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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.26)

真の「助け」と「救い」は神にのみある!




主よ、あなたが癒して下さるなら私は癒されます。あなたが救って下さるなら私は救われます。あなたこそ、私は讃えます。・・・・災いの日に、あなたこそ我が避け所です。私を迫害する者が辱めを受け、私は辱めを受けないようにして下さい。彼らを恐れさせ、私を恐れさせないで下さい。災いの日を彼らに臨ませ、彼らをどこまでも打ち砕いて下さい。
                                         【エレミヤ書17章14~18節】


神の「祝福」は拡大し続けている!
 今回の題目にある、「助け」と「救い」という言葉は、とぢらも似た「意味合い」を持っています。しかし、その「働き」は異なります。「救い」が命懸けの働きであるのに対し、「助け」は自分の力で解決できない時に、他者(或いは環境等)から戴く支援的な働きです。


 今の時代が、まさしく当てはまることですが、いつまでも終わることの無い、「恐れ」という波状攻撃により、殆どの人が生きる為の「助け」を求めて、様々に彷徨っていると言えます。しかし私たちキリスト者の場合は、人間的な「恐れ」ではなく、偉大なる創造主、真実の神ご自身に対して、「畏れ」と「敬意」をもって従い、常に神の「救い」のみを求めて生きます。そうです!偉大なる神の「御業」が、常に私たちを支え続け、神の豊かな「祝福」のフィールドへと、私たちを導いて下さるからです。


 私たちが神を畏れる時、それは神の御前にあって、ずっと立ち尽くすことが出来ない程の、真の「礼拝」へと至ります。偉大なる神の「御業」を見る時、私たちは思わず膝を屈めて、「あなただけを賛美します!あなたが私の救いとなり、私の全ての道に渡って、真実の助けを与えて下さいますから。」と、「真の礼拝」を捧げるのではないでしょうか。


 エレミヤは今回の御言葉を通して、私たちを全ての「災い」や「苦しみ」、また悪しき「暗闇の力」から救い出すべく、完全に打ち砕くのは主なる神、あなただけである!ことを教え示しています。覚えて戴きたいことは、主なる神の創造の「働き」は、創世記で「終わり」ではなく、神の「ご計画」としては、アダムの子孫である、私たちキリスト者の信仰を通して、今も尚継続しています。


 主なる神が、最初の人(アダム)を創造した目的は、彼が常に創造主の「助け」を仰ぎ求め、そして神の「救い」の中に生きることを「良し」とする、真実の「生き様」を現わすことです。そうです!「地上の楽園」において、主なる神と共に生きることで、「命の水」が溢れ流れ出るが如くに、神の「祝福」のフィールドが拡がって行くこと、これがアダムに対する神の「祝福」でした。


 即ち、アダムとエバに託された「働き」は、「生めよ、増えよ、地に満ちよ!」です。その為に、彼らに与えられた霊的賜物は、神が遣わすフィールドにおいて、必ず「信仰」の苗を植えることでした。そうすることで、神の「祝福の地」が拡大して行きます。このイメージをもって、私たちは信仰という「祝福の法則」を、常に掴み取って行くべきです。彼らは、確かに「罪」を犯しました。また優れた霊的賜物も失いました。「エデンの園」は、確かに一度閉じられましたが、主なる神は来たる時に再び開かれます。誰にでしょうか?神の子供たちに対してです。


 あなたはイエス・キリストを、「救い主」として信じる神の子供であり、キリストを長子とする神の「家族」です。これを信じて行く時に、今の呪われた「大地」が、如何に恐ろしいものであったとしても、あなたの信仰の手の業に応じて、主なる神は折に適った「助け」を与え、「天(上)」よりの偉大なる力を通して、あなたの唇に、あなたの目に、あなたの耳に、神の「救い」を注いで下さいます。


神の「救い」の完全性
 エレミヤは14節において、次のような二つの「祈り」を、信仰宣言として発しました。第一の祈りが「私を癒して下さい!」、そして第二の祈りが「私を救って下さい!」です。「癒して下さい」の表明は、その人自身が精神的に、或いは肉体的に病んで、様々に苦しむ部分があるからこそ、正直に出て来る「祈り」です。その結果主なる神は、私たちのことを決して見捨てること無く、これからも大切な「神の子」として、私たちを神の偉大なる「ご計画」の中で、素晴らしい「癒し」の御業を現わして下さいます。


 何故私たちは、今の世界的感染状況の中で、毎日必死にならざるを得ない程の、苦難の歩みを強いられるのでしょうか?今の「現実」が、余りにも苦しいから、怖いからと言って、何の「希望」も見出せません。ワクチンを接種しても怖いのです。それが完璧な防御でない!と、何となく認識しているからです。「恐怖」の悪霊に支配され、更に「恐怖」を上塗りして行きますと、人は完全に「恐怖」の奴隷となります。


 実はエレミヤが祈った「癒して下さい。」、「救って下さい。」という、この二つの表明の言葉に続く副詞に、私たちは注目する必要があります。先ず「癒して下さい。」の表明には、「completely」という副詞が付随してあり、これは喩えるなら「100点満点でなくても、合格ラインの90点程度でも良い!」という「完全さ」を意味しています。


