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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.29)

                    練り聖められた乙女の品性




スサに、一人のユダヤ人・・・・名をモルデカイといい・・・・ベニヤミン族の家系に属していた。・・・・モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイには従弟に当たる。・・・・さて、王の命令と定めが発布され、大勢の娘が・・・・スサのヘガイのもとに集められた。エステルも・・・・後宮の監督ヘガイに託された。彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。・・・・エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。
・・・・エステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは・・・・ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。

                                                       【エステル記2章5~10,16節】


三人の「関り合い」
 「エステル記」の文章には、際立った「ある特徴」があります。それは「神」という言葉が、全く記述されていない点です。その明確な理由は分かりませんが、ペルシャ帝国在住のイスラエル民族が、「捕囚(囚われ人)」という立場上、ペルシャという巨大な国家権力の中で生きる為には、出来るだけ自民族の「アイデンティティ」を、あえて伏せる(隠す)べく、その信仰心の土台となる、「主なる神」の名称も、この書物の中に記さなかったのではないかと、私は推測しています。


 ですから、今回の記事から登場する「エステル」という名も、実はヘブライ語ではなく、「星」・「乙女」を意味するペルシャ語です。彼女の本当の名前は、ヘブライ語で「ハダサ」と呼びます。今回の記事には、いよいよ「モルデカイ」と「エステル」という二人の主役、そして「ヘガイ」という脇役の、三人の人物が登場しますが、この三人が如何なる動き(働き・関り合い)を為していくのか、これが非常に重要となります。


 では「ヘガイ」という人物は、如何なる身分の者であるのかと言えば、実は「王宮」で内務を取り仕切る「宦官」の一人です。アジアの歴史ドラマにおいて、殆どと言ってよい程に登場する、この「宦官」という身分(職業)は、特別な男性だけの職業です。彼らは少年の頃に、被支配者階級の出身ということで、突然「顔立ち」と「品行」の優れた者のみが選ばれ(実際は奴隷商人から買われて)、無理矢理に王宮に召し抱えられることになります。


 しかし、直ぐ様に働く訳ではなく、彼ら全員が集団去勢の処置を受け、ある一定期間の「礼儀作法」、高度な「教育訓練」等を習得した後、ようやく下っ端の宦官として、各機関の職務に就くことになります。ヘガイは、王宮で働く宦官の中でも、とりわけ優れた知性をもって、後宮を取り仕切る「監督」として出世した、言わばエリート中のエリート、宮内庁長官の如き人物です。


 では「モルデカイ」の身分(職業)はと言えば、彼は自分の出身等は全て隠した上で、「王宮の門番(守衛)」として働く人物と記されていますが、実際には「王宮」の警備を最前線(出入口)でガードする、近衛隊長という立場でした。当然彼の配下には、ペルシャ人も居れば、他の被支配者階級の者も居ます。


 ところでユダヤ人は何故、素性を隠してまで、異国の地に生き永らえることを望んだのでしょうか?それは歴史的に、二度に渡る民族の「捕囚」事件が、大きく関与しているのかも知れません。


練り聖められたエステルの「品性」
 さてモルデカイは養父として、エステルに対して如何なる「教育」を施していたのでしょうか?第一に「自分の素性を、如何なる者にも明かしてはならない」こと。これはペルシャ人としての名前を持つ、エステルには難しくないことでした。しかし第二の「律法書に書かれた、汚れた生物は如何なるものも、決して食べてはならない」ことに関しては、ペルシャ人と関わる以上、隠し通せるものではありません。にも関わらず、モルデカイは養女エステルを、「危険領域(王宮)」へと差し出すことになります。


 では、実際に王宮に召し出されることになる、エステルの際立った「品性」は、何処から来るものでしょうか?これは「今の時」に生きる、私たち「キリストの花嫁」が、聖霊様によって如何に整えられて行くのか?その霊的方向性を示していると言えます。覚えて戴きたいことは、練り聖められた品性は、人が造り上げるもの(美容)ではありません。


