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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.40)

        打たれていた神の「一手」




その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を・・・・読み上げさせた。そこには・・・・ピグダンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。そこで王は言った。「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイは受けたのか。」・・・・侍従たちは答えた。「何も受けませんでした。」王は言った。「庭に誰がいるのか。」ハマンが王宮の外庭に来ていた。・・・・ハマンが進み出・・・・王にこう言った。「王が・・・・栄誉を与えることをお望みになる人にその服(王衣)を着させ、都の広場で・・・・馬に乗せ・・・・『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことが為される』と、触れさせられては如何でしょうか。」王はそこでハマンに言った。「それでは早速・・・・モルデカイに、お前が言った通りにしなさい。お前が言ったことは、何一つ疎かにしてはらない。」・・・・ハマンは悲しく頭を覆いながら家路を急いだ。
                                                    【エステル記6章1~13節】


神の「一手」を知る
 将棋の中で為される「一手」とは、一つの「攻撃」を指します。文字通り「駒」を手で打つ訳ですから、対戦相手(敵)の「一手」を読んだ上で、こちら側の打つ「駒」の意図を隠しながら、打つべき時のタイミングを計ります。そして重要な局面で「一手」を打った時に、まさしく「王手(チェックメイト)!」、即ち「完全勝利」となるのです。


 今回の記事の内容が、まさしく敵の「手(攻撃)」の全てを封じ込めた、「完全勝利」の出来事です。読み手の私たちは、敵に対して「ザ」「マ」「ア」「ミ」「ロ」という、五文字の言葉で叫びたくなる、そんな「大勝利の時」が描かれています。


 今一度覚えて戴きたいことは、モルデカイは今回の敵との「戦い」においても、具体的に如何なる「手(攻撃)」を、一切講じていない点です。彼が為したことは、粗布をまといつつ、頭に灰を被って、神に対して激しく祈っただけです。「事」がどうなるのか、全く予想できなかったにも関わらず、彼は全ての事を神に託しました。そうです!彼には実際、打つ手が全くありませんでした。


 実はエステルも、聖霊様の「導き」に従って、翌日に自分の「願い」を、クセルクセス王に申言する、その事だけは分かっていましたが、具体的な「一手」を講じていた訳ではありません。しかし今回の記事には、私たちの考える「一手」の次元より、遥かに優った「神の時」の次元の中で、神自らが全ての敵に対して、必ずご自身の「一手」を、先に打っていて下さることが示されています。この重要な「奥義」を、私たちは正しく知る必要があります。


敵より先に打たれていた神の「一手」
 以前も記しましたが、今の「コロナ禍」は、単なる「兆し」に過ぎません。いよいよ来る「大患難」の時には、今の「禍(災い)」よりも、比較にならない酷いレベルのものとなります。そういう意味で、今の「禍(災い)」は、恐らくサタンが仕掛けた「罠」であり、サタンが打った「一手」と言えます。


 では主なる神が、先に打っていた「一手」とは、如何なるものを指すのでしょうか?ご存じのように、クセルクセス王に対して報告される、幾多の「公文書」というものは、その殆どが事務的なものであり、行政上の「手続き」に過ぎません。しかし中には、帝国にとって緊急的な「案件」も含まれていますから、王自らが緊急「案件」を、再度読み返して(実際には侍従に代読させて)、今後の政策に法的整備を盛り込むなど、非常にシビアな対応を取ることがあります。


 実は「モルデカイ・レポート」も、そんな緊急的な「案件」の一つで、これがエステルから提出された時は、即時に帝国に対する、明らかな「国家反逆罪」という緊急裁定が下り、被告人たち(ピグダン・テレシュ・グループ)は直ちに処刑されましたが、この時は余りにも緊急的であったこともあり、その後の「モルデカイ・レポート」に対する、論功行賞がなおざりにされました。その理由は定かではありませんが、恐らく他の反動分子の動きを防ぐべく、この件に関しては「極秘扱い」になり、関係者に「かん口令」が敷かれたものと思われます。


 そしてある晩の事、たまたまクセルクセス王は、中々寝付けないこともあって、過去数ヶ月の「宮廷日誌」を、全て読み上げるよう侍従に命じました。そして一つ一つの「行事」や「案件」の、事後処理に関する記録を確認している時、極秘扱い事件の「匿名レポート」に関して、当然のことながら「報告者名」と、その後の「論功行賞」が、全く記述されていない点に王は気付きます。


 そして侍従に問い質しました。「何故、この事件だけは、詳細に記録が為されていないのか?」と。すると侍従は事の次第、つまり王妃エステルから、このレポートが王に差し出される過程において、くれぐれも内密にするように、特に報告者の「名」は伏せて、あくまで王妃自らが提出したことにするようにと、王妃直々に命じられたことを正直に告白しました。


 王は即座に「で、報告者は誰なのか?」と、侍従に質問しました。「そ、それは王妃様の養父であり、門衛隊長のモルデカイ様です。」と、恐る恐る返答しました。「何としたことだ!今まで彼の忠誠心に対して、私はとんでもない暴君ではないか。直ちに・・・・」と、クセルクセス王は言いかけたのですが、彼の心に「未だ早朝だな・・・・待てよ!」という、囁き声が聞こえました。


