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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.32)

                   罪がもたらす霊的感染病




王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来ると跪いて敬礼した。・・・・しかし、モルデカイは跪かず、敬礼しなかった。・・・・ハマンは、モルデカイが跪いて敬礼しないのを見て、腹を立てていた。モルデカイがどの民族に属するのかを知らされたハマンは、モルデカイ一人を討つだけでは不十分だと思い・・・・国中にいる・・・・ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。
                                                                【エステル記3章2~6節】


最大の霊的「感染病」
 「罪」がもたらす病には、「自分だけが正しい」ことを正当化するべく、他者を一方的に裁いたり、逆に「恐れ」や「心配」の余りに、自分を過小評価して劣等感に陥るなど、様々な悪しき「心の病」がありますが、その中でも最大の病は、何の理由も無く一方的に、相手を「差別する(見下す、いじめる等)こと」ではないでしょうか!


 そうです!私たちは、生まれつき「差別」という、罪の病に感染しているのです。相手が持つ「(自分との)違い」を、私たちは中々認める(受け容れる)ことが出来ません。では罪がもたらす、この霊的感染病から、私たちが霊的に癒されるためには、如何なる霊的「処方箋」が必要となるのでしょうか?聖書の中に記された神の「命の言葉」に、「全て」の解決があります。


 また、私たちの麗しい霊的花婿、イエス・キリストの「来臨の時」の前に、必ず台頭するであろう「反キリスト」が、キリスト者に対して如何なる「要求」をもって、霊的に迫害して来るのでしょうか?今回の記事から登場する、ハマンの「動き」から、霊的に学ぶ必要があります。


 ところで「差別」に似た言葉で、「区別」という言葉がありますが、この二つの言葉は似ているようであって、実は「立ち位置」が違います。元々「区別」とは、様々なモノ(動植物等も含む)の持つ、「違い」によって分類することです。ですから「区別」の概念には、その「優劣」を比較する等の、「二元化」の次元にありません。


 この点に関して、実は聖書の事実(証拠)として、「罪」を犯す以前の本来の人(アダム)に対して、主なる神は偉大な「賜物」を、特別に授けていました。それが「区別(分類化)」の賜物です。神の被造物の全てを、一瞬で霊的に分類化し、その生物が持つ、個々の持つ「違い」に応じて、霊的にネーミングすること、即ち名称(アイデンティティ)を付けることで、個体ごとに分類化したのです。


 ところが「区別」の中に、各自が持つ「心理面」を基にして、様々に他者を区別し始めると、例えばその他者から不当な「扱い」や「仕打ち」を受けた場合に、相手に対して「反感」や「憎悪」、また「復讐」の念を抱き始めるなど、「区別」から「差別」感情へと変貌します。そして今の時代にまで、脈々と続く霊的感染病、即ち「差別主義(意識・態度)」が、大規模な民族から小グループに至るまで、霊的に蔓延しているのです。


ハマンの持つ民族的「差別主義」
 さてハマンが、如何なる民族的アイデンティティを持っているのか、エステル記は彼の持つ、個人情報の全てを正確に記録しました。先ず彼は、民族として「アガグ人」と記されています。ご存じのように、ペルシャ帝国は「単一民族国家」ではなく、戦争を経て各民族を併合した「多民族国家」です。その中で「アガグ人」とは、如何なる歴史的ルーツを持つ民族でしょうか?


 実はそのルーツは、「アマレク人」の末裔であり、更に遡ればその「始祖」は、ヤコブの長子エサウと、異民族の女性(側室)との間に生まれた者です。つまり「ユダヤ人」とは、同族と言ってもよい民族になります。しかし主なる神は、この「アマレク人」に対しては、ユダヤ人に対し「これは(いずれ)災いをもたらす民であるから、必ず聖絶するように!」と、厳しい言葉で「勧告」しました。


 しかし聖絶しなかった「事例」が、サウル王の時に起こりました。当時の敵国アマレク人の中に、アガグという名の王が居て、実はこの王が余りにも美しかったので、敵国との戦いに勝利したにも関わらず、サウル王は「情け」をかけて、アガグ王を助けました。この事を契機として、主なる神の「御怒り」を買ったイスラエルは、一気に衰退し始め、遂にサウル王は戦死します。


 そのアガグ人(アマレクの子孫)の一人「ハマン」が、空席になった「宰相」の地位に、王から直々任命を受け就任したのです。恐らく彼は幼少の頃より、祖父母や両親から度々、民族的「苦難」の歴史話を聞かされ、多分に「ユダヤを決して許すな。彼らを見たら、必ず滅ぼし尽くせ!」という、一つの「民族的哲学(差別主義)」を叩き込まれたはずです。


