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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Good-Shepherd(No.15)

      「天の糧」で満ち足りる生活




主はモーセに言われた。「見よ、私はあなた達の為に、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。私は、彼らが私の指示通りにするかどうかを試す。但し、六日目に家に持ち帰った物を整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」
                                           【出エジプト記16章4~5節】


生きる為に「必要なモノ」
 前回の神のテストは、エジプトを脱出したイスラエルの民が、「世の水」に頼るのではなく、神が必ず与えて下さる「命の水」を、常に求め続けて生きるように、彼らを霊的に回復するためであったのに対し、今回の二回目のテストは、生きる上での「糧(食糧)」を、神の「手順(指示)」通りに、彼らが忠実に果たすか否かを、神自らが見る(確認する)為のものです。


 今回の記事から、私たちに示される第一の奥義、それは「あなたにとって、生きる為に必要なモノは何ですか?」という問いです。この「必要なモノ」とは、単なる食糧を指すのではなく、実は私たちの「ある行動」が、重要となることを示唆している訳ですが、私たちが生きていく為に行動する際に、分岐点となる「考え方」があります。第一の分岐点、それは①「今」を生きるのか?それとも第二の分岐点である、②「明日(将来、先)」を生きるのか?という、二つの思考(判断)基準です。


 例えば「今を生きていく上で、何が必要ですか?」と問われた場合、私たちは「今あるもので、何とかやり繰りしながら、感謝して生きることです!」と答えるでしょう。しかし「明日を生きていく上で、何が必要であるのか?」と考えた場合に、私たちの次なる行動は、「明日(先)」の為の備え(貯蓄)を、自らの努力で積み上げようとします。


 実はサタンがイエス・キリストを、「荒野」にて何度も誘惑した際に、最初に問いかけた、生きる上での分岐点が、上記の如きものでした。「あなたが本当に神の子であるなら、この石ころ(今の現実)に命じて、パン(先の備え)となるように、為すことが出来るはずだ。そうすれば、あなたの空腹は満たされるでしょう!」と。サタンは、このように「現実」というものを、私たちの「肉の眼」に、様々にチラつかせることで、私たちを「肉の次元」の虜にしたい訳ですが、この時のイエス・キリストは、聖霊様の「知恵」を戴くや否や、次のように回答しました。「人はパンのみにて生くるに非ず、神の口から出る、一つ一つの神の言葉によって生きる!」と。


 つまり私たちが生きて行く上で、「今」であろうが、「明日」であろうが、「必要なモノ」は只一つ、神が「天」から授けて下さる、「命のパン(天の糧)」です!ですから「今」を、一番に大切な次元として生きる者は、常に「天のゲート」を開こうとする、信仰的な生き方(行動)を為します。しかし「この世」にある、様々な人間的方法(世のゲート)に頼る生き方は、「明日(先)」という概念が常に付きまとう為、「明日」の事ばかりを心配する(恐れる)のではないでしょうか。


「感謝」を集めるマナ壺
 私たちが覚えるべき、今後の重要な生き方は、反キリストがいずれ台頭した時、彼が実際に提唱する、様々な「政策プラン」を実行に移した際に、必ず役に立つものと成ります。反キリストは「人」にとって、何が生きて行く上で重要となるのか、その優先順位を図りながら、恐らく目に見える「食糧」、「水」、「エネルギー資源」等を、完全にコントロール管理し、反キリストの「政策(666契約)」に、膝を屈める(契約を締結する)各国の人民に対して、安定的な供給を約束することを、必ず提唱することでしょう。


 しかし覚えて下さい。私たちは「キリストの花嫁」であって、サタンの「家畜(奴隷)」ではありません!私たちは真の「救い主」、御国おいては王の王なる方、イエス・キリストの「王妃」です。それ故に、私たちはサタンの提供する、様々な「世の富」を無視すべきで、主なる神が惜しみなく、天から与えて下さる「命のパン」のみを、日々感謝して受け取り、喜んで食し続けましょう!


