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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Good-Shepherd(No.19)

      ヨルダン・ゲートを開く信仰




ヨシュアは民の役人たちに命じた。「宿営内を巡って民に・・・・言いなさい。各々食糧を用意せよ。あなた達は・・・・三日の内に・・・・ヨルダン川を渡る。あなた達の神、主が得させようとしてしておられる土地に入り、それを得る。」 ヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセの半部族に告げた。「・・・・モーセがあなた達に与えたヨルダン川の東の地に妻子と家畜を残し、あなた達、勇士は皆、隊伍を整え、同胞たちに先立って川を渡り、彼らを助けなさい」・・・・彼らはヨシュアに答えた。「我々は、御命令を行います。遣わされる所には何処へでも参ります。・・・・如何なる命令であっても、あなたの口から出る言葉に背いて、従わない者は死に定められねばなりません。どうぞ、強く、雄々しくあって下さい。」
                                            【ヨシュア記1章10~18節】


世の「戦法」と神の「戦法」の違い
 私たちは解決し難い「大問題」、又様々に被る「災い」、そして立ちはだかる巨大な「壁」などの、ある種の「敵」を前にした際、如何なる「戦い方」を取るでしょうか?大抵の場合でしたら、自分の「後ろ(背後)」に、大切なものを残したまま、前面に相対する「敵(問題など)」を、先ずは対処(解決、勝利)しようとします。「後ろ」の大切なものは、前面の問題を解決した後に連れ戻すなどの、最善の「戦い方」を取るでしょう。


 しかし今回の場合、ヨシュアに命じられたルベン人、ガド人、マナセの半部族の勇士たちは、常軌を逸した驚くべき「戦法」を、神から指示されることになります。そこで今回は①この世の「戦法」と、神が私たちに対して、実際に指示される②霊的な戦法、その明らかな「違い」について、私たちは先ず知る必要があります。


 この世の「戦法」として代表的なもの、実際の戦争において取られる方法の中に、「背水の陣」という有名な方法があります。これは「後ろ(背後)」に後退できぬよう、あえて背後に「死のフィールド」、例えば大河や海、そして断崖絶壁がある所に、軍(兵)全体を布陣します。そして、前面の「敵」に相対することで、軍(兵)全体の士気を高めるべく、故意に「死のフィールド(難局)」を背後に置いた上で、前面の「敵」を乗り越えさせる戦法です。まさしく「難局」という、八方塞がりの困難な局面にあって、兵士は死ぬ気になって戦うなど、「死」を故意に演出した戦法です。「死」を背後に置くことで、前面の「敵」に立ち向かって勝利を獲得すること、これが世の「戦法」です。


 それに対して、今回ヨシュアを通して、主なる神が実際に指示された、ルベン人、ガド人、マナセの半部族の兵(男性陣)が布陣した「戦法」は、「ヨルダン戦法(布陣)」でした。この「ヨルダン戦法」は、第一に「敵国の地」において、あえて自分たちの大事な仲間、即ち家族(妻子)や親戚(一族)を残した状態で、第二に実際に兵士として出陣した男性陣が、「死のフィールド」であるヨルダン川を渡り切り、八方から来るであろう「敵」の攻撃に対して、ヨルダン川の対岸(東部)に残した、仲間や家族の命を守べく、共同体全体で立ち向かう、神が指示した戦法です。


 この方法は「背水の陣」と違って、兵士の士気が落ちる(持続しない)可能性があります。何故ならば、未だ占領していない「敵地」の中に、大切な家族を取り残したまま、ヨルダン川の対岸(西部)に布陣している、「敵」に攻撃を仕掛けることは、仮に自分たちの「戦い」如何にあっては、残された家族が「今後」どうなるだろうか?などの不安が付きまとうからです。つまり「不安」を後に置いて、前に進み行く戦い方ですから、むしろ兵全体の士気が上がらないのではないか!と思われます。そういう意味で、神は何故このような、逆に「不安」を引き出すような戦法を、今回指示されたのでしょうか?