 モルデカイが、エステルを通して報告した際の、この一連の匿名というプロセスが、神が先手として打った、非常に面白い「一手」です。つまりこの事件が①起きる前の報告書の提出、そして②その後の事件解決に至っても、全く論功行賞が為されなかったこと、最終的に③侍従が告白したことで、今ようやく報告者の名が明るみにされた、この一連の「時系列」を紐解いてみますと、ある神の「一手」が見えてきます。


 それは、仮にこの事件を未然に防いだ「モルデカイ」の名が、王からの栄誉を受けることで、かなりの地位に出世し、有名になっていたとしたら、真の敵(ハマン)は益々警戒し、彼が為す「陰謀(ユダヤ人絶滅計画)」は、モルデカイの知らぬ闇のネットワークを通じて、より狡猾的に実行されていたかも知れません。


 しかし不思議なことに、神が先に打った「一手」が、ハマンが予想もできない「神の時」の流れ、つまり先ず①「モルデカイ・レポート」が、二人の「陰謀(クーデター)」を未然に防いだこと、次に②この事件は「極秘扱い」されたこと、そして最終的に③二人の極秘処刑により、空席になった宰相のポストが、ハマンに与えられた訳であるが、当の本人は「事の経緯」を、全く知らないまま絶頂感に酔いしれる、この一連の「神の時」の流れにありました。


 モルデカイを、直ちに呼び寄せようとしましたが、クセルクセス王は侍従に質問しました。「こういう時は、如何なる恩賞をもって、彼のような忠臣に応えたらよいのだろう?何か名案でもあるかな?」と。これが神が打った、次なる「一手」を引き起こします。問われた侍従は、返答に一時を要しましたが、朝になったものですから、「王様、他の大臣にこの件を、諮ってみては如何ですか!」と提案しました。「うん、分かった。早速そのように計らえ!」と王は命じます。


 すると命じられた侍従は、「とは言ったものの、果たしてこんな早朝から、出仕して来る大臣なんていたかな?」と思いながら、王室を出た矢先に、神の「一手」にかかった、「アンポンタン(ハマン)」が出仕していたのです。そしてハマンは、王の前に出て、自らの「名案」を披露します。その忠臣が自分だとうぬぼれつつ。


最後に笑う(勝利する)「真実の民」
 この時の彼の最大の失敗は、自分が早く出仕した目的を、完全に忘れている点です。その理由は、王様に対して「モルデカイ」の、早期の処刑の許可を特別に戴くことでした。彼の「計画」そのものが、神の打った次なる「一手」によって、彼の脳裏から完全に忘れ去られた訳です。冷静に考えてみれば、王様が恩賞(予期せぬプレゼント)を与える当人に対して、いちいち「欲しいものは何かな?如何なるものであれば、あなたは喜ぶかな?」などとは聞きません。しかし覚えて下さい。この時のハマンは、人生最大の「絶頂感」に酔いしれていたことです。これも神の「一手」と言えるのではないでしょうか!


 クセルクセス王は、ハマンの提案を非常に喜び、次のように言いました。「おー!よくぞ良い案を出してくれた。おかげで助かった。実はな・・・・そちも知っている者で、門衛隊長のモルデカイに対して、私はそちの提案通りの恩賞を与えようと思う。故に直ちに、そちの言う通り計らえ!」と。その言葉を聞いた瞬間、ハマンは「絶頂感」から覚めて、悪しき「現実」が目前に迫っていることに気付き、卒倒するところでした。


 己の立てた「計画(陰謀)」が、もはや実行不可能になり、遂には憎たらしいモルデカイが、自分よりも高位の「栄誉」を賜る、つまり王が一番に信頼する、その度合いが最も高い臣下は、アガグ人の自分ではなく、ユダヤ人のモルデカイであるという、王の認証が下された「事実(神の一手)」に、彼は敗北したと言えます。


 ヨハネ福音書の「序文(1章)」には、「真実の光は闇の中で、燦燦と光り輝いている。・・・・そして遂に暗闇は、真実の光によって敗北(消滅)した!」と記されています。そうです!真の光なる方、主イエス・キリストが地上に再臨される時、悪魔サタンに連なる「悪しき民」の一族は、遂に敗北の時を迎えるのです。


 私たちは、この「神の事実」を堅く信じて、「神の戦い」に自分の全てを委ねましょう!主なる神が私たちキリスト者を、「今」のこの時に招集している理由は、決して肉なる「人の戦い」にではなく、神の「戦い(一手)」に、祈りをもって参戦し、多くの魂を「真実の光」へ導くためです!主なる神は、御子(イエス・キリスト)を、神の「一手」として既に打って下さっています。


 モルデカイは遂に、クセルクセス王からの「栄誉」を受けることで、表舞台に登場します。その時、彼は思わず感謝の「祈り」を捧げました。「主なる神よ、あなた様の戦いが、いよいよフィナーレの時を迎えます。これこそ、あなたが賛美を受けるに、最も相応しい方であることを、心から賛美します!」と。


 どうぞ毎日毎日を大切にして下さい!日々の何気ない出来事の中に、真実の神が「兆し(一手)」を打って下さいますように。あなたが「神の戦い」を通して、霊的勝利を益々、自動的に受ける者でありますように。あなたが、聖霊様の「導き」を通して、更に前進することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年11月29日のメッセ-ジ)


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