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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.30)

             クィーン・エステルとして生きる




さて、エステルは王宮のクセルクセス王のもとに連れて行かれ・・・・王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは・・・・王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。次いで、王は盛大な酒宴を催して・・・・諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。
                                               【エステル記2章16~18節】


「クイーン(王妃)」として生きる
 私たちキリスト者は「エステル記」を、単なる「物語(歴史小説)」として読みません。御子イエス・キリストが、麗しい「真の花婿」として、私たちを「真の花嫁」として迎える時、やはりエステルの如くに、練り聖められた「美しい品性」を持ち併せた器、即ち御国の「王妃(クィーン)」として完成する、その霊的歩みの「指南書」として読むのではないでしょうか!


 今回の記事には、二つの重要な奥儀が示されています。第一に創造主なる神は、如何なる理由(目的)で、本来の人(アダム)を創造したのか?このことついて、私たちは改めて知る必要がある!という点です。それによって、私たちの生きる方向性が、良い意味で「正しい方向」に、更新(軌道修正)されて行くからです。


 私たちの「歩み」は、決して間違ってはいないのですが、「花婿」と「花嫁」という、麗しい関係のイメージをもって、今後の歩みを考え直す際に、実は創造主なる神(父)が、如何に私たち被造物(子)を、アダムと同様に大切に取扱い、更に「真実の愛」を、惜しみなく注ごうと強く望んでいるか、これが主なる神がアダムに望んだ、創造の「目的」です!そうです!主なる神は、ご自身の持つ「厚意」と「愛」を、私たちに最大限に与える方です。


 第二の奥儀は、主なる神が「創造主」として、私たち被造物に対して強く望む、その「ご意思」の基本概念は、「(私たちと)共に・・・・する」ことです。「共に生きる」、「共に働く」、「共に歩む」、「共に造り上げる」、「共に分かち合う」など、インマヌエルなる神の「御思い」が、常に(永遠に)私たちと「共にある!」からです。この重要な奥儀を、私たちは常に覚えておくべきです。


 そうです!私たちの生きる「目標」は、インマヌエルなる神と常に(片時も離れず)、共にある人生を求めるという、最大の「望み」によって生きることです。この「目標」が、後々私たちを「シミも傷も、汚れも無い花嫁」として、霊的に整われて行く上での、重要な「プロセス」となります。


 このように「神」と「私たち」の関係は、「永遠の愛」の契りを結ぶ、「新郎」と「新婦」の関係に似通っています。その関係は、先ず①神聖なものであり、次に②如何なる者も立ち入ることの出来ない、不可侵の一体関係にあります。


ある「予感」を掴み取る
 いよいよエステルは、「クィーン」として選ばれ、その偉大なる地位に就任することになりますが、この事には如何なる意味があるのでしょうか?ご存じのように、元々エステルは一人の「ユダヤ人」に過ぎず、決してダビデ王の系譜に連なる、王族の子孫でもありません。そんな「凡人」の如き娘が、いきなり最高位の「王妃」という、とんでもない「生活(生き方)」に変わる訳です。


 クセルクセス王から直々、王妃の冠を授けられ、頭に載せられた時から、彼女は「(今までの生き方は)終わった!」ことを悟り、新しい「生き方」に切り替えました。それは最高権力を得た際の、絶頂感の如き思いではなく、これからは「王と共に生き(運命を共にし)、王のパートナー(妃)として、王の御心の全てに従う!」という覚悟の決断でした。


 「クィーン」として生きることを決断した時、彼女は今までの民族的警戒心から、「ある予感」を掴み取りました。第一に宮廷内の権力闘争など、①権力を欲する人の「妬み」が(既に)始まっていること、次に彼女の民族的背景から来るもの、つまり②「捕囚の民」として、いつかは排除(絶滅含む)されるのではないか、この二点でした。


 今の「コロナ禍」の発端となった、C国の指導者たちは、言葉が過ぎるかも知れませんが、あの第二次世界大戦時のドイツを支配した、ナチスと何ら変わりが無い程、恐ろしい国策を進めています。そして何と恐ろしい事には、C国は今のドイツとの関係を、まるで夫婦の如くに「親密(蜜月)な関わり方」で、あらゆる分野に推し進めている!という点です。


 特に医療分野における、最先端の医療技術の研修(教育)、及び提携(交流)に関するニュースは、日本では知られていません。とりわけドイツの医学技術レベルは、世界の中で抜きんでいるということで、世界各地から医療従事者が留学している訳ですが、その中でもドイツは国策として、C国の留学生を多く受け入れ、しかも国費を投じて学費(食費含む)を出すなど、C国は待遇面で優先的に扱われています。


 例えばベルリンにある、医療施設(ベルリン心臓センター)において、C国のエリート医学生たちは、最先端の心臓移植の外科手術を、実際に研修(習得)できるので、彼らはC国に帰国した後、国営の医療機関に派遣され、即戦力の人材(スペシャリスト)として、あらゆる移植手術に就くことが出来る訳です。


 日本においては、臓器移植と言えば、実際に手術に至るまでは「順番待ち」という、あくまで臓器提供者が「死亡」と判定されるまでは、実際に行われない!という、人道上の倫理(法律)に基づいていますが、C国においては「倫理(人道)」が通用しません。政治犯や宗教犯罪者、チベット・ウィグルなどの少数民族、そのような少数派を国家反逆罪により、強制収容所に収監(捕囚)し、彼らの人体上の医学的データを、臓器から血液に至るまで収集することで、まるで臓器移植バンクの「パーツ」として生かしておきます。


 そして、例えば党の幹部クラスが、重度の「心臓病」や「肺炎」を患い、移植しなければ生存できない場合に、即「生体」から臓器移植を実行する、つまり一人の「命(心臓や二つの肺)」を強制的に奪うことで、国家の人材(エリート)の「命」を優先するなど、日本においては「殺人」とも言うべき、恐ろしい事が平気で為されているのです。


 そうです!かつてのナチスは、「強制収容所」に集められたユダヤ人を、次々と殺処分する過程において、医学技術の向上のために、彼らの「命」を無視して、あらゆる人体実験を繰り返しました。そのドイツが、今のC国と蜜月関係にある!この歴史的「今の事実」に、私たち日本人キリスト者は、今回のエステル同様に、警戒感と霊的予感をもって、絶えず注視すべきではないでしょうか!


 日本において、いよいよ「真の花嫁(エクレシア)」が、花婿なるイエス・キリストの来臨前に、霊的大収穫の「働き」に携わる器、つまり霊的エステルとして仕立てられる時、①霊的「妬み」と、②理由無き「憎悪(迫害)」が始まる!こと、この二点を覚悟していて下さい。


 しかしだからと言って、私たちは恐れる必要はありません!何が起きようとも、主なる神が私たちを常に練り聖め、シミも傷も無い「美しいクイーン」、つまり御子の花嫁として、ねんごろに取扱い、かつ守り導いて下さいます!そしてイエス・キリストの来臨時には、主なる神から「あなたは本当に、よく忍耐してくれた。私の厚意と愛を大切に守ってくれたね。私の真実の愛を、多くの者に(御国のギフトとして)配ってくれた。」と、祝福の言葉を必ず受ける者です。


 これから「起きること」は、私たちきキリスト者にとって、大いなる「祝宴」の時の訓練です。世からの「妬み」と「憎悪」に優る、主なる神の「知恵」と「啓示」を戴きながら、時代を先取りするキリストの「クイーン」として、あなたの「歩み」と「品性」が、更に美しく練り聖められて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年8月30日のメッセ-ジ)


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