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終末のエクレシア(No.12)

                    ザアカイの館




イエスは・・・・上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、是非あなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人々たちは皆呟いた。「あの人は罪深い男の所に行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰からだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家に訪れた。・・・・人の子は、失われたものを捜して救う為に来たのである。」
                                                 【ルカ福音書19章5~10節】


「嫌われ者」ザアカイ
 ご存じのようにザアカイは、背丈が非常に低いということで、皆から視線的に見下される立ち位置にありました。それと同時に、彼の職業は「取税人」という、嫌われ屋の立場(世間的評価)にありました。ザアカイの生きていた時代は、霊的世相に関して言えば、今の時代と何ら変わりありません。何故ならば、支配される側(納税する一般民衆)と、支配する側(ローマ帝国などの搾取国家)の統治(政治)構図が、ほぼ同一だからです。


 ザアカイは「税金」を徴収するに当たり、ローマ帝国の権威を用いて、様々に搾取する方法(仕組み)を取得していましたから、いくら(法外な額)でも自由に取り立てました。それ故に、民衆は益々「取税人」に対して憎悪し、「売国奴(ローマの犬)!」という、差別的レッテルを貼りました。


 覚えて戴きたいことは、当然のことながらザアカイの「館」には、同じ職業の仲間たち、また彼の財と権威に媚びを売る者以外は、誰も訪問する者はいませんでした。そのようなザアカイの「館」に、イエス・キリストがわざわざ訪問し、そして宿泊されたのです。この出来事は、今に生きる私たちキリスト者にとって、素晴らしい預言的ストーリーを描いています。


「ホーム」と「ハウス」の違い
 今回のストーリーのキーワードは、ザアカイを毛嫌いする人々が、ザアカイの「館」に対して使用していた言葉と、イエス・キリストが今回使用した、ザアカイの「館」の言葉(言い回し)の違いです。具体的には「home」と、「house」という言葉です。どちらも「家(住まい)」という意味ですが、「ホーム(home)」とは、人が実際に居住する「場所」や、精神的な「拠り所」を意味します。それに対して「ハウス(house)」とは、物理的な建物を意味する、文字通り「住居(屋敷、館)」のことです。


 今回の記事の第一の奥義は、人々が普段から、ザアカイに吐き捨てるように言った、差別的表現に対して、イエス・キリストが今回、ザアカイに対して語った「福音」は、完全に異なる次元にある!という点です。実際に今回、彼らが使用した最初のセリフは、「あの人は罪深い男の所に行って宿をとった。」(7節)ですが、直訳しますと「この男(イエス・キリストのこと)は、罪人のホームに客人として訪れた!」となります。この「言い回し」は、完全なる皮肉です。それと同時に、イエス・キリストに対しては「挑発」であり、ザアカイに対しては更なる「憎しみ」と、「偏見」や「差別」を煽る言葉です。


 何故、このような「言い回し」を、彼らは使用したのでしょうか?それはイエス・キリストが語った、ザアカイに対する突然の「ご命令」に端を発します。「ザアカイよ、急いで降りて来なさい。その訳は、私自らが今日、あなたのハウスに宿泊することになっているから。」(5節直訳)と。そうです!イエス・キリストは、ここで初めてザアカイの「館」を、わざわざ「ハウス(house)」と表現しました。そこはザアカイが暮らす「建物」であり、人々が毛嫌いしている「成金屋敷」のことです。しかしイエス・キリストは、その「屋敷」を、「あなたのハウス」と呼んだのです。


 余りにも突然の、しかも厚かましい程に、予約なしの宿泊を要請した、イエス・キリストの言葉に、ザアカイは度肝を抜かれました。「はー?宿泊を既に決めているですって!」と。彼らは何故、イエス・キリストの「言い回し」ではなく、あえて「ホーム(home)」という言葉を用いて、イエス・キリストを挑発したのでしょうか?彼らの言う「ザアカイ・ホーム(home)」とは、お金だけがたんまり詰まった、人の「温かみ」が全く無い、冷たい「ホーム」だったからです。


 イエス・キリストの「言い回し」に、非常に心打たれたザアカイは、「主よ、私が今まで不正に取り立てた税の全てを、一人一人に四倍にして返金します。」という、とんでもない決断を告白しました。すると、ザアカイの「悔い改め」の決心を、優しく受け留めたイエス・キリストは、次のように語りました。「今日、救いがこの家を訪れた」(9節)と。さて、「この家」に相当する言葉は、果たして「ハウス(house)」と、「ホーム(home)」のどちらでしょうか?三次元的な「言葉」の、やり取りから判断するのであれば、彼らの「言い回し」に対して、同次元レベルから「ホーム(home)」と語ったのでは?と推測できます。


