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神のご計画(No.35)

   二つの「契約」を果たす神(契約主)




主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなた達を顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなた達をこの地に連れ戻す。
                                       【エレミヤ書29章10節】


第一の「実行プラン」
 今回の御言葉は、霊的イスラエルである、私たちキリスト者に対しても、聖霊様が届けて下さっている、主なる神の偉大なるメッセージです。しかもそのメッセージは、「契約」として与えられていて、その内容として二つの重要な、神の「実行プラン」が示されています。


 南のユダ王国が、バビロン帝国によって滅ぼされ、彼ら国民が捕囚の憂き目に遭う、その七十年後に、主なる神が再びユダの民を、約束の地に連れ戻すべく、「実行プラン」を果たすことを、今回のメッセージとして、主なる神は事前に語られました。「バビロン捕囚」という出来事は、彼らにとって不幸な体験でしたが、実は神がバビロン帝国を用いて、彼らを更に練り聖める!という、神の壮大な「ご計画」の一つでした。これはイスラエル民族に対する、神の激しい「熱情の愛」から来るものです。


 今回の御言葉から、私たちが知るべき第一の奥義は、「七十年に渡る神の建築プラン」、つまり七十年をかける程に、新しい「神の宮」を再建するには、イスラエルの民は堕落していた!という点です。「汚れたもの」を、神は「良し!」とはされません。新しい「乙女(花嫁)」として、彼らを時間をかけて練り聖め、彼らと共に新しい「神の宮」を建て上げること、これが神の「建築プラン」でした。


 ご存知のように神の「契約」は、人の交わす「契約」同様に、一方が勝手に始めて、勝手に終わらせるものではありません。主なる神が「人」と契約を交わす際に、一番に求められ選んだ民族が、イスラエル民族でした。建築物に関わる「契約」文書には、①必ず「期日」という「時」の定めが、記載事項として必要となります。そして最終的に、その建築物が、如何なるデザインになるのか、つまり②「完成形(イメージ)」が示される訳です。


 そうです!今回の御言葉には、神の「契約」に関する、二つの「実行プラン」が示されています。即ち契約を果たす①期日としては「七十年の時」が満ちた頃です。「七十年」という長い歳月が過ぎた頃に、新しい「神の宮」が再建される!ことです。この御言葉を、彼ら全員が知らされた時、殆どの人は信じることが出来ませんでした。しかし神は、この「七十年」という時(期日)を、明確に定められたのです。


 では、実際の歴史を辿ってみましょう。第一次バビロン捕囚(数千人規模のエリート貴族及び祭司、また技術職人の家族の移住)は、BC587年に起きます。この時は、平和裏に事が進められました。文字通り主なる神が、彼らをバビロンの地へと、丁寧に移植したと言えます。ところが翌年のBC586年に、ゼデキヤ王を中心とする反バビロン・グループが、隣国のエジプトを頼って、帝国に対して反乱を企てました。


 しかし帝国にとって、彼らは所詮「弱小集団」に過ぎず、彼らの殆どが殺戮されます。ゼデキヤ王は捕獲され、目をえぐり出され、ユダに残った全ての民と共に、強制的に帝国へと連行されます。これが第二次バビロン捕囚です。この時の彼らは、第一次バビロン捕囚の時と違って、全員が奴隷状態に置かれます。つまり無理矢理、根こそぎ引き抜かれた、「根無し草」の状態になった結果、彼らの殆どが異国の地で、文字通り枯れ果てることになります。


 そして「時」満ちて、BC539年に強大な国メディアから、キュロス二世が台頭し、バビロン帝国を滅ぼした後に、アケメネス朝ペルシャ帝国を樹立します。それから一年後のBC538年に、帝国内の在住外国人全てに対して、「民族解放令」を布告します。その結果、帝国内に居住していた全てのイスラエルの民は、故郷の地に帰還することを許され、第一陣が実際に帰還します。この時の彼らのリーダー的な存在は、祭司たちでした。祭司たちは民に命じました。「今の荒れ果てた、我が祖国を建て直す為に、私たちが最優先に為すべきことは、異邦人の手によって破壊された、神の宮を再建することである!」と。


 この再建プランは、着手してから完成に至るまで、数十年かかる程のビッグプロジェクトでした。そうです!「神の時」が満ちて、「契約」の預言通りに事が成就したのが、まさしく「七十年の後」だったのです。これは全て「人」の計画に拠らず、主なる神ご自身が、イスラエルの民と契約を交わした、第一の実行プランです。


