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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.38)

          「今」と「明日」を使い分ける信仰




王は、「早速ハマンを来させなさい。エステルの望み通りにしよう」と言い、王とハマンは・・・・酒宴に赴いた。王は・・・・エステルに言った。「何か望みがあるなら叶えてあげる・・・・」「私の望み、私の願いは・・・・(再度)酒宴を準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出まし下さい。明日、仰せの通り私の願いを申し上げます。」
                                                       【エステル記5章5~8節】


「人の時」と「神の時」
 人は「人の時」の中で、自分の「計画」を立てたり、物事を様々に思い巡らしながら生きています。但し「人の時」には、ある限界があります。それは例えば「過去の時は決して取り戻せない!」、「明日の時を計れない!」など。


 覚えて戴きたいことは、「人の時」に生きる者と、「神の時」に生きる者の違いを、私たちは改めて霊的に学ぶ必要があるという点です。殆どの人々は、「人の時」に生きています。それに対して「神の時」に生きる者は、単純な信仰を働かせて、「神の時」の中に、自分の全てを委ねて生きています。


 「人の時」に生きる者の特徴として、彼らは先ず「時」というものを、「過去」「現在」「明日(将来)」が、まるで円形を描くように、連動して動いて(働いて)いる故に、全ての時が同じ次元にある!と捉える傾向にあります。例えば「過去が~だったから、今の○○○がある。だから将来も~なるかも知れない!」などと、常に「先の時」に関して「心配(不安)」と「恐れ」を抱くなど。このような悲観的思考は、全て「罪」の支配(縛り)がもたらすものです。


 しかし「神の時」に生きる者にとって、「時」のサイクル(刻まれた一定の法則)自体が、神の「創造の法則」の中にある!と、信仰で捉える(掴み取る)ことが出来ます。特に神の「永遠の愛」にある限り、自分の「過去」がどうであれ、真実の神は、その過去の自分の全てを、御子イエス・キリストの十字架の「死」、つまり貴い「贖い(犠牲の生贄)」を通して、完全に「無罪放免(純白)!」と認定して下さる!と信じることが出来ます。また「今(現在)」であっても、また「先(将来)」に渡っても、神は永遠に「真実な方」として、私を守り導いて下さる故に、「神の時」の中に「私」を委ねるのです。


 そうです!ある面でキリスト者とは、「過去」「現在」「未来」を、真実の神によって贖われた「救いの時」、つまりイエス・キリストの、貴い「贖い」の御業によって、新しく創造された「私の時」である!と素直に信じる神の民です。


「今」でなく「明日」に託す
 クセルクセス王が、エステルの「願い」を聞き入れ、彼女の「酒宴」にハマンを同席する!という、確固たる「絶好の時」を得たにも関わらず、何故エステルは、この日の晩(酒宴の時)に、一気に「事」を運ぼうとしなかったのでしょうか?歴史的事実(人の時の流れ)としては、彼女は「明日(翌日)」の酒宴に、事を為すことになります(時を延ばします)。


 彼女には「明日」という計画は、元々無かったと思われます。この時に、一人のユダヤ人として、「よし、今こそチャンスの時だわ。王様に(ハマンの陰謀)全てを証言しよう!」などの誘惑の思いもありました。なのに何故、彼女はそうしなかったのでしょうか?「答え」から言えば、彼女にストップをかけた方(聖霊様)がいた!ということですが、実は彼女は自分の素性(出所)が、敵(ハマン勢力)に既に知られているという前提で、逆にこちら側も敵の動向を知るべく、信頼できる女官に命じて、ハマンの行動の全てを監視していました。


 その得られた情報を分析する中で、ハマンが特にモルデカイの一族が、ペルシャ帝国のどの場所に暮らし、どのような職業に就いているかなど、綿密に調査したり、ユダヤ人の所在に関しては、徹底的に(所在の全てを)洗い出していること、そして「その時」が来たら、帝国法に抵触しない範囲で「事(殺戮)」に至るなど、既に「悪しき計画」が始まっている!と、先読みしていました。


