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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.10)

エクレシアという「馬舟(うまぶね)」




・・・・彼らがベツレヘムに居るうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶(馬舟)に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所が無かったからである。
                                              【ルカ福音書2章6~7節】


エクレシアの「主役」とは?
 今回の主人公は、父親ヨセフではありません。勿論、父親として彼の取った行動は、私たちの信仰行動において、非常に優れた霊的模範となりますが、真実なる神の福音の主役は、あくまでイエス・キリストであり、エクレシアの主役もイエス・キリストです!「エクレシア」とは、イエス・キリストを慕い求める者が、真の礼拝を捧げる場であり、大祭司なるイエス・キリストに、全ての焦点を当てる為にあります。


 主イエス・キリストが、エクレシアの主役でなければ、私たちが一番に「主」として崇め、「主」としてお慕い申し上げ、「主」として仕える意味がありません!この「神の事実」を、私たちは常に意識しましょう。そしてそれを信仰の「道標」として、常に自分の歩く先(前)に、また自分が為す様々な仕事において、常に置いておくべきもの、それがイエス・キリストです。故に私たちは、賢いキリストの「花嫁」として、今後も更に召し出されて行くべきです。


 エクレシアは、神が用意される霊的な「箱舟」、即ち神の「贖い(救い)」を現すシェルターです。今の時代は、何処に行けば「シェルター(逃れの場)」があるのでしょうか?掴み所の無い世界情勢の中で、私たちキリスト者だけは、真の「逃れ場」を知っています。それ故に、私たちは何を見るべきでしょうか?私たちが大切に見るべきものは、イエス・キリストだけです。私たちは、イエス・キリストを土台とする信仰に堅く立ち、決して揺り動かされないように、しっかりと目を覚まして共に祈り合う、「賢い乙女」の群れです。そうです!私たちは聖霊様の「油注ぎ」を更に求めて、常に「祈りの炎」を絶やさないこと、これが私たちの霊的務めです。


 何故ならば、いずれ来たる霊的「大収穫の時」にも、直ぐに間に合う霊的農夫、或いは霊的漁師として、また霊的狩人として、即座に駆り出されることを期待して、熱心に祈り続ける「賢い乙女」を、主なる神は待っておられるのです。聖霊様は、私たちに二つのポイントを問い質します。①「真の救い主は、何処に現されるのですか?」、②「私たちが信じるイエス・キリストは、何処にいらっしゃるのですか?」と。


「馬舟」に産まれた救い主
 ヨセフは、ようやくベツレヘムに到着しましたが、身重の妻マリアが十分に休息し、安心して出産できる場、即ち宿泊できる「宿」は皆無でした。途方に暮れるヨセフの祈りに対して、聖霊様は「必ずある!父なる神が既に用意しているから。」と、不思議な啓示を与えます。当初は断られた最後の「宿屋」の主人に、ヨセフは再度掛け合いました。すると主人は「お前さん方が良ければ、裏の馬小屋にスペースはあるが、どうするかね?」と、親切心から返答しました。


 ヨセフは即座に理解しました。「こ、ここだ!聖霊様が導く場所は・・・・」と。そして宿屋の主人に即答し、妻マリアと共に馬小屋へと足を運びました。何とそこには、想像していた通りの、家畜やラクダが餌(干し草など)を食べる、「馬舟(飼い葉桶)」が並んでいました。その一つを借りて、ヨセフは干し草(藁)を敷き詰め、その上に清潔な布をかぶせて、急ごしらえのベビー・ベッドを用意しました。そして「時」満ちて、マリアは初子(イエス・キリスト)を出産します。


 そうです!真の「救い主」は、馬小屋にて産まれ、「馬舟」に臨在された結果、主なる神の「栄光」が現れました。ヨセフとマリヤは、全ての「事」を為し終えた時に、目の前にすやすや眠る嬰児(みどりご)が、「イェシュア(Jesus)!」であることを、信仰で受け留めました。「この子はいずれ、恐ろしき時代の中にあっても、神の偉大なる救いの御業を現して下さる。そう!真の救い主が、ここ(馬舟)に寝ておられる。安らかに寝ている中にも、神の御業が始まった!」と。


