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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

特別メッセージ

          今、何かが起こる!




世界の只中、諸民族の間で、オリーブを探して打ち尽くすような事が、収穫の後に尚、ぶどうを探すような事が起こる。彼らは声を上げ、主の威光を喜び歌い、海から叫び声を上げる。それ故、あなた達は東の地でも主を尊び、海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから、歌声が聞こえる。「主に従う人に誉れあれ」と。
                                 【イザヤ書24章13~16節】


「2024年」の初めに・・・・

 2024年の初めに起きた「能登半島地震」に関して、「終末の時代」に生きる私たちは、霊的に如何なる「捉え方」を為すべきでしょうか?三次元的には、想像を絶する広範囲の自然災害ですから、それは巨大な「災い」と捉えがちですが、このことを通して、偉大なる神の「贖い」のご計画が、日本民族に事前(既)に用意されている!と、信仰をもって捉える時に、驚くべき、かつ不思議なる「神の事実」が、その中に見出されるのではないでしょうか!


 然り!今の「悪しき時代」の中にあって、霊的な「エジプト(この世)」に向けて、神の「使徒」として私たちが出陣する時に、「モーセ」や「ヨシュア」の如くに、川や海に向かって「神の偉大なる救いの御業よ、直ちに現れ出よ!」と、信仰をもって命じる時、必ず何かが起こる!のです。創造主なる神が、あなた(私)の「前(先)」を進み行かれる時には、神の偉大なる御業を見て、救われる(贖われる)人々の為に、神の「しるし」が必ず前兆として現れ出るからです。


 そういう意味で、日本民族は神の「救い」から、決して見放されていません!神の「贖い」が、必ず今回の巨大地震を通して、日本民族に用意されています。今回の御言葉にある「海の地」と「東の地」とは、何処の国を指しているのでしょうか?いずれ来たるであろう、世界の「終焉の時」に、私たちはイスラエル国家から見て、つまりイスラエルを中心とした地図上では、「東の地」か「地の果て」にある極東の国々の一つでしょう。


何かが必ず起こる!
 今回の御言葉から学ぶべき、第一の重要ポイントは、「海の地」と「東の地」において、必ず「何」かが起こる!という点です。「その時」に主なる神によって、召し出された二つのグループの一つ、即ち「海の地」に暮らす人々が、偉大なる神の御業を称えるべく、喜びの叫びを上げ始めます。続いて「東の地」に暮らす人々、彼らは四方を海に囲まれながら、同じように神の「救い」を喜び称えるのです。


 然り、偉大なる神の「救い」の御業が進み行く時、私たちはヨシュアに引率された、イスラエルの第二世代の如くに、「祭司グループ(レビ人)」を前衛に配置し、神の御名を称えながら、共に信仰をもって前進するのです!そうすれば「何」かが起こり始めます。「この世」においては、悪しき事が次々と起きます。しかしそれ以上に、神の偉大なる「救い(贖い)」の御業が、必ず起こるのです!


 第二の重要ポイントですが、最終的に「地の果て」(16節)から、何が聞こえてくるのでしょうか?それは「一番遠くにあり、何の魅力も無い土地に暮らすグループ」からも、イスラエルの賛美を「住まい(住処)」とされる、主なる神の「正義」が、如何に素晴らしいものであるのかを、花婿を待つ花嫁のように喜び称える大音響、即ち「賛美(歓喜)」の叫び声です。


 そうです!私たちは「地の果て」に至るまで、「キリストの証人」として、イエス・キリストの「救い」の福音を携え、父なる神の御名を高らかに称える、霊的イスラエル人でもあります。そしてイスラエルから見て、私たち日本民族が「地の果て」に暮らすグループですから、ここ(日本)から大リバイバルと共に、賛美の大号令が発せられる時、いよいよクライマックス(何かが起こる時)を迎えるのです。


主を賛美する為に創造された
 「国々は主の御名を恐れ、地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。主はまことにシオンを再建し、栄光のうちに顕現されます。主は全てを喪失した者の祈りを顧み、その祈りを侮られませんでした。後の世代の為に、このことは書き記さねばならない。『主を賛美する為に民は創造された。』主はその聖所を、高い天から見渡し、大空から地上に目を注ぎ、捕われ人の呻きに耳を傾け、死に定められた人々を、解き放って下さいました。シオンで主の御名を唱え、エルサレムで主を賛美する為に。諸国の民は一つに集められ、主に仕える為に、全ての王国は集められます。」(詩篇102篇16~23節)この御言葉の中に、主なる神が最終的に、ご自分に従う民を如何にして集められ、如何なる形で「栄光」の訪れを実現されるのか?その方向性が描かれています。


