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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.26)

             災いを押し止めたピネハスの信仰




イスラエルがシティムに滞在していた時、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。・・・・民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた。・・・・モーセは・・・・言った。「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルに慕った者を殺しなさい。」その時、モーセとイスラエルの人々の共同体全体が・・・・嘆いているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。・・・・ピネハスはそれを見ると・・・・立ち上がって、槍を手に取り・・・・イスラエル人とその女を共に突き刺した。・・・・それによって、イスラエルを襲った災害は治まった・・・・主はモーセに仰せになった。「・・・・ピネハスは、私がイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって・・・・私の怒りを去らせた。・・・・」
                                                    【民数記25章1~13節】


「気の緩み」がもたらすもの
 今回の記事に出てくる「災い」は、英語で「epidemic」と言い、「感染病(疫病)」のことです。私たちキリスト者は、今の「コロナ禍」という世界的「災い」が、大患難時代の「災い」に至る予兆であることに、薄々気付き始めています。


 今回の「ペオル事件」には、前回の「金の子牛」事件の時に、神の御怒りを目の前で、実際に見た(叫びを聞いた)にも関わらず、再び愚行の過ちを繰り返していることが記されています。何故人は、何度も愚行を繰り返すのでしょうか?それは単純な理由、即ち「気」の緩みがあるからです。


 ところで、「コロナ禍」にある今の日本は、何となく「気」の緩みがあるのではないでしょうか!今回の事件は、私たちキリスト者も、霊的に油断するのではなく、気を引き締めなければらない!ことを教えています。そうです!「今」は気を引き締める時です。その「気」とは、「思い(意識)」や「考え」などの、いわゆる三次元的思考のことです。


 彼らが今回、実際に「気」が緩んでいたか、その具体的記述はありませんが、何と愚かにも彼らは、禁じられている異邦人の女性と、親しく交わる方向に傾倒しました。これは神に対する「背信行為」の一つです。しかも彼女たちは、計画的な謀略をもって、イスラエルの男性陣を、ものの見事に「偶像礼拝」へと誘い込みました。その結果、主なる神は遂に御怒りを発し、この事件に組した全ての者を、イスラエルの全家の目の前で、各部族ごとに直ちに処刑しました。これが「ペオル事件」の詳細です。


ピネハスの咄嗟の「信仰行動」
 全ての「背信者」が処刑された後、イスラエルの民が喪に服している最中、更なる「愚行」が起こります。シメオン族の若き青年ジムリが、ミディアン人の娘コズビを連れ立って、愛し合う恋人カップルの如くに、悲しみの喪に服する彼らの中に現れたのです。その瞬間、アロンの孫であるピネハスが、「神の御怒りが未だ冷めない!という非常事態の時に、こんな愚かな行為をした、お前たちの行動は、私たちを全滅させる程の、最悪の災いそのものだ!」と叫ぶや否や、逃げ惑いながら躓き倒れた二人の上に立ち、串刺しの如くに槍で突き刺しました。


 だからと言ってこれは、ピネハスが怒りから、「見せしめ」として処刑した行為ではありません。このまま自分たちが、彼ら二人の行為を黙認していたら、神の御怒りが全家に及ぶことを、霊的に察知した彼が、瞬時に機転を働かせて、直ちに宥めの「生贄」として屠った行動です。


 祭司に過ぎない者、つまり「戦さ」に慣れた兵士ではない彼が、自分の「命」を懸けてまで、慣れない「槍」を手に持ち、震える思いを跳ねのけながら、「主なる神よ!どうか彼らの死をもって、あなたの御怒りの手(災い)を押し止めて下さい!」と必死に懇願しながら、倒れた彼ら二人の腹上に、一気に突き刺したものと思われます。


 では、主なる神が実際にストップした「災い」とは、如何なるものだったのでしょうか?新共同訳聖書の英語版には、その「災い」の言葉が、「epidemic」と記されています。と言うことは、今回の記事からだけでは、あまり「事」の経過が見えてきませんが、全ての「背信者」が処刑された後、暫くして何らかの「疫病」が、イスラエルの民の中に突然流行し、更に拡散し始めたことが伺えます。しかもその「災い」は、かなりの重症化を引き起こす、「死病」の如きものでした。


あなたの「熱情(気)」は何に向けられけていますか?
 この「epidemic」を押し止めたのが、ピネハスの信仰行動でした。聖霊様は私たちキリスト者に対して、常に真摯な「問いかけ」を発しておられます。「あなたの熱情の思い(気)は、今、何処に向けられていますか?」と。この霊的質問は、今のような「試練の時」には、尚更強く投げかけられています!


 仮に私たちが、自分の「生活」に追われたり、自分の将来に対する「備え」ばかりに、熱情の思い(気)を向けているのであれば、聖霊様はストップをかけられます。「ちょっと待ちなさい!このまま行ったら、あなたもepidemicという災いに呑み込まれてしまいます。」と。現に、そのような先に対する「恐れ(心配)」をもって、私たちが生活して行く限り、この世の「経済」の流れに、やすやす押し流されることになります。


 今の「終末の時」に当たり、ピネハスが如何なる信仰行動をもって、主なる神が降した「災い(epidemic)」を押し止めたのか?について、私たちキリスト者は改めて知り、かつ同様の行動に移る必要があります。多くの人々は、ペオルの神々を恋い慕って、その前に膝を屈めて礼拝します。勿論「終末の時」に現れる偽りの神は、「バアル神」という名ではありませんが、「現人神(救い主)」として登場する世の君(反キリスト)が、その崇拝すべき名を自ら名乗ることでしょう。


 神の偉大なる「守り」と「導き」により、エジプトの隷属的支配から解放され、暗闇の生活から脱出することが出来たにも関わらず、彼らは愚行とも言える「偶像礼拝」を、恋人を慕う如くに喜んで為しましたが、この