 但しその場合、神の命令に従うか否かは、受け取り側(彼ら)には自由があります。仮に受け取り側が、「無理(不可能)だ!」と決めてしまえば、戦う前から「敵」に降参したことになます。しかし今回の「命令(指示)」を、主なる神が言われる限り、必ず「勝利」を得ることが出来る!故に、自分たちは決死の覚悟で戦う、つまり自らの「命」を投げ打ってでも、最後まで戦い抜く!という、決死の「信仰」が問われる戦いになります!


ヨルダン・ゲートを開く
 そこで今回は「ヨルダン・ゲート」を開く、つまり「ヨルダン川」を霊的に渡り切ってまで、「敵」に対して戦い抜く際に、「ヨルダン川」の背後には家族を残しておくなど、「背水の陣」とは逆の戦い方になりますが、そのような場合に「ヨルダン・ゲート」を開く信仰が、如何なるプロセス(手順)によって形成され、最終的に勝利して行ったのか?この二点について、私たちは正しく知る必要があります。


 主なる神は「戦い方」に関して、具体的な「戦術」を指示していませんが、ヨシュアは三部族に対して明確な「ビジョン」、つまり戦うべき「指針(方向性)」を指しました。ヨシュアは13節において、先ず「敵の地は元々、敵のものではない!そこは本来、主なる神が我々に与えた約束の土地であり、我々が住むべき安住の地である!故に、ここは敵地にあらず、自分たちが約束として住む神の土地である!この地で戦うのであれば、それは神が共におられることを、必ず勝利という結果で得るのだ!我々が大胆に戦う限り、神の地に妻子を残して出陣したとしても、神が必ず勝利を与えて下さる!」という、驚くべき「ビジョン」を提示しました(手順1)。


 ヨシュアのこの「言葉」は、前回登場したカレブと、同様の「信仰宣言」です。続いてヨシュアは「婦女子と子供たち、そして家畜を残したまま、男性陣の勇士たちがヨルダン川を渡り切って進軍せよ!」と命じました(手順2)。それから「敵地を占領したら、再び家族の元に帰ることで初めて、ヨルダン川東部を約束の地として、必ず得ることが出来る!」と、明確なゴールも指し示しました。(手順3)


 実は「手順2」と「手順3」の中に、主なる神が彼ら対して「ヨルダン戦法」、つまり神の「戦い方」の極意を、直々に提示していることが分かります。つまり「あなた方が指示通りに進軍し戦うだけで、必ず勝利を得られる結果となる!」など、大胆不敵な「神の兵法」のモデルが描かれています。今回の如き、部族全体の存亡に関わる「大難局」に立ち向かうには、実は「家族一体型戦法」、即ち部族(家族)全員で戦い抜くという、「信仰の法則」が試される訳です。


 「残された側」も、「敵」と相対することが無くとも、共に戦うことが要求されます。如何なる方法で戦うのでしょうか?それは「祈り」の戦いです。神に対する「信仰」という、同じ「思い」に立って、家長及び男子たちの「戦い」の為に、女性グループが「祈り」のバックアップ(後方支援)を為すのです。勿論男性たちは、実際に手に武器を取り、様々な「敵」と戦います。しかし武器を手にする、その手の拳の力の源は、「家族を守らなければならない!神の守りにある家族が、我々の勝利の凱旋歌を聞くまでは、我々は必死になって戦い抜くのだ!」という、家族の為に戦うことが、引いては神の「栄光」の為に戦うなど、共同体全体が一つの「大きな家族」、つまり一体化した「神の大家族」として、敵との「戦い」に突き進んだ訳です。