 ペルシャ帝国の「宰相」に就任した、「アガグ人」という民族意識に立つハマンが、最大に気嫌う人物がモルデカイでした。何故ならモルデカイだけが、自分に対して「ハマン様!」と、跪いて頭を下げない(敬礼しない)、「ユダヤ人」だったからです。いつしかハマンは、モルデカイに対する感情を、単なる「憤り」の思いに留まらず、次第に「このままでは捨て置けぬ。その時が来たら、彼ら全員を滅ぼし尽くそう!」という、常軌を逸した「民族浄化」計画にまで変貌します。


 実は民族的「差別思想」は、生まれつき私たちの中にあります。それは例えば、西欧の外国人から「あなたは中国人ですか?」と尋ねられた場合に、即座に「いいえ!日本人です。」と答える際に、それが「決して彼ら(中国人)とは違う!」という意識がある場合、差別を根底にした「民族意識」ではないでしょうか!しかし、だからと言って彼らを排除しよう!とまでは、普通は意識しません。


 ハマンが抱いていた「ユダヤ人差別」思想は、歴史的に繰り返されてきた、一民族対一民族の対立から来るものでしたが、この時にハマンが計画した「排除(民族浄化)思想」は、サタンがもたらす「罪」の最大事業、つまり神の「ご計画」を破壊する行為に当たります。


 「コロナ禍」という世界規模の「災害」によって、実は人々の「意識」中に、「差別思考」が増長及び蔓延しています。「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を盾にして、人と人の間にある「親しさ」が遠のき、益々「心の壁」だけが大きくなるなど。このような時代の中にあって、私たちキリスト者が注意すべき点は、ハマンと同じ「悪しき霊」に満たされないことです。


 ご存じのようにハマンとは、後の時代に台頭する「反キリスト」の雛形です。そして霊的イスラエル人である、私たちキリスト者(キリストの花嫁)は、次の点を警戒しておくべきです。それはサタンの最終計画が、最後のハマン(反キリスト)を通して、「真のキリストの花嫁を、サタンを崇める偽りの堕落した花嫁にするか、若しくは完全に排除(抹殺)すること!」にある点です。


 ハマンが提供する「私(この世の権力)を拝みさえすれば、(あなたの望むものを)惜しみなく与えよう!」という宣伝文句は、いつの時代にも投げかけられます。前回も話しましたが、今の「コロナ禍」は前兆です。そして、この「災い」を利用する者が、次々と現れて来ることでしょう。「災いからの救い(ワクチン、食糧、資源等)が欲しいのであれば、私の元に来て膝を屈めなさい!」と。


善をもって「悪」に勝利する!
 結論になりますが、罪がもたらす「差別」という名の、この霊的感染病に、私たちは打ち勝つことが出来るのでしょうか?その方法は只一つ、主なる神の「命の言葉」にあります!神の「御言葉(福音)」こそが、私たちが身に付けるべき「霊的武具」です。


愛に偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって、互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。・・・・喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。・・・・誰に対しても悪に悪を返さず・・・・善を行うように心がけなさい。・・・・悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
                                                           【ローマ書12章9~21節】


 パウロの記した、この神の「命の言葉」は、決して「命令」ではなく、私たちの霊的「弱さ」を、主なる神がご存じの上で、私たちキリスト者に対する「勧め」の言葉です。特に私たちの「思い」の中に巣くう、「差別」という霊的感染病が、サタンによって誘発されるため、それを霊的に克服する(抵抗力を付ける)ためには、サタンが仕掛ける攻撃とは、逆の「立ち位置」から、あえて「自分」を低くすることです!そうすれば(敵と思う)相手の「立ち位置」とは、完全に離れたポジションに着くため、「差別」などの敵対感情に陥ることはありません。


 まして相手を「優れた者」と、故意に思う(意識する)のであれば、その瞬間「敵にあらず!」という意識に変わり、人間関係上の悪しき「戦い(トラブル)」を避けることが出来ます。そうです!私たちは、「完全なる勝利」を勝ち取られた、主イエス・キリストの「生き方」に見倣って、善(キリストの真実の愛)をもって、「人」の背後に働く「悪(サタン)」に打ち勝つのです。


 人が「差別」をする時、その心理の根底に「(相手が)怖い!」という「思い」があるからです。そして尚も「怖い」から、益々「差別感情」が増すのです。真の勝利者は、「差別感情(意識)」をもって戦いません。


 あなたが霊的ハマン(悪霊)の「策略」に騙されること無く、真の勝利者イエス・キリストが、「インマヌエルの神」として先陣を切り、既に「勝利の御旗」を掲げていて下さることだけを見上げ、相手(他者)を自分より優った者と思う、そのような神の次元へと、聖霊様が(あなたを)常に導いて下さいますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年9月13日のメッセ-ジ)


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