」を知っています。イエス・キリストの贖いの「血潮」こそが、全ての「死」と「病い」と、様々な「苦難(試練)」等を完全に打ち滅ぼし、真実の「救い」を与える方である!と。


 イエス・キリストは、ローマ帝国の圧政化の中で様々に虐げられ、殆ど奴隷状態の中にあった、当時のイスラエルの民に対して、希望の福音を語りながら、今回の「締めくくり」とも言うべき、「祈り」を捧げるよう教え示しまた。私たちが「最後の戦い」において、怖気づいて霊的に後退する者ではなく、「神の国」を打ち立てるべく、神の兵士として出陣する為には、今回の「主の祈り」が、如何に重要な信仰の祈りであるか、私たちは知る必要があります。


 イエス・キリストは「最後の戦い」において、私たちに完全なる「勝利」を与えるべく、霊的な「奴隷解放宣言」を布告されました。覚えて戴きたいことは、真の「自由」は与えられるものではなく、勝ち取っていくものである!という点です。イエス・キリストは、当時のイスラエルの民の殆どが、霊的に束縛されていることを、痛切に感じ取っていました。イエス・キリストは、彼らにとって何が一番に重要となるのか?肉体的な苦痛や精神的束縛の次元ではなく、「霊」そのものが、ローマ帝国による、見えざる「恐怖」に縛られている限り、それは「奴隷」状態にある!ことを、「神の国」にある真の自由と、対比しながら「福音」を語りました。


二つの「解放」の祈り
 そうです!イエス・キリストは、彼ら(私たちを含む)の霊的な「奴隷状態」を、完全に断ち切る解放の「祈り」を、今回の「主の祈り」で教えられたのです。今回の「祈り」は二つの項目があり、先ず第一の祈りを直訳するならば、「(耐えられない程の)苦しい試練(艱難)に遭わせないで(神の救いの次元へと贖って)下さい。」となります。


 仮に「今の時」に生きる私たちが、彼ら同様の強権的政治の圧力により、様々な苦難に遭ったとしても、霊の次元においては、悪魔サタンに妥協してはなりません!第二の祈りを直訳するならば、「悪しきものの根源である、サタンからの攻撃に耐え得る、神の安息のフィールドの中に、私たちを置いて下さい。」となります。覚えて戴きたいことは、サタンは狂暴な獅子や狼の如くに、私たちに近付いて来る訳ではありません。柔和な羊を装って、優しく寄り添うように近付くのです。


 神の「安息」を守ることは、私たちの努力にかかっています。と言うことは、私たちの「弱さ」を、主なる神は知っておられるということです。私たちは、自分の中にある霊的「弱さ」を知った上で、主イエス・キリストと共に「憩う」こと、つまり神の「安息」に置いて下さい!と、謙虚に祈り求める努力が必要です!


 神の「安息」に生きる為の霊的な「戦い」は、今も尚継続しています。私たちは何の為に生かされ、何の為に働くのか、それは神の「安息」を受け取る為に他なりません。神の「安息」を得る方法は、六日間自分の「手の業」を動かし、七日目には自分の「手の業」を停止して、神の祭壇上に自分の「全て」を捧げる(委ねる)ことです。


聖霊様の「助け」を求めて祈る
 ご存じのように、今の先進諸国においては、コンピューター技術の革新的成長により、人工知能(AI)が人類社会を引導(支配)しつつあります。いずれ来たる社会においては、実際上の労働力がAIに取って代わり、文字通り「人減らし」が進みます。すると如何なる事が起きるのか?AIによって「人」が家畜化されます。サタンの目論む、悪しき「計画」の一端が、自らに膝を屈める者を奴隷とし、逆らう者を削減していくことです。


 しかしイエス・キリストは、「全て」をご存じの方です。霊的に目覚めた、私たちキリスト者は何故、今も尚激しく臨む、聖霊様の導きによって祈り続け、霊的に覚醒し続けるのでしょうか?私たちが「弱い」存在だからこそ、目を覚まして祈り続けるよう、聖霊様が助けて下さいます。目を覚ましていなければ、一気にサタンが侵入して来て、私たちの「霊の砦」を破壊するからです。


 自由な人と、奴隷の違いは何でしょうか?それは一言で言えば、本当の「自由」を知って(得て)いるか否か!ということです。本当の「自由」を知っている者は、ダビデが高らかに宣言したように、「神共に居ませば、たとい死の影の谷を歩むとも、我恐れるにあらず!」と、たとえ何も無くとも、神が私と共に居る限り、神の「安息」が、私を常に導いているので、決して「不安」と「恐れ」の次元には無い!と、確信できるのです。


 それ故に、私たちは「自由」を勝ち取るべく、「無駄なもの」を全て捨てましょう!「もし・・・・が無ければ」などの思い(不安)は、全てサタンがもたらす「無駄なもの」です。それら全ては、神の与える真の「自由」の次元に存在しません。私たちは日々「主の祈り」をもって、神の「安息」に置いて下さるよう、聖霊様に「助け」を求めて、熱心に祈り続けましょう!神と共に憩うという、素晴らしい祝福の次元に、私たちは常に召し出されているのです。


 私たちの「戦い」は、血肉の戦いではありません。「悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように、神の武具を身に着けなさい。私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天に居る悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、全てを成し遂げて、しっかりと立つことが出来るように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。尚その上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことが出来るのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、即ち神の言葉を取りなさい。どのような的にも、霊に助けられて祈り、願い求め、全ての聖なる者たちの為に、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エペソ書6章11~17節)


 物凄い勢いで、悪霊たちは攻撃を激化しています。ですから、私たちは神の武具を身に着けるべく、準備するべき時が「今!」なのです。あなたは如何なる「戦い」の次元に立って、履物を両足に着けていますか?私たちの両足は、「不自由」な霊や、「恐れ」の霊によって縛られている、奴隷の足ではありません!私たちの両足は、神の「福音」を携えて、真の「自由」を人々に届ける、「キリストの証人」としての足です。


 主イエス・キリストの聖い御心が、聖霊様の働きを通して、あなたの霊的戦いにおいて、豊かに現れ出ますように!神の「安息」のみを求める、あなたの信仰の飢え渇きの中に、ほとばしり出る「命の水」の如くに、神の「臨在」と「救い」の勝利が、力強く溢れ流れ出ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年11月28日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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