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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.15)

              神が示す「設計図」




背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。私こそがあなた達の主である。・・・・妻が夫を欺くように、イスラエルの家よ、お前は私を欺いたと主は言われる。・・・・背信の子らよ、立ち帰れ。私は背いたお前達を癒す。・・・・「我々はあなたの元に参ります。あなたこそ我々の主なる神です。・・・・我々は恥の中に横たわり、辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も、若い時から今日に至るまで、主なる神の御声に聞き従いませんでした。」
                                           【エレミヤ書3章14~25節】


父の描く子に対する「デザイン」
 今回の記事には、主なる神が「実は、あなた達が既に忘れたことかも知れないが、私はあなた達(イスラエルとユダ)に対して描いている、重要なデザイン(設計図)を用意している。故にあなた達は、このことを再び思い起こしなさい!つまり最終的には、素晴らしいゴールが、あなた達の為に用意され、あなた達の完成した姿が、そこに描かれている。その為には、私は如何なる犠牲を払っても、あなた達の罪を赦し、あなた達の背信を思い起こさない。むしろあなた達が、私の元に立ち返ることを通して、私は再び回復の時を与え、あなた達を必ず癒すことにしている。元の状態よりも、更に素晴らしいものとして、あなた達を選び召し出した、この私のことを真の主人として、また家族の大黒柱(お父さん)として、再び礼拝して欲しい!」等の真実の言葉をもって、彼らに優しく接していることが分かります。


 ご存じのように「人」は、様々に「罪」を犯すなど、霊的に弱い存在です。「心(魂)」の中に、様々な「欲」が孕(はら)む為に、どうしても「罪の虜」になるなど、本当に罪深き存在ですが、どの親であっても、我が子が誤って「罪」を犯したとしても、本人が心から悔い改めるのであれば、必ず赦してあげるなど、寛容の精神があります。実は主なる神は、父親以上の「寛容さ(慈愛)」に満ちた方です。そうです!「放蕩息子」の喩え話の中にある、父なる神の「デザイン(設計図)」は、彼(放蕩息子)の兄が嫉妬する程、永遠の寛容さがにじみ出ています。


 上記の如く「人」には、必ず「悔い改め」の気持ちが、多少なりとも残っています。如何なる人も、たとえ邪悪な「闇の虜」になったとしても、やはり自分の「罪」を思い返すなど、反省(悔い改め)の時が許されています。しかし如何なる「人」も、サタンが遣わす「告発者(悪霊)」によって、常に霊的な攻撃、或いは誘惑の罠を仕掛けられます。そうです!「私だけは罪の虜に陥らない!」と言い切る者はいません。イスラエルもユダも、神から愛される娘であり、もの凄く深い愛情をもって、大事に養育された令嬢です。そして彼女たちは、いよいよ結婚間近の年頃になっているにも関わらず、放蕩三昧の道を選ぶなど、霊的な過ちを犯しました。


 ところが主なる神が、最終的に彼女たち示した「デザイン(設計図)」は、「あなた達は、自分が犯した罪故に、方々に散らされてしまったが、あなた達は必ず回復する!」という、遠大なる預言(ご計画)でした。そこで、私たちが先ず知るべき大事なポイント、それは罪に溺れて、ボロボロに果てた放蕩者に対して、本来の新しい人生の設計プランを、再び示される方が真実の父、主なる神である!という点です。この重要な奥義を、私たちが忘れたてしまったら、それこそ「サタンの虜」になってしまいます。しかし、私たちにはチャンスがあります!つまり、再び神に立ち返るための「設計図」があることを、私たちが正しく知った時から、私たちには神の「救い」という、真実の「希望」があるのです。


