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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

父の日・メツセージ

          キリストの「継ぎ当て」




・・・・イエスは喩えを話された。「誰も、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から切り取った継ぎ切れも、古いものには合わないだろう。又、誰も、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければならない。又、古いぶどう酒を飲めば、誰も新しいものを欲しがらない。『古いものの方が良い』と言うのである。」
                                      【ルカ福音書5章36~39節】


互いに「尊い存在」
 今日は「父の日」ですが、「子」にとっても「親」にとっても、双方に「尊い存在」です。たとえ子から見て「つまらない親」であっても、その存在が無ければ、自分の存在が在り得ませんから、互いに「尊い存在」です。一番大事なことは、①互いに生き合い、②互いに支え合い、そして③互いに尊重し合うことです。


 今回のイエス・キリストの御言葉は、その奥深い「意味」を理解(解釈)するのに、私は今までかなり困難を覚えていました。人は「罪」がある故に、他者の「生き方」に対して、「~でなければならない!」などと、上から目線でコントロールしようとします。それは例えば、シニア世代が「自分たちの時代は、苦労が絶えず、大変な思いをして努力してきたんだから、あなた達も苦労を買ってでも~しなさい。そうでなければ、必ず苦労することになるから」などと、若き世代に「良きアドバイス」を与えるのですが、彼ら若者の側にとっては、古き連中の「常套セリフ(屁理屈)」にしか聞こえません。


 彼らは古き世代の「アドバイス」を、「ウザイ!」と捉える傾向にありますが、彼らは彼らなりに、一生懸命に生きている訳ですから、私たち(古き世代)は、若き世代の「生き方」を、決してコントロールしてはなりません。イエス・キリストが明言されるように、「古い衣服」に「新しい布切れ」を継ぎ当てたり、「古い革袋」に「新しい酒」を入れると、如何なる事が起きるのでしょうか?「古きもの」が必ず破れ避けて、使い物にならなくなります。


 「今の時」は、私たち(古き世代)の時代と違って、掴み所の無い「時の流れ」にあり、また大変な「様相」を示しているのではないでしょうか?その中にあって、彼ら若き世代は、彼らなりに一生懸命生きている!ことを、聖霊様は今回の御言葉を通して、私たち全ての世代に教え示しています。特に、間もなく来臨される花婿が、実際に訪問される時には、全ての花嫁が「一つ」になっている、即ち麗しいキリストの「御体」へと、造り変えられて(霊的に継ぎ当てられて)いることが、最重要な目標だからです。


 イエス・キリストが私たちに対して、宣べ伝えるべき「福音」とは、「~でなければならない!」や「少しは(全体のことを考えて)空気を読みなさい!」などの、「古い教え(布切れ)」ではありません!そうです!私たち(古き世代)が率先して、「生き方」を変えて戴く必要があります。それは喩えて言うなら、「仕立て職人」の店に行き、破れた衣服等を修繕してもらう、その時の心境に似通っています。「破れ」を完全に繕う「技術(巧み)」と、再び使用する(着用する)ことが可能になるなど、「破れ」が全く見えなくなる、その継ぎ当ての「巧みな業」に、私たちは驚愕(感嘆)するからです。


 そうです!ここに私たちが今後、描き直さなければならない、また「生き方」を変えて戴かなければならない、一つの「目標(ゴール)」が見えてきます。即ち、花婿(イエス・キリスト)なる方が、花嫁(エクレシア)を迎えに来る際に、花婿が望まれる花嫁の在り方は、あらゆる世代において、花婿の「真実の愛」が浸透した群れであり、キリストの「御体」が豊かに形造られた、麗しい状態に成長していることです。私たちが①繕い合わされ、②仕立て上げられ、最終的には③共に使用(生き合う、認め合う、尊重し合うことの)できる、そのような「群れ」へと、聖霊様は造り変えて下さいます。


Z世代の彼らに対して・・・・
 ところで「Z(ゼット)世代」という言葉が、今の「若き世代」の特徴として、巷に流布されるようになりましたが、これは元々アメリカから入って来た言葉です。彼らは、主に1990年代半ばから、2010年代に生まれた若者ですが、彼らの際立った「生き方」の特徴(個性)が幾つかあります。先ず第一に①私たち親世代(古き世代)を、「問題解決できない大人たち」と捉える傾向にあります。彼らの言う「問題」とは、私たち大人の問題ではなく、彼ら自身が抱える様々な「問題」のことです。