 その全ての鍵は、イスラエルの民にある訳ですが、彼らが回復する為には、先ず第一に①「海(西の地)」と「東の地」、そして「地の果て」に生きる、霊的「イスラエルの民(キリスト者)」が、一つに集められる事が前提です。続いて②「主を賛美する為に民は創造された。」(19節)の御言葉にあるように、常に(いつも)共に居て下さる、創造主なる(霊的な父である)神を、聖霊様にあってキリストと共に、偉大なる創造の御業を賛美(礼拝)する為に、私たちは創造されていること、これが霊的回復の「礎(いしずえ)」です。


 パウロを収監したローマの看守長は、ある時突然に襲った巨大地震により、収監施設の大部分が崩壊している、その大惨事を見た瞬間に、「あ!もう駄目だ。囚人たちの生き残りの殆どは、この出来事により脱獄したはずだ。私は責任を取って、自決あるのみ!」と判断し、すかさず剣を取って自決を試みました。しかしその瞬間、「待ちなさい!看守長の方。私たちは全員生きて、一つ同じ所に居る!」という、堂々とした男性の声が聞こえ、彼は思いとどまりました。


 彼らは何故、脱獄という最大のチャンスを、この時為さなかったのでしょうか?それは偉大なる神の御業が、パウロを始めとする使徒たちの歌う、その賛美の中に豊かに現れ、他の囚人たちも共に賛美を捧げていたからです。ですから、たとえ外部的に何かが起きても、彼らの捧げる礼拝の空間には、物理的損害(破壊)は何も無く、むしろ神の「栄光」のみが、彼ら全てを覆い尽くし、神の「贖い(救い)」が出現していたのです。


 それを確認した看守長は驚愕し、その場に座り込み、一言パウロに乞い願いました。「(私たちが)救われる為には、どうしたら良いのですか?」と。今の日本人は霊的に見て、この看守長と何ら変わり無き、霊的な縛り(収監状態)にあります。しかし私たちには、何故パウロ同様の「自由」があるのでしょうか?この世の「縛り」から解放されている、その最大の理由は「私たちはマモン(経済的に縛る偶像)の霊に仕える奴隷ではなく、イエス・キリストの贖いにより、逆に悪霊をことごとく縛ることの出来る、聖霊様に仕える自由を与えられている「神の子」だからです。


 すかさずパウロは、看守長の「霊」に対して、神の御声(福音)を届けました。「主イエス・キリストを信じなさい!そうすればあなたも、あなたの家族も、全員が救われ(贖われ)ます。」と。この奇跡の出来事(神のイベント)は、過去の物語ではなく、この日本にも必ず起こります。そうです!私たち日本人も、創造主なる神を賛美(礼拝)する為に、益々贖われて行くのです。それ故に、如何なることが「世」に起きたとしても、「神の事実」のみが日本を救い、偉大なる神の「救い」が、「地の果て」に生きる日本人の上に、豊かに現れ出ることを、純粋に信じて祈り続けましょう。


 結論になりますが、今回の記事の16節の後半以降において、「何かが起こる!」ことを、イザヤは霊的に描いて(預言して)います。「(神の裁きの後に)万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、長老たちの前に、主の栄光が現わされる時」と。つまり主イエス・キリストの来臨の前には、あらゆるもの(大地、社会全体)が、次々と揺り動かされることで、「災い」に呑み込まれ破壊されるグループと、神の「救い」にあずかる看守長グループの、二つに選り分けられる!ことになります。


 いよいよ2024年から、神の偉大なる「救い」の御業が、この「(東の)地の果て」にある日本において、必ず現れ出ることを、信仰をもって期待して、祈り備えて行きましょう!私たちの乗船する「日本丸」が、正しい舵取りを為し、真の創造主なる神、王の王なるイエス・キリストに、忠実に従うことが出来ますように。また真心から「救国」を祈り求めて、新しい「天」と「地」を受け継ぐ、「地の果て」の神の栄光が、豊かに現れ出ることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2024年1月21日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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