 ヘガイの元に、毎日集められる乙女たちは、見た目には「美人揃い」なのですが、正直言って「余りパッとしない器」ばかりでした。どうしても前王妃(ワシュティ)の持っていた、乙女の「品性」と比べると、見劣りする部分が多くあるからです。しかしある時、その日に連れて来られたエステルに、ヘガイは心動かされることになります。


 何故なら他の乙女たちと比べて、彼女には「飾り気(造った装い)」が一つも無いにも関わらず、生まれつきの「美」という品性が、際立った雰囲気の中に輝いていたからです。これは外見上の「美しさ」ではなく、彼女の内側から出て来る、内面的な「美しさ」と気品、そして飾らない謙虚な「振る舞い」です。


 ヘガイは彼女と相対する内に、「この娘こそ、王様の妃になる資質を持っている。この娘を更に磨き上げれば、必ず王様のご意向に適う、立派な妃になるに違いない!」と、興奮しながら確信しました。そして一気に「事」を進めたのです。


只「一つ」を求める
 次に「ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。」(15節)と記されているように、エステルの持つ、最大に優れた「品性」は、他の乙女たちには目立つ程ある、「貪欲さ」が無いという点です。何故彼女だけが、如何なる「貪欲さ」を持ち合わせていなかったのでしょうか?それは、彼女にとって「全て」のことが、創造主なる神の「御心」のままに進み、自分がヘガイを通して「美しく」整えられること自体が、自分の「意思(望み)」からでは無い!ことを、謙虚に受け留めていたからです。


 そうです!私たちキリスト者も、以前は「罪人」であり、放浪者の如き「卑しき状態」にありましたが、主なる神の一方的な「憐み」により、御子イエス・キリストの「贖い」を通して、私たちは花婿なる方の「真の花嫁」として、選び召し出されているのです!その為にも聖霊様は、「今の時代」に生きる私たちを、更に「美しく」整えるべく、練り聖めて下さっています。


 愚かな乙女たちは、「今の時代」にあっても、神に対して「沢山のこと」を要求します。「こんな大変な時代に、私たちはどうしたらいいのか!本当の神だったら、ちゃんと生活の保障を用意して下さい!」などと。


 しかし「真の花嫁」は、エステルと同様に、只「一つ」のことしか求めません。それは「神に喜ばれるべく、神の命の言葉のみを求めて、純粋に聞き従って行く」ことです。そうすれば、真実の神が「恵み」を豊かに与えて、「真の花嫁」を更に高き次元へと導いて下さいます。


 「今の時」は、もしかしたら霊的に「振るい分ける」、神の「選び」の時かも知れません。つまり、聖霊様が「本当の真の花嫁は、何処にいるのだろうか?」と、①美しくなること、②聖く整えられてゆくこと、③キリストの花嫁(王妃)として造り変えられてゆくこと、この三つの霊的ステップを真剣に求める、「賢い乙女」を見出そうしています。


 そうです!あなたは「今の時」に生かされている、霊的な「真の花嫁」、即ち神の選びの民(エクレシア)です。この重要な「神の事実」を常に覚えて、聖霊様の「働き」が更に私たちを練り聖め、霊的な「美しさ」と、内側から外に溢れ出る、様々な「聖なる品性」が、私たちの生活全般に満ち溢れるよう、真剣に祈り求めて参りましょう。


 そうすれば、「この世」の人々が気付き始めます。「彼らの内に、何かが起こり始めている!」、「彼らは災いの中にあっても、常に美しく光り輝いている!」、「何故彼らは、大変な時代の中にあっても、自然な振る舞いで、力強く品位ある生き方が出来るのか?」と。


 あなたが、霊的な「エステル」の一人として、「今の時」に選び召し出されていることを、今一度覚えようではありませんか!あなたの生き方「全て」に、聖霊様の絶えざる「働き」を通して、更に練り聖められた「品性」と「神の美」が、豊かに増し加わりますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年8月23日のメッセ-ジ)


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