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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

神のご計画(No.5)

            驚くべき旅路の始まり




あなたは腰に帯を締め、立って彼らに語れ、私が命じることを全て。彼らの前におののくな。私自身があなたを、彼らの前でおののかせることが無いように。私は今日、あなたをこの国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせる。彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。私があなたと共に居て、救い出すと主は言われた。
                                                 【エレミヤ書1章17~19節】


最後の「戦い」に備えよ!
 現在の目に見える次元と、目に見えざる霊の次元において、実はこの二つの相反する次元が連動しながら、大いなる「戦い(バトル)」を繰り広げ、それは今も尚、益々拡大しつつあること、これを私たちは霊的にキャッチすべきです。


 即ち、目に見える次元においては、「暗闇」の勢力とも言うべき、偽り(不正)の集団が世界各地において、悪しき力をもって「最後のあがき」を為すべく、その勢力を拡大しています。また目に見えざる次元においては、「暗闇」の拡大に対抗すべく、真の光なるイエス・キリストに連なる「正義の戦士(神の兵士)」、つまりエクレシア(真の花嫁)の群れが、「真実(神の御言葉)」をもって、様々な霊的戦いに挑んでいます。


 実はどちら側の勢力も、双方に霊的な「オトリ(戦略)」を仕掛けることで、霊的な攻めぎ合いが繰り返されている訳ですが、敵はいよいよ「偽救世主」、つまり反キリスト(666)の台頭の時に向けて、2019年の暮れから極端な戦いを、世界規模で実行しているのではないでしょうか!


 このように世界情勢が不安定な状況に陥る中、私たちキリスト者は如何なる霊的戦いに挑み、まだ信仰行動の面においては、如何なる霊的旅路を進むべきでしょうか?そうです!「信仰の旅路」という、この大いなる霊的旅程において、主なる神が私たちに対して、如何なる「備え」を、霊的に為して行くべきかが問われているのです。


 つまり「今の時代」に、私たちが如何なる「生き方」を為し、そして如何なる戦いに挑むべきか、その信仰上の覚悟が問われているのです。言葉を換えるなら「熱い」のか、それとも「冷たい」のか、どちらの信仰態度で生きるかであり、「ぬるま湯」の状態(態度)では駄目です。信仰態度が「熱い」とは、イエス・キリストに対して、常に激しく渇き続け、「パッション(熱情の愛)」をもって、御子と共に「最後の戦い」に挑む(命を懸ける)ことです。そして逆に「冷たい」とは、文字通り信仰的にも冷めていて、世に迎合する名ばかりの宗教者であります。


二つの「戦略指令」
 エレミヤに語られた今回の神の言葉は、今に生きる私たちキリスト者に対して、同様に発令されているもの、喩えるなら軍団の最高司令官が、全部隊の兵士に向けて発した「軍令」、つまり「戦い」の号令とも言うべきものです。そういう意味で、今回の神の「軍令」には、二つの重要な「戦略」とも言うべき、重要指令書が記されています。


 第一の重要な戦略指令は、「あなたの信仰の歩み(戦い)は、神(最高司令官)のサポートにより、①ワンダフル(神の不思議に満ちた戦略が立案されている)作戦であり、また②アメイジング・ジャーニー(神の驚くべき戦術により、最終的に勝利を得る)」戦果が先に用意されている!」ことです。実はエレミヤ同様に、私たちにも具体的な神の「軍令」が、霊的に下知されています。


 先ず「ワンダー(神の不思議)」という霊的概念を、この世の人々は正しく理解することが出来ません。特に2020年から世界規模で発生した、パンデミック(コロナ禍)事象に関しても、たとえ目に見えない敵であっても、それを「死病」の如きものとして捉える為、「恐れ」に満ちた勢力からの攻撃を受けている、つまり「敵」を前にして、既に「死への旅路」を信じて、恐れ始めていると言えます。


 しかし私たちは、「この世」という目に見える次元に、信仰の基礎を置いていません。私たちは信仰の創始者、かつ完成者なる方、主イエス・キリストに、全ての「望み」と、将来に対する「約束」を、霊的礎として据えているので、目に見えざる次元においては、尚更イエス・キリストご自身が、全てを支配しておられることを信じ、如何なる敵をも打ち砕くことを、霊的に知っているのです。故に人間的な「恐れ」ではなく、神の偉大なる「ワンダー(不思議な御業)」が、私たちの全てに満ちていること、これを心から畏れ信じているのです。そして私たちは必ず、神の与える「祝福」を見て、受け取り、そして祝うことが出来るのです!


 私たちは「何」を驚くべきでしょうか?それは人の知恵を遥かに優る「神の事実」が、神の偉大なる「祝福」に至る、圧倒的なものとして、この地に現われ出ることにより、「現実(目に見える事実)」をことごとく破壊し、新しい「神のフィールド」が建て上げられるべく、私たちの信仰の旅路には必ず用意されること、これを驚くのです。


 前回学びましたように、エレミヤは確かに二つの、驚くべき神の「サイン(啓示)」を見ました。しかし、それと同時に彼は、ふと自分の「現実(今の姿)」を見て、「弱々しい、この青二才の若者に、果たして何ができようか!」と、身震いする自分が見える訳です。エレミヤがそうだったのであれば、私たちは尚更、目に見える三次元的「事実」を見て、すぐに恐れる「弱さ」があります。


