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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

正しい生き方(No.22)

          全てを回復する神の贖い




ボアズは・・・・長老と全ての民に言った。「あなた方は、今日、私が・・・・エリメレク・・・・の遺産を・・・・ナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。また・・・・ルツも引き取って妻とします。・・・・あなた方は、今日、このことの証人になったのです。」・・・・全ての民と長老たちは言った。「そうです、私たちは証人です。・・・・どうか、主がこの若い婦人によって、あなたに子宝をお与えになり、タマルがユダの為に産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。」ボアズは、こうしてルツをめとったので・・・・ルツは男の子を産んだ。・・・・近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に・・・・オベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。・・・・
                                                        【ルツ記4章9~22節】


最終「手続き」
 今回の記事に見られる「手続き」は、親族と全ての民の前で認証する、最終的な手続きとなります。買い取った「証拠」を、長老たちの前で正式に認証すべく、彼らの「証言」として記録する、つまり全ての「同意」を戴く形となります。


 これは、今の時代の私たちキリスト者にも、霊的に通じる「手続き」を示しています。私たちが「今の時」に生かされ、霊的に「正しい道」へと、様々に取扱いを受けながら、「神の子」としての歩みを継続出来ること、これは私たちの「肉の努力(人間的手続き)」によるものではありません。


 例えば、結婚式を終えたばかりの夫婦が、公的役所に赴いて「婚姻届け」を提出するだけで、その法的手続きに則って、彼らが「正式に夫婦である!」と認証されますので、これは非常に簡単な手続きです。


 しかし私たちキリスト者の場合は、そのような法的手続きによって、簡単に認証されている訳ではありません。それは創造主にして、偉大なる神ご自身が、御子イエス・キリストを十字架上に屠ることで、その流された「血潮」と裂かれた御体という、何にも代え難い貴い「贖い」の代価を、世の君サタンに対して支払うことで、「罪」の奴隷の身分から、私たちを「神の者」として買い取る!そのような完全な「贖い」の手続きが為されているのです。


 その際ある方が、最終的な認証の「手続き」を、霊的代行(執行)を取り持つ神として、ねんごろに働かれます。即ち「助け主」聖霊様です。聖霊様は、イエス・キリストの「贖い」の認証のサイン(血潮の印)を見て、「この者は、イエス・キリストという贖いの代価により、父なる神の子として特権を得ている。何よりも重要な証拠は、御子の正式な妻であり、賢い花嫁である!」と、サタンに対して堂々と証言するのです。


 ボアズが実際に買い取ったものは、①エリメレク族の畑地、そして②ナオミに連れ立って帰郷した異国のやもめルツ、この二つでした。この際ボアズは、ルツの身分を異国人という、「奴隷(労働者)」として買い取った(身元を引き受ける)のではなく、彼の正式な「妻」という、ボアズと同等の身分(家族の一員)として、彼女と婚姻関係を結ぶ、一大決心を表明したことになります。


三つの「重要プロセス」
 前述したように、私たちキリスト者の場合も、父なる神の「救い」の手続きにより、「この世」から霊的に買い取られた訳ですが、次の三つの重要ポイントを、常に覚えておく必要があります。第一に私たちは①誰のものから買い取られたのか?次に②如何なる方法(手続き)によって為されたのか?最後に買い取ったことで、③私たちの「何」が捨て去られ、代わりに与えた「新しいもの」とは何なのか?この三点です。


 先ず第一に、私たちは①悪しき勢力の筆頭、サタンの支配下から買い取られました。これは霊的に、「マラ!」と自分のことを呼び続けた、ナオミと同じ「不信仰」の領域に支配される人々も含みます。私たちは信仰を戴いても、「希望」や「良き事」が続く場合は、自分の人生を見て「ナオミ(快い)!」と呼ぶのですが、それが失せた場合に、直ぐ様「マラ(苦い)!」と、不信仰の領域に身を置きます。


 そのような「不信仰」の領域からも、私たちは買い取られているのです。サタンは私たちキリスト者を、常に「不信仰」の牢獄に閉じ込め、私たちを「罪」の縄目に、永久に束縛したいところですが、ルツの勇気ある信仰行動を通して、ナオミの信仰が霊的に回復したように、私たちはもはや、サタンの奴隷ではありません!