第二の「実行プラン」
 では第二の実行プラン、つまり契約の「完成形」は何でしょうか?「神が再びあなたを、異国の地(ペルシャ)から、故郷の地(シオン)へと、実際に帰還した時には、神の栄光が以前の時以上に、素晴らしいものとして満ち溢れるようになります!」と、エレミヤが既に語っていたように、「あなた達を顧みる」(10節)ことが、神の示す霊的デザインです。この10節の御言葉を直訳すると、「あなた方に対して、私がどれ程、片時も忘れること無く、あなた方に関わることを、私の最優先事項として、私は思い続けている!」となります。


 神の描く具体的な「完成形」は、彼らと交わした「契約」を果たすべく、必ず「連れ戻す」ことです。即ち彼らを連れ戻す為に、「契約」は尚も継続中である!こと、これが重要ポイント(第二の奥義)です。主なる神は、彼らに対する「完成形」を示すことによって、「その時」に向けて希望をもって祈る、そして「その時」を信じて待つ!ことを、御心として彼らに示したとも言えます。


 この時に帰還したイスラエルの民の数は、約四万人と言われています。第一次バビロン捕囚の民が、元々は数千人規模でしたから、七十年後に十倍以上に増加していることが分かります。しかも帰還に費やした経費と、神殿再建に必要な予算は、七十年間に渡って貯蓄した、彼らの全財産からでした。


 覚えて戴きたいことは、彼らを「再び故郷の地に連れ戻す!」と言われた方は、主なる神(契約者・甲)ご自身です。またそれを受領する側は、第一次バビロン捕囚として、異国の地に移植された、イスラエルの民(契約者・乙)です。ですから、彼らと交わした「契約」を、実際に責任をもって果たす方も、主なる神(契約者・甲)です。と言うことは、主なる神(契約者・甲)は七十年という、長き歳月をかけてまで、彼らが帰還するのに必要な、強固な「信仰」を与え続け、実際に必要となる「財力」を、神の「祝福」として、事前に用意して下さったとも言えます。


 彼らは「七十年」という、長き「聖め(準備期間)」の時を経て、次のことを学びました。それは「自分の力で帰還するのではなく、あくまで神が事を働かせて、全てを益として下さる!」ことです。さて「今の時代」にあって、私たちはどう有るべきでしょうか?つまり何が私たちを生かし、私たちを正しい方向へと導いているのか?その根底にある「思い」は、彼ら同様に「その時」を信じて待ち続け、聖霊様の示す通りに準備することです!「その時」とは、私たち「キリストの花嫁」が、愛する花婿(イエス・キリスト)の元に、遂に帰還する時であり、主イエス・キリストが来臨する時です。


「帰還の時」に備えて
 そうです!私たちには帰還すべき、正しい「場所」が示されています。その場所においては、永遠に麗しい「神の宮」が、既に建て上げられています。また私たちの永遠の「住まい」も、既に備えられています。ならば私たちは、「神の時」が満ちるまで、普段通りの生活を継続し、確固たる信仰を持ち続けながら、淡々と過ごすだけで良いのです。


だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れる時に与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
                                                   【Ⅰペテロ書1章13節】


 ペテロが筆記した、この手紙の御言葉には、三つの重要ポイントが示されています。先ず①いつでも最終的な行動に移る心備え、つまりイエス・キリストに、お会いするという信仰行動です。次に②来られる方に対して、いつ来ても良いように、(良い意味での)警戒心を持ち続けて、自分自身の霊性を高めて行くことです。そして最終的に③神の恵みが完成される!という、確固たる望みを持ちながら生きることです。


 ペテロは決して、難しい事を命じていません。第一に心の準備、即ち瞬時に花婿と再会する、信仰上のアクション。第二に「その時」に向けて、油断すること無く待ち続ける。第三に、来臨されるイエス・キリストと共に、私たちは勝利の凱旋に預かる、聖い「神の民」であることを、再度自覚しながら生きる。この三点を決して忘れないことです。


 ですから私たちは、この世の次元において、恐怖の事象が多々起きたとしても、いよいよ「その時」が近づいていることを、ひたすら信じて待ち望むことが大事です。神の「福音」が、全ての地に届けられるまで、私たちが隅々に遣わされることを、決して躊躇すること無く受け留め、かつ信仰をもって前進して参りましょう!


 あなたが聖霊様を通して、更に高き次元の中で信仰が聖められ、主なる神の恵みが豊かに、あなたの全ての人生に現れ出、あなたがイエス・キリストの来臨の時を、激しく飢え渇き求める、賢い乙女として整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年10月3日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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