 続いて「救って下さい。」に付随する副詞の、「perfectly」の場合は、90点程度の「完全さ」では意味を為しません。やはり完璧(100点)でなければなりません。つまり神の「完璧(完全)性」を保証する、全き平安(安全)の中で守られる必要があるのです。それ故に、エレミヤは祈りました。「私の今の苦しみと悲しみ、そして様々な霊的病いから、私をお救い下さい!そうすれば私は、最高の状態が必ず完成される!と信じます。そして守りの面においても、私を救って下さい!そうすれば私は、あなたの全き救いの中で、安らかに満たされ続けるでしょう。私はそれだけを求めて、あなたに賛美を捧げ続けます」と。


 エレミヤの生きた時代と、私たちが生きる「今の時代」は、何ら変わりがありません。国家的危機、民族的滅亡の危機としては同じです。今日(2021年7月の時点)、世界的に様々な民族紛争が、激減しているように見えますが、個人レベルにおいては、「恐れ」による苛立ちや不安が増加し、そのような精神的苦痛から解放されたい!などと、真の「自由」を求める叫びが、各地から起こり始めています。そうです!主なる神の「救い」は、真実の神を信じる「神の民」を通して、確実にもたらされるものです。今回のエレミヤの「祈り」の如くに、私たちは信仰をもって祈りましょう!「この日本を癒して下さい!完全なる神の救いの中に、日本民族をお守り下さい!」と。


永遠の「避け所」
 「災いの日に、あなたこそ我が避け所です。」(17節)の中にある「避け所」は、ダビデが詩篇の中において、度々神に賛美している表現と同義語です。私たちの現実社会には多種多様な「困難」、そして生きていく上での「トラブル」が、次々と襲いかかっています。しかしエレミヤは宣言しています。「全ての災いの時に、私たちが逃げるべき、また避け所(隠れ家)とすべき唯一の場所、それは真実の神である、あなたです!」と。


 今、まさに「この世」の流れが、益々「滅び」に向って突き進んでいます。そうです!悪魔サタンの最終「ゴール」は、被造物に対する完全なる破壊です。そして完全なる「奴隷」として支配し、創造主なる神の身許に、絶対に立ち返らせないようにすることです。つまり、神の「救い」にあずかる人の数を、完全なる「ゼロ」にすることで、主なる神の「ご計画」が破綻することを目論んでいます。しかし主なる神ご自身は、全くと言ってよい程、悪魔サタンの為すことに関心がありません。


 主なる神は全ての偉大なる「計画」を、最初の人(アダム)を創造した時点で、霊的にインプットしています。それ故日本民族に対しては、日本独自の偉大なる「計画」を用意しています。私たちは次のことを知って、常に神を賛美し続けます。たとえ私たちの「現実」に、突然のトラブルが起きたり、様々な「災い」が押し迫って来たとしても、「主なる神こそが私の助けであり、私の救いの全てである。私を常に引き上げて下さり、天の力をもって歩ませて下さる方は、真実の神、あなただけです!」と告白できることを。


 ですから「肉の力」を頼みとして、自らの「安息」や「守り」を、決して確立しないで下さい。「この世」の人々は、一生懸命に「肉の力」に頼って生きています。「その日」だけのものを当てしながら。しかし彼らは明日になれば、また次の「恐れ」が生じて「あー!どうしよう?」と嘆いて進めないぱかりか、益々霊的な「病い」に苦しみ、精神的に腐り続けます。


 ところが、私たちは知っています。私の「全て」を引き上げて下さる方、真実の神に完全なる「助け」、永遠の「救い」と「守り」がある!ことを。私たちの捧げる「賛美」の力は、何処から来るのでしょうか?私たちの生きる「喜び」の泉(源)は、何処にあるのでしょうか?勿論「イエス・キリスト」にあります。それを「イエス様です!」と即答できる、理由付けは何でしょうか?「(虫にも等しき、取るに足らない罪人の私を)救って下さった!」からではないでしょうか!


 そのイエス・キリストが、間もなく再臨されます!「その時」に私たちは、今回エレミヤが告白した如くに、大胆に宣言するのです。「あなただけが、私の避け所であるが故に、私が他の神々に走ることが無くて良かったです!」と。ある面「今の時」は、主なる神の偉大なる「ご計画」が成就する、最終的な段階に向かっている時代です。私たちはキリストの「賢い花嫁」として、真の花婿なるイエス・キリストに、空中で相まみえる、その麗しい「婚礼の時」が、いよいよ間近に迫っています。「その時」に私たちは、大きな喜びの叫びをもって、イエス・キリストに告白するのです。「今、あなたと共に、この新しい天と地を受け継ぐ者として、あなたの御名が高らか讃えられますように!私の救い主なる神よ、あなたを心から賛美します!」と。


 どうかあなたの信仰のイメージが、「天の次元」へと更に引き上げられるよう、聖霊様に祈り求めて下さい!益々「この世」は、私たちキリスト者に対して、霊的「牙」をむき出しにしながら、様々に攻撃してくるでしょう。しかしある時から、形勢(霊的流れ)が逆転します。「その時」こそが、私たちが駆り出される、霊的大収穫の時です。「その時」にあなたが、大いなる「喜び」をもって、主なる神の「ご計画」通りに、大収穫の「働き人」として、「神の畑」に出かけることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年7月25日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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