 次にボアズの迅速な信仰行動と、ルツに対する破格のケアに見られるように、②イエス・キリストの十字架の「贖い」の御業という、偉大なるキリストの「信仰」と、全ての「罪」を覆い尽くす程の、完全なるケアによって、私たちは救われて(買い取られて)いるのです。そして「死」から「復活」という、永遠の「贖い」の手続きにより、私たちは「過去」の持つ、悪しき「束縛」の世界に、二度と戻ることが無くなったのです。


 そして第三に私たちが、今まで持っていた「罪」の奴隷、つまり「滅びの身分証」が捨て去られ、私たちには③新しい「神の子」としての身分、つまり「御国のパスポート(永遠の資格証)」が、イエス・キリストの「贖い」の代価によって、信じる全ての者に付与されるのです。それはルツがボアズにとって、生涯の「重要なパートナー」であるのと同様に、私たちキリストの花嫁は、御子にとって無くてはならない「真実の伴侶(Key Partner)」だからです。


あなた方の体は、神から戴いた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです。あなた方は、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい。
                                                【Ⅰコリント書6章19~20節】


 この御言葉には、私たちに付与されている、重要な御国の「霊的資格」が、三つ示されています。①私たちは聖霊が宿る神殿(神の御住まい)であること。②私たちはもはや「自分のもの(罪の奴隷)」ではなく、生ける「神のもの(神の御体の一部)」であること。③神の御目から見て私たちは、常に「神の栄光」を現わす「重要な器」であること、この三点です。


ペレツの系図に組み込まれる
 ボアズによる最終手続きによって、確かにルツが彼の「花嫁(生涯の伴侶)」であることを、一族の長老会議の前で認証(決裁)されました。その際、ある長老の「証言」の中に、不思議な「表現(言い回し)」がありました。それは「タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。」(12節)の祝辞です。


 ペレツとはヤコブの子ユダと、ユダの長男の嫁であった(後々やもめとなる)、タマルとの間に産まれた双子の一人、つまりダビデの始祖となる人物です(創世記38章、マタイ福音書1章参照)。ユダの長男エルと結婚した彼女には、夫との間に子が授かりませんでした。しかも夫は早死にすることになります。主なる神の「御心」に反したからです。その後何年経っても、再婚の道が開かれずに、失意のまま過ごしていた彼女は、ある時とんでもない行動に移ります。その方法がルツと同様の、いやそれ以上の常軌を逸した、勇気ある選択を為しました。


 その方法とは、ユダの子孫(家系の実)を絶やさぬ為、ユダ本人の「種」をもらい受けるべく、全くの別人に変装(化粧)して、ある晩ユダと一夜を共にしたことです。これは今の時代でも、たとえ相手が寡夫であったとしても、「義理の父」と関係を持つことは、倫理上認められないことで、この時代にあっては「死罪」、若しくは「永久追放処分」に等しき行為となります。


 しかし彼女は、自分の命と引き換えにしても、ユダ族の「種」を求めて、その後見事に双子の男子を出産します。この時彼女に対して、大胆な信仰行動を促し、一族に見つかった場合に備えて、不思議な「知恵」を与えた方(聖霊様)が、彼女の「祈り」に応えながら危機を回避し、双子の一人に神の「祝福」を注ぐことになります。その子の名が「ペレツ」であり、ボアズの先祖となり、最終的にダビデの「系図」の出発点となります。


 仮に私たちが「この世」から、例えば「お前たちのような弱小集団が、何をしたところで、祝福なぞありゃーしない!耶蘇(差別的レッテル名)として、隠れて黙っとれば良いのだ!」等と、様々に罵倒されたとしても、聖霊様だけは私たちのことを、父なる神に賛美しながら証言します。「主なる神よ、この者の為すことは全て、あのタマルやルツと同様に、賞賛すべき賢い花嫁です。御子の真実の伴侶として、彼女はいずれ日本のリバイバルの時に、あなた様の計画通りに、産めよ、増えよ、地に満ちよ!と、御国の遺産を継承する者となります。故に今後も、どうか引き続き祝福を注いで下さい!」と。


 ルツがボアズとの間に出産した子は、「オベド」と名付けられました。これは「神に仕える(従う)」という意味です。「死」を恐れずに、神の「御心」に従って行動した、タマルの勇気ある信仰行動が、後々のボアズとルツを引き合わせ、オベドという神の「祝福の実」につながったことは、ある面でイエス・キリストの死を恐れず、十字架の「贖い(救い)」を完成するべく、父なる神の「御心」に従う、信仰の雛形とも言えます。


 そうです!私たちは「神に仕える者」、霊的オベドとして召されているのです。ユダの獅子、イエス・キリストの王族として、この地に「産めよ、増えよ、地に満ちよ!」と命じられた、主なる神に祝福された「約束の民」として、あなたが今後も、更に祝福されて参りますように。イエス・キリストの「贖い」の御業により、この地の全ての「呪い」を、神の祝福へと回復する、その偉大なる「認証」の手続きが、あなたの信仰行動を通して、更に拡大して参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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