 あなたの信じるイエス・キリストは、何処に「救い」を現して下さるのですか?その「鍵」となる、信仰の「考え方」を紹介します。それは「本当の真実は、何処にあるのか?」などと、常に「真理(正しさ)」という、見えざる「本質(事実)」を探り求めることです。以前の日本人の殆どが、見える物質に依り頼む、例えば「金銭(貯蓄)」や人生の「快楽」などでした。しかし今回の世界的「苦しみ(パンデミック)」が始まったことにより、この「苦しみ」の時代の中で、如何に生きて行くべきか?それも「人」として正しく生きて行くことを、真剣に模索し始める人々が増えています。


「真実」はイエス・キリストにある!
 このように「真理」を追求し始めると、実は「聖書」の教え(本当の真実)に、必ず到達します。そうです!「聖書」は、他の宗教の経典と違って、前もって(あらかじめ)「真実」を提供しています。特に聖書の各「預言書」が、今の時代に的確に当てはまること、この点に気付く人々が増加しています。


 ヨセフは、最後の宿屋の主人から、一旦「空きが無い!」と返答された時、様々な「選択肢」が頭の中をよぎりました。しかし「解決策」が全く見つかりません。さて、あなたでしたら、この時如何なる行動を取りますか?聖霊様が、この時ヨセフに啓示したことは、「主なる神は必ず、あなた方に神の救いとなる、イエス・キリストを現して下さる!それ故に、信じて交渉し続けなさい!必ず、その場所は備えてあるから・・・・」という、不思議な「導き」でした。


 人の行動には、何らかの「選択肢」があります。しかしその殆どが、決して「真実」に至ることはありません。しかし、私たちキリスト者の行動の場合は、明確な神の「啓示(導き)」を通して、ヨセフの如くに①正しい「真実」が何処にあるのか?を探求し続ける、そして②聖霊様を通して「そこ」に、即ち「救い主(イエス・キリスト)」の御元に辿り着くこと、この二つの霊的「選択」を掴むことで、必ず「真実」に至ります。


 ヨセフは「救い主」が必ず生まれる!という、只一つの「神の事実」を信じて行動しました。これから益々、「この世」は大変な時代を迎え、多くの人々が混乱の大波に呑み込まれます。どのように行動すべきか?何処に行けば真実に遭遇できるのか?その選択する「術」さえ知り得ません。そのような中にあって、キリスト者は常に迷うこと無く、決して飽きること無く、全く恐れること無く、大胆に一つのことを集中して求め続け、その生き様を現わすなど、正しい行動を常に選択している!ことに、人々は関心の目を向けるようになります。


 覚えて戴きたいことは、「恐れ」ばかりに支配されて行きますと、人は「現人神」のような、正しく見える「善人(偽預言者)」の為す、「行動」と「言葉」に傾倒して行く可能性があります。しかしイエス・キリストを信じる、「賢い乙女(エクレシア)」の場合は、全くブレること無く、何よりも生きるべき「方向性」が、この世の人々と違って、常に困った人々、罪深い人々、病いに苦しむ人々に対して、イエス・キリストの「福音」をもって、神の「救い」の御業を次々と現す訳ですから、「これが本物じゃなくて、一体何なんだろう!」と、人々は必ず注目するようになります。


 「救い主」イエス・キリストは、何処に産まれたのですか?綺麗な王宮の一室ではありません。豪華なホテルの特別ルームでもありません。そこは、不衛生な「馬舟」でした。私たちキリスト者は、自分たちの集うエクレシア(教会)が、神の「救い」を現す、霊的「馬舟」になることを、一番に欲していますか?今までのリバイバルは、「教会」が物凄く大きく成長する、即ち信者数が急激に増加し、世の中において圧倒的な力を誇示することの出来る、「栄光」ある教会成長を目標としました。


 しかし今の時代において、聖霊様が望まれる「終末のエクレシア」とは、使徒バルナバが全財産を捧げるなど、たとえ貧乏人になっても構わない程の、聖霊様による大傾注(油注ぎ)が、一人一人に臨むエクレシアです。何故ならイエス・キリストが、「馬舟」にお産まれになった、その偉大なる神の「救い」の御業(真実)こそが、リバイバルの出発点だからです!


 そうです!イエス・キリストは、全ての人を「罪」の虜から救い出す為に、「馬舟」にお産まれになったのです。そのイエス・キリストの「熱情の愛(御思い)」が、私たちにも霊的に継承されています。多くの人々が、更に「恐怖」の悪霊に縛られる中、私たちは「今の時」を注意深く見守って、更に祈り続けましょう!私たち自身が霊的「馬舟」として、聖霊様を通して更に聖められ、かつ召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年2月27日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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