 しかし覚えて戴きたいことは、主なる神は私たちのことを、尚も①ご自身のワンダフルを与えるに相応しい者、そして②アメイジング・ジャーニーを、確実に歩むことの出来る、信頼できる「信仰の旅人」として、聖なる御目で見守り続けて下さるのです。これが聖霊様を通して為される、第二の重要な戦略指令につながります。それは「(弱き者)だからこそ、今のエレミヤである、あなたに対しても、大いなる神のビジョン、即ち神の事実として捉えた、本来のあなたの姿を見せて、命の言葉である軍令を、直々に授けて下さる!」という点です。


 その軍令(第二の戦略指令)とは、「ただ勇気をもって語りなさい!」という、非常にシンプルな命令です。この場合の「勇気」とは、己の中から生じる精神的鼓舞ではなく、神ご自身が「天(上)」より注いで下さる、圧倒的な油注ぎによって吹き出される、「霊的パッション(激しい熱情)」です。しかし私たちは、「現実」の大きさを見たり、不可能なビジョンを描くなどして、「もう先には進めない!」という、ネガティブな思考を、霊の只中に据えようとするなど、愚かな不信仰の旅路に逆戻りしようとします。


 神ご自身が私たちに対して、「ただ命の言葉を語りなさい!」と命じられること、それは神が「創造主」として万物を創造される際に、「命の息」をもって最初に語った、あの重要な創造指令である、「真実の光よ、虚無の中に直ちに現れ出よ!」と同様の霊的権威が、実は私たちの唇にも、必ず付与されるということです。


 あなたが「神の言葉」を語るということは、それを「受け留める者」が必ず居る!ということです。「軍令」が発させられる時、それは味方の兵士たちが、忠実に「軍令」の全てを受け留め、それを必ず実行に移すべく、具体的な「戦い」に挑むことを意味しています。と言うことは、あなたが「神の言葉」を語る時、そこには神の言葉を現実ならしめるべく、最大限の責任を担って下さる方、即ち「聖霊様」が共に居て下さり、様々に働いて(先陣を切って戦って)下さるのです!この偉大なる「神の事実」を、私たちは素直(忠実)に信じる必要があります。


 今のエレミヤである「あなた(私)」の唇に、創造主なる神が「命の言葉」を授けられる時、それは「暗闇」の勢力を圧倒(一掃)する程の、つまり霊的な勝利を確実にする「天の力」となるのです!私たちは「神の兵士」であり、そのことを純粋に信じる、聖霊様の実行部隊として、仲間の兵士と「軍令(神の言葉)」を共に分かち合う、非常に重要な役目が課せられています。


三つの「デザイン(霊的ビジョン)」
神よ、あなたこそ私の王。ヤコブが勝利を得るように定めて下さい。あなたに頼って敵を攻め、我らに立ち向かう者を、御名に頼って踏みにじらせて下さい。私が依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって、勝利を得ようともしません。我らを敵に勝たせ、我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。我らを絶えることなく神を賛美し、とこしえに、御名に感謝を捧げます。
                                                   【詩篇44篇5~9節】


 ですから私たちは、次のように宣言しましょう!「イエス・キリストよ、今ここ(この戦いの場)に現れ出て、勝利の御旗を掴み取って下さい!あなたの具体的な軍令を発して下さい。そして私たちを、勝利の凱旋へと導いて下さい!」と。その時に聖霊様が、私たちに具体的な「霊的ビジョン」を、三つのデザインとして示して下さいます。


 先ず最初のデザインが、①私たち自身が「堅固な町」となる!ことです。これは如何なる敵の攻撃にも、決して倒れない(ひるまない)、堅固な信仰を確立した存在(群れ)、それが「あなた(私)」であることです。第二のデザインは②あなたの信仰の真髄には、「鉄の柱」が据えられている!ことです。つまり一人一人の信仰には、如何なる敵の攻撃にも、決して破壊される(崩される)ことが無い、神の「命の言葉」が、鉄の如くにあなたの信仰行動を、常に守り導いているのです。


 第三のデザイン、それは③私たちエクレシア全体が、「青銅の城壁」に囲まれている!ことです。大抵の場合「城壁」は、石材かレンガを積み重ねたものです。しかし強度においては、敵が幾重にも破壊攻撃を仕掛けてきた場合に、限界点を超えて一部が破壊されますと、一気に突破口が開かれます。そして内部は、なだれ込む敵の破壊行動によって、遂には陥落の憂き目に遭うのです。


 しかし覚えて下さい!私たちイエス・キリストの花嫁は、如何なる敵の多重攻撃によっても、決して霊的に突破されることの無い、「青銅の城壁」の如き、鉄壁の「覆い(救い)」のしるし(血潮)が、エクレシア全体を塗り聖め、決して害されることの無い、聖い「賢い乙女」として、聖霊様自らが「エクレシアの盾」となって下さること、これを是非覚えておいて下さい!


 ですから私たちは、恐れる次元には無いのです!目に見える領域においても、目に見えざる領域においても、創造主なる神の「戦い」が、偉大なる驚くべき「御業」、つまり「ワンダフルなもの」として現れ出て、また「アメイジング・ジャーニー」へと導くものとして、私たちを「信仰の次元」へと召し出していること、これを心して出陣しましょう。


 私たちの主イエス・キリストの「守り」と「導き」が、助け主なる聖霊様を通して、あなたの信仰の「戦い」の中に、豊かに注がれて参りますように。また私たちに与えられる、神の偉大なる霊的ビジョンが、あなたの唇にも「命の言葉」として激しく注がれ、あなたが勇気をもって語ることで、「真実の光」を地に照らし出す、キリストの「救い」が豊かに現れ出ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2021年1月31日のメッセ-ジ)


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