 しかしイエス・キリストは、そのような次元に立つことは無く、一貫して「ハウス(house)」を使用しました。「主なる神の救いが今日、このハウス(house)に訪れた!今から神の偉大なる御業が、このハウス(house)からスタートする。」と。実は「ハウス(house)」とは、霊的に「ザアカイ」自身を指します。と言うことは、ザアカイがイエス・キリストを、自分の「ハウス(house)」に歓迎した時点で、ザアカイは主なる神に対して、「契約」の調印(救いの印)を、霊的に交わしたことを意味します。


あなたが神の「館」として用いられる!
 続いて第二の重要な奥義は、イエス・キリストが、ザアカイに対して語った「福音」こそが、彼の人生の大転換点となったという点です。「今日、神の救いが、このハウス(house)に訪れた!彼も、失われたアブラハムの子孫だから。」実はザアカイの「館」はその後、主なる神の「救い」を現す、リバイバルの起点となります。聖書には、その後のザアカイの「生き方」や、返金する為の膨大な資産等が、如何なるレベルにまで取り崩され、ザアカイの「館」が、果たして残ったのか否か?全く記述がありません。


 不正に「税金」を取り立てた、全ての人々に対して、ザアカイは涙を流しながら、「イエス様の愛ですから、どうぞ受け取って下さい!」と、四倍ものお金を渡しました。そして彼は更に続けます。「私は罪人です。しかし、罪人の私のハウス(house)に、イエス様はお泊りになり、私の全ての罪を赦して下さり、私はこのように、新しく造り変えられました。ですから、イエス様の愛をもって、私は皆様方にお返ししたいのです!」と。


 すると、彼らの間に何が起きたのでしょうか?先ず①(人間関係の)修復が始まります。そして同時に、今までの霊的な「隔ての壁」が撤去され、②心の傷等の病が癒されて行きます。そして何よりも③「命の言葉」を発する、ザアカイの音声を聞いて、人々の「霊」の只中に、ザアカイが得たのと同様の、イエス・キリストの「命の水」を慕い求める、霊的回復(飢え渇き)の時、即ちリバイバルが起きたのです。そして人々は、ザアカイの「ハウス(house)」、若しくはザアカイ自身の元を訪れます。生きた神の「命の言葉(証言)」を、直接聞く(受け取る)為に。


 「今の時」は、まさしく「搾取する側」と、「搾取される側」という、二極化が著しく増加する時代です。しかしザアカイの館に、神の「救い」が訪れ、リバイバル(霊的回復)が起きた如くに、神の「救い」が希望の光の如くに、この日本に必ず訪れます。ザアカイの人生は、イエス・キリストの訪問によって、百八十度変えられました。


 あなたも、イエス・キリストが訪問される、神の「ハウス(house)」です!いよいよ「あなた(私)」を通して、多くの人々がイエス・キリストの「救い」に、不思議なる方法であずかる時が来ています。イエス・キリストは、わざわざザアカイを捜して、彼の館を訪問しました。あなたもザアカイ同様に、イエス・キリストの「ハウス(house)」として、「今の時」に召し出されているのです!


 あなたが「福音」を携え、出かけて行く「その時」に、彼らに対して宣言します。「今日救い主イエス・キリストが、あなたの中に泊まることになっている!イエス・キリストは、失われた魂を救うために、あなたの元を訪れたのです。ですからあなたは、イエス・キリストの救いを、無代価で受け取って下さい!」と。


 そうです!私たちは、物凄い時代の中に生かされ、かつ召し出されています。イエス・キリストが、あなたという神の「ハウス(house)」を、必要とされているのです。そう!「終末のエクレシア」として。私たちが返すことが出来なかった「罪の負債」を、イエス・キリストが返済して下さいました。それ故に、私たちは「イエス・キリスト」を無代価で、人々に届ける使命があるのです!


 ザアカイの人生のフィナーレは、神の偉大なる「喜び」に満ち溢れた、神の「家族」の一員として召し出された「救い」の人生、即ち素晴らしい神のリバイバルになりました。あなたにもザアカイの信仰の油注ぎが、聖霊様を通して豊かに注がれ、イエス・キリストの「救い」の祝福を、多くの人々に流すことの出来る、神の「ハウス(house)」として、新しい人生が確立されることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年3月27日メッセージ)


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