 女性グループの「祈り」のバックアップ、そして男性グループの「実戦」、これは今に生きる私たちキリスト者(キリストの家族)の、霊的「戦い」においても必要となる、非常に重要な霊的「布陣」と言ってもよいでしょう。エクレシアの中で、男性信者は何をすべきか?そして女性信者は何をすべきか?この霊的な連携プレーが、非常に重要となります。共に祈り合い、共に戦うべき次元において、聖霊様が与えて下さる、様々な霊的武具を戴きながら、一体化した「戦い方」を形成して行くことで、完全なる勝利を為すことが出来るなど、これが「ヨルダン戦法」です。


聖霊様の「励まし」
 結論になりますが、「手順4」の項目として、三部族のリーダーたちは、実際の「戦い」に挑むに当たり、イスラエル共同体の新指導者である、ヨシュアに対して進言しました。彼らの進言は、「とりなしの祈り」とも言えます。大指導者モーセ亡き後の、若き指導者ヨシュアが、物凄いプレッシャーの中、「新リーダ」として力強い言葉を発していても、リーダーとして初めてとなる、「敵」との戦いにおいて、やはり躊躇してる部分が多々あることを、聖霊様から示される訳です。


 そこで三部族の若き勇士たちが、進んでヨシュアに進言しました。「ヨシュア様、どうぞあなたは、神の御力によって強くされ、そして聖霊様が注いで下ださる、信仰の油注ぎをもって、雄々しくあって下さい!決して身震いして、後退することが無きよう、私たちも前線において、力強く戦い続けます。どうぞ、あなた様は背後から、祈りの指導者として、同じように戦って下さい!」と。


 実は彼ら三人のこの言葉は、今日に生きる私たちキリスト者に対する、聖霊様の霊的「励まし」を表しています。聖霊様は、今日の「エクレシア」に問い質します。「今までのリバイバルは、確かに偉大なる指導者の、カリスマ的指導によって導かれて来た。しかし今の時代は、そんな一人のリーダーによって、共同体(エクレシア)全体が、引導されるような時では無い!敵たちは、これらのリーダーを霊的に倒すことで、エクレシアに連なる信者全体を、物凄い混乱(分裂)に貶め、様々に破壊してきた。しかし今は、全てのキリスト者が強くあり、雄々しくありなさい!一人の強力なリーダシップによって、教会の信仰が高められ、かつ前進するような今までの方式ではなく、召集されたエクレシア全体が、使徒行伝の時代と同じように、上(天)から注がれる、力強い炎に導かれ、全員で最後まで戦い抜くなど、このヨルダン布陣の信仰が必要となる!」と。


 皆さん、どうでしょうか?私たちは聖霊様が言われる、この強力な霊的「励まし」を、どう受け留めるべきか、私たちの「信仰」に掛かっています。私たちも、三部族の勇者たちと同様に、決死の覚悟をもって、信仰の「戦い」を戦い抜くことが、霊的に問われています。


身を慎んで目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、吠え猛ける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏み留まって、悪魔に抵抗しなさい。あなた方と信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなた方も知っている通りです。しかし、あらゆる恵みの源である神、即ち、キリスト・イエスを通してあなた方を永遠の栄光へ招いて下さった神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなた方を完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことが無いようにして下さいます。
              【Ⅰペテロ書5章8~10節】


 ペテロが私たち対して、今の大変な時代、つまり「難局」と言われる、「世の終わり」の時代の中で、どのように戦って行ったらよいのか?また霊的に励まし合って行くべきか?など、簡単な文面でありますが、端的に教え示しているのではないでしょうか。


 あなたにも、力強い神の大いなる「励まし」と、聖霊様が与えて下さる、「ヨルダン・ゲート」を開く信仰が、油注ぎとして豊かに与えられ、そして大胆に踏み出すことが出来ますように!あなたの全てが、完全なる一つの強力な「神の家族」として、この終わりの時代の中にあっても、「勝利」から更なる「勝利」へと突き進む、「エクレシア」として召し出されますように!又あなたが、一人の「神の兵士」として、「最後の戦い」において、聖霊様と共に進軍することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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