 エステルはクセルクセス王の、慈悲深き「提案(申し出)」に対して、非常に悩みました。「どのようにしたら、ハマンの陰謀を明るみに出し、自民族が帝国に反逆していないことを、如何なる行動で立証できるか?」と。ハマンの「陰謀(計画)」自体が、既に立法化されていますので、「人の知恵」では立ち打ち出来ない訳です。


 「一気に全てを打ち明けたい!」と思った「この時」、聖霊様が彼女の「霊」に命じます。「待ちなさい!今は、その時ではありません。今あなたが為すべきことは、今のあなたの立場が、神の御心の中にあることを、よくよく十分に考え、その時の為に祈ることです!」と。その瞬間「あ、そうだわ。今は全ての時を捧げ、神の時の中に自分の全てを委ねるべきね。」と気付かされた彼女は、即座に目を閉じます(祈ります)。「聖霊様、ではどう返答したらよいのですか?」と心の中で問いながら。


 すると「(今は)心配しなくてもよい。明日、私が事を為しますから。」という、聖霊様の「知恵の言葉」を確認した彼女は、クセルクセス王に「明日も私の酒宴を催しますから、その時にお答えしますので、今日と同様ハマン様も、どうぞお連れになって下さい!」と、丁重に返答しました。


 王の前で、二度目も自分が招待されたことを、エステルの唇から直接確認したハマンは、すっかり上機嫌になって、エステルに対する「警戒心」が失せました。そして「このお方は、私の味方だから大丈夫!」と錯覚し、「明日」への備え(警戒)を油断することになります。そうです!聖霊様の「知恵の言葉」が、敵の「謀略(人の計画)」を騙したのです。


 エステルは「今の(自分の)時」を、「明日」という神の領域の中に、その全てを委ねました。とかく私たちは、「明日」のことを心配する余りに、右往左往したり、精神的に苛立つことが多々ありますが、これは「人の時」という弱さの中に、盛んに働きかける悪霊によるものです。「明日」のことを思う(心配する)と、「今の時」がチャンス!と思い、様々に計画を立て動き出す、これが私たちの「罪」から来る心理的衝動です。


 しかし聖霊様は、私たちキリスト者に対して、先ずは「今はストップ!」と注意喚起し、「明日に働かれる神の働きを信じて、今の時の全てを神の時に委ねなさい!」と命じられます。そうです!エステルは、「今の時」の全てを神に託し、「明日」の酒宴の準備に移りました。これによってハマンは、神の「ご計画」の領域に、更に引きずり込まれることになります。


「今」と「明日」を使い分ける信仰
 「明日」がどうなるのか、全く分からない状況下にあって、私たちは決して動いてはなりません!「明日」が分からないから、「今」このように動く!こと、これは肉なる行動です。「明日」がどうであれ、「明日」は神の領域である故、「私は今の時がどうであれ、今の全てを神に感謝します!今に働かれる聖霊様に期待します。」と告白する、これが正しい信仰行動です。


 ですから、私たちは「今」の経済状態から判断して、「明日」の経済を計算したり、計画を立てるなどの行動に、決して移らないようにしましょう!私たちが祝福される唯一の方法は、私たちの「歩み(行動)」の前に、真の牧者なる方、イエス・キリストを置くことです。これが「今」と「明日」を、聖霊様の指示のもと使い分ける信仰です。


 「神の時」が来ると、必ず素晴らしい事が起こります。私たちキリスト者は「今」、聖霊様を通して霊的に練り聖められ、また振り分けられています。今の「コロナ禍」が収束しても、次々と新たな「災い」が発生する中にあって、私たちは「今」の全てを感謝しながら、御国の「婚礼(大祝宴)の時」に向けて、「不安」におののく多くの人々に、神からの「招待状」を届ける、その重要な働きが「あなた(私)」にはあるのです!


 どうぞ、あなたが「今」置かれた状況に対して、決して呪ったり(悲観したり)、苛立ったり(否定したり)、また悪霊が様々に見せる、「三次元的事実(現実)」の誘惑(罠)に陥ることが無いように。真実なる神の御名によって、贖いの子羊イエス・キリストの「救い」を、あなたの「今」に解き放って下さい!そうすることで、「明日」も働かれる、神の「祝福」の領域の中に、あなたが更に豊かに導かれることを、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年10月25日のメッセ-ジ)


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