 そうです!イエス・キリストが「新しい契約」を、十字架による「贖いの死」を通して、公に示されたことによって、神の「設計図」の全てが、遂に明かるみになりました。あの放蕩息子の父親は、ただ(息子の帰りを)待っていただけだ!と思われがちですが、ルカは正確にイエスの言葉を書き記しました。つまり父親が、放蕩息子が帰還した際に、具体的に如何なる行動を取ったのか?という点です。ようやく父の家に近付き、父親に顔向けできない!と、ただ落ち込んだまま、トボトボと歩く息子の姿を、かなり遠くからではありましたが、「あ!息子だ」と見出した瞬間に、年老いた父親は、体力の限界を超える精神力で①勢いよく走り、②そして彼の元に懸け寄り、③彼の首を力強く抱きしめて、④愛情のしるしとして、彼の額に接吻したのです。


 そうです!父親は放蕩息子を見た瞬間、決して「汚い!」とは思わず、我が息子を抱きしめた時、「二度とお前を、(世に)放さない!」という、強い愛情のしるしとして、彼の汚い額に接吻しました。これは家長が、家族の者にしか示さない、「永遠の絆」という挨拶です。つまり父親は「(たとえ過去がどうであれ)お前は、私の大事な息子である!」ことを、自らの行動として息子に提示したのです。上記の父親の行動から分かることは、父親には「憐みの心」が、豊かに満ち溢れていること、つまり愛する息子(娘)に対しては、常に「助けの手を差し伸べたい!」と、強く願っておられるという点です。勘違いしてならないことは、旧約の神は決して、「馬鹿者!何という愚かな事を、お前はしでかしたかー」などと、常に御怒りを発する方(雷親父)ではなく、むしろ「あー、何とかわいそうに。早く助けて上げたい!」と、急いで駆け寄る方(憐み深い父)である!という点です。


子の「罪」を全て癒す神
 実は放蕩息子の父親が持つ、素晴らしい「憐みの心」のデザインが、今回の記事にも示されています。「私は思った。『・・・・お前に望ましい土地、あらゆる国の中で、最も麗しい地を継がせよう』と。そして、思った。『我が父よ、お前は私を呼んでいる。私から離れることはあるまい』と。」(19節)に示される、父(主なる神)の御心(思い)は、先ず「背信の子」に対して、尚も①「我が息子」として、イスラエルとユダを迎えたい!こと、次に②ご自身の「大いなる喜び」をもたらすべく、彼らに対して「新しい地」を継がせたい!ことです。つまり、父が子に与えたい!と強く願うものは、決して「呪い」ではなく、「喜び」を必ずもたらすものである!ことです。最後に③主なる神に対して、常に「お父さん!」と呼んで欲しく思うこと、つまり「父」と「子」という、本来の正しい関係に修復すべく、あなた自身が神に立ち返って、直接「父よ!」と呼ぶようになること、この三点です。


 では、神の「設計図」が具体的に示された時に、主なる神は私たちのことを、実際に如何なる者として見て下さるのでしょうか?帰還した放蕩息子は、「使用人」と同等の立場として、ただ父の家に居させて下さい!と願い出ました。すると父親は、息子を力強く抱きしめたまま、無言のまま頷きます。まるで「お前は何も考えなくとも良い!ただ私の傍に居てくれるだけで十分だよ。以前と同じように、父親にいくらでも甘えて良い、大事な存在だから・・・・」と語るかのように。


 そのような父なる神の御心が、実は今回の記事にも正確に記されています。「私は背いたお前たちを癒す」(22節)と。覚えて戴きたいことは、放蕩息子の如くに私たちの側が、先ず「罪」を犯して神から離れ去り、散々好き勝手な事をして、「他の神々」を求めた!という事実です。しかし主なる神は、元の「正しい関係」へと回復すべく、霊的に満身創痍の状態にある私たちを、元の元気な「息子」や「娘」へと、完全に癒して下さいます。そうです!私たちの「罪(背信の行為)」を、父なる神は完全に癒して下さるのです。