 「天のゲート」を通過する際の、最初の信仰ステップとなる、「天の小窓」をオープンする時、それは「日々の糧」であるマナを食し、イエス・キリストとの「親しい交わり」の時を、日々感謝することの出来る「人生(生活)」が、「今」にも「先」にも、必ず用意されていることを、私たちは確実に知ることになる!これが第二の奥義です。そうです!「今」を感謝しながら生きる者は、「明日」も、その「先」も、真実の神が私たちに対して、必ず「天の糧」をもって、満ち足りた祝福の人生を、日々の歩みに保証して下さることを、信仰の行動をもって確認できます。


 イスラエルの民が、実際に早朝に集めたマナは、各家庭にある「壺」に納める訳ですが、私はこれを「マナ壺」と呼びます。では今日の私たちは、自分の霊の中にある「マナ壺」に、何を集めて納めたら良いのでしょうか?それは神の側が、日々(六日間)天より与えて下さる、様々な「恵み(糧)」に対する、私たちの側からの「感謝」の捧げものです。日々の歩みで集めた、「感謝」の気持ちを納めるものが、「マナ壺」なのです。


 しかし主なる神が、「但し、六日目に家に持ち帰った物を整えれば」(5節)と、ある一つの「条件的命令」を言及している、その「理由(真意)」は、神がイスラエルの民(私たち)に対して、「六日目のテスト」を与えて、彼らの信仰が果たして、何を分岐点として行動しているかを、神自らが教え示すためです。「整えれば」という言葉は、何かを「準備(用意)する」ことを意味していません。つまり通常通りに集めることであって、明日(七日目)の分も(余計に)集めることではありません。


 と言うことは、六日目にも信仰をもって、通常通りの「分」を集めさえすれば、七日目の分が保証される、つまり「毎日集める分の二倍」になる訳ですが、「マナ壺」を余計に持って行って、次の日の分を集める必要はありません。私たちが、人間的な計画(計算)をもって、「明日(先)」の次元を様々に測ることは、自分の霊の中に「マナ壺」ではなく、「肉の壺」を用意して生きることです。その結果、如何なる事が起きるのかと言えば、「先の分」は腐り果てて、異臭(霊的な不平・呟き、不信仰な言葉、ネガティブ思考など)を放つことになります。


 自分の中にある「明日の分も用意しなければ・・・・」という、肉なる「思考」や「恐れ(不安)」などを、イエス・キリストが与えて下さる「信仰」によって、ことごとく破壊することが出来るか否か、その「信仰」のテスト(秤)に合格するめ為には、私たちが「マナ壺(霊の砦)」に、日々の歩みの中で与えられる、「天の糧(マナ)」に感謝(満足)して生きることです。


「明日」は明日自らが思い悩む!
 とかく私たちは、目に見える「現実」を見て、「先の事」を様々に測ろうと試みますが、それは結果的に「大事な事」、つまり見えざる「神の事実」が、益々「霊の眼」で捉えることが出来なくなり、遂には盲目(霊の眼が腐る)状態に陥ります。私たちにとって「大事な事」とは、イエス・キリストと同次元の「信仰」に立って、私たちが「今日の糧」を感謝することです!


 確かに今日の世界情勢は、決して毎日が「安定したもの」ではなく、日々の糧を得るのにも、大変な労苦を強いられる時代です。そのような、毎日を生活して行くのに大変な中で、「次の日」の事を考えると、私たちは精も魂も尽き果て、ついつい否定的な「将来(先)」の不安だけがよぎるのではないでしょうか。しかし覚えて下さい!真実の神の今回の「メッセージ」は、必ず私たちにとって、タイムリーな「福音(良き知らせ)」となります!


・・・・自分の命のことで、何を食べようか何を飲もうかと・・・・思い悩むな。・・・・それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなた方の天の父は、これらのものがみな、あなた方に必要なことをご存じである。・・・・だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。マタイ福音書6章25~34節】


 「明日の風」を全てコントロールして下さる方、創造主の御手の中で、あなたは生かされ、あなたに必要な「今の糧」は、必ず惜しみなく天から与えられます。それ故に、あなたが聖霊様の「助け」を通して、「今」を感謝する(霊的に集める)限り、「明日(七日目)の糧」は、あなたの生活(人生)の全てに渡って、既に(倍になって)用意されていること、これを是非信じて下さい。


 「今の時」は、あなたが「感謝」という名の、霊的「落穂」を拾う信仰行動の時と言えます。そうです!あなたはルツと同様の、大胆な信仰行動をもって、主なる神が用意して下さる、無限に広がる収穫フィールドに出かけ、「日々の糧」に対する、感謝の落穂を集める時、ボアズ(イエス・キリスト)に見守られた、将来の麗しい花嫁(ルツ)の如くに、あなたは既にイエス・キリストの、賢い五人の花嫁として選び召し出され、日々聖められているのです。


 あなたが生ける真の神の御子、王の王、イエス・キリストの美しい花嫁として、神が日々与えて下さる、麗しい神との「交わり」の中で、生きて行く上で一番「必要なモノ」、即ち「天の糧」を得ながら、毎瞬毎瞬「感謝」の祈りを捧げることが出来ますように!また、あなたが聖霊様を通して、今後も更に聖められて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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