 第二に彼らは②インターネットやSNS等の情報を、素早く収集・発信(拡散)するのに長けています。しかし彼らが収集する情報は、「自分が興味あること」だけで、不要な情報には目もくれません。また彼らは、自分をどのように表現するのか、その事のみに関心がある為、わざわざ自分の個性を隠して(我慢して)まで、人間関係を優先しません。第三に彼らは③社会問題に対する関心が、非常に高い傾向にあります。と言っても、彼らの興味を引く社会問題とは、あくまで自分の「現実」に関わる、様々な問題のことであり、そこに重きを置こうとします。第四に彼らは④ブランドに対する「こだわり」が、古き世代ほどありません


 私たち古き世代は、そのような彼らの「生き方」の特徴を、中々理解出来ませんが、ここで覚えて戴きたい点は、私たちが生きていた「若い頃」よりも、今の時代の方が「不安定」である!という点です。その中にあっても、彼らは彼らなりの「生き方」を模索し、知恵を同世代で共有しながら、一生懸命に生きています。私たちは、ここに目を向けるべきです。


 今回のイエス・キリストの「御言葉」の中に、「新しいもの」と「古いもの」の関係を、分かり易く対比させながら、その関係性に「知恵」の必要を説いていますが、同時にイエス・キリストは、「古いもの」の素晴らしさ(知恵)は、全ての世代に通用するものである!と説きます。勿論、その逆も然りです。それはまるで「裁断された布切れ(使い古しの布)」が、「仕立て職人」にとって、「新しい衣服」が破れた時に、継ぎ当てるべき「尊い布」として使用できる!ことに似通っています。


 私たち大人(古き世代)と、今の若者(若き世代)には、何の接点も無いように思われます。しかし主なる神が、不思議なる「結び合わせ(継ぎ当て)」の働きを為さる時、互いに「仕え合う、生き合う、支え合う」ことの出来る、キリストの「共同体(エクレシア)」が完成されるのです!Ⅰコリント書13章に記されている「愛」の部分を、「キリストの継ぎ当て」という言葉に、置き換えて読んでみて下さい。すると不思議な神の「御業」が見えてきます。


 「キリストの継ぎ当ては忍耐強い(互いに裂くことをしない)。キリストの継ぎ当ては情け深い(相手を思いやる)。妬まない(相手を優った者として接する)。キリストの継ぎ当ては自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てのを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。キリストの継ぎ当ては決して滅びない。」(4~8節)


 キリストの「愛(継ぎ当て)」に優るものはありまぜん。私たち(古いもの)が、若い世代(新しいもの)に対する「思い」の中に、キリストの「愛(継ぎ当て)」をもって見る(接する)のであれば、彼らの行動や言葉も、少しずつ理解できるのではないでしょうか!彼らは、私たちに「振り向いてもらいたい!」、また「自分の生き方を①認めてもらい、②褒めてもらい、③理解してもらい、④共にゴールに向かいたい!」のです。


 そうです!私たちキリスト者は、全ての「破れ」を繕って下さる、イエス・キリストの「継ぎ当て」に期待しながら、若き世代が恐れている次元に対して、模範をもって彼らをサポートすべきです。「・・・・神は愛です。愛に留まる人は、神の内に留まり、神もその人の内に留まって下さいます。・・・・愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。・・・・私たちが愛するのは、神が先ず私たちを愛して下さったからです。『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することが出来ません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(Ⅰヨハネ書4章16~21節)


 私たちキリスト者も、信仰の「歩み」を為して行く中で、様々な「恐れ」が生じる時があります。「恐れ」が増長される時代の中にあって、私たちは「~でなければ大変だから、・・・・しなさい!」などの言い方ではなく、先ずは相手の「立場(立ち位置)」に関心を持ち、じっくりと同じ目線で事を構え、少しずつ共に歩き合うことで、最終的にはゴールを目指して、共に完走できるように、祈り合って支え合うこと、これが私たち(古い世代)の務めです。私たちは、ただ彼らを支えるだけで良いのです。


 他者を支えることは忍耐を要します。しかしキリストの「継ぎ当て」は、偉大なる御国の次元を開き、必ず拡大して行きます。その結果、彼らは驚嘆しながら告白するでしょう。「古い酒って美味しいね!何度飲んでも飽きない、風味と香りだね。」と。彼らが、如何なる「恐れ」も消し去る程の、完全なイエス・キリストの「愛」を抱く時には、その発信力は物凄いものとなるでしょう。瞬く間に、この日本にリバイバルが起きる、その中心的働きを担う原動力として、彼らは「今」育ちつつあります。


 どうかZ世代に対して、イエス・キリストの麗しいリバイバルの「流れ」が、聖霊様を通して豊かに現れ出て、更に実りある方向へと、彼らが聖められて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年6月19日のメッセ-ジ)


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