 実は22節の御言葉(新共同訳・英語版)の後半には、「癒す」と同時に、神の次なる創造の御業が、正確に記されています。それは「更にあなたを、二心無き者として造り変える」ことです。つまり主なる神が、一切の責任をもって、あなた方を一途な信仰者として再創造する!ということです。これ程の寛大な神は、唯一の神、父なる神だけです。はっきり申し上げて、私たち程「不信仰な者」はいません。何故なら「二心」をもって、「背信の道」を選択したからです。その私たちに対して、二度と誤った道に行くことが無きよう、決して離れ去ること無き存在として、「正しい信仰」を授けて下さるのです。


神の「設計図」通りに完成する時
 余りにも寛大な父の愛情を受けて、放蕩息子はどれ程癒されたことでしょう。「もう僕が、お父さんの元を離れることは決して無い。こんなに忠実に僕のことを、思ってくれる真実の親はいない。」と。それ故に放蕩息子は、安心して父の元に留まる事が出来ました。これが私たちの「人生」に対する、主なる神の「設計図」です。新しい「神の宮」は、いよいよ御国おいて、完成の時を迎えようとしています。そして「あなた」という、この地上に遣わされた重要な霊的乙女、即ちエクレシア(キリストの御体)が、遂に「完成の時」を迎えるのです。


 そうです!父なる神は、放蕩息子に与えたのと同様に、私たちの為に「御住まい」を用意して下さいます。神の「重要な器」である、あなたを地上に遣わしている理由は、「神の宮」の建設の為に用いる重要な建材、つまり生ける「神の宮」を完成する為に、無くてはならない霊的パーツ(建材)、それが「あなた」です!「その時」に聖霊様は語ります。「あなたは神の宮の聖い器として、どれ程重要なものであるか、これを常に覚えておくべきです。私はあなたを、真鍮の如き貴い器として、更に練り聖めるべく、いつも関わり合いたい!」と。


 このように、聖霊様は「罪」に関して、一切の妥協がありません。「しみ」も「汚れ」も無き、麗しい乙女として仕立てられる為には、私たちは神の「設計図」を正しく捉え、自分が愚かな次元にある「悪しきもの」を、追い求めていないかどうかを、聖霊様に点検して戴きながら、益々聖められていく最終段階に、私たちは入っています。イスラエルの民はその後、ようやく自分の「罪」を告白することが出来ました。ですから私たちも、彼ら同様に「主よ、私はあなたの御声に聞き従います。私の罪の全てを取り除いて下さる、あなたの救いの御業に感謝し、聖められることのみを追い求めます!」と、神に告白して参りましょう!


 ご存じのように神の「歴史」は、聖書の預言通りに、事(神の事実)が進んでいます。「終わりの」時には、至る所において「戦争」や、「地震」の噂話が絶えません。そのような危機の時代の中にあって、私たちはヨセフの「先見の明」に見倣いながら、何よりも一番に備蓄すべきもの、つまり生きる為に準備するもの、それが神の「福音」です!つまり「聖書」の預言通りに、神の「設計図」が進められていることを、隅々に至るまで大胆に宣べ伝える時が、いよいよ来ているのです。


 私たち霊的なイスラエルとして、今のメシアニック・ジュー(ユダヤ人キリスト者)と共に、力強く立ち上がる時が来ています!「キリストの御体」の一部、即ち霊的に組み合わされたエクレシアとして、世界宣教の為に召し出されて行く為には、先ず「日本」に住む多くの魂の為に、私たちは「福音」を語る準備をして参りましょう!「父なる神の愛は本物であり、父の真実の愛の中に、霊的に立ち返った息子(娘)として、あなたは祝福されています。ですからあなたは、どうぞ神の家族に喜んで入って下さい。そうすれば、あなたばかりでなく、あなたの家族も救われます!」と。


 あなたが聖霊様の「助け」を戴き、御子イエス・キリストの「恵み」の中、大胆に神の「福音」を告げ知らせるべく、父なる神の「設計図」通りに、更に神の「働き人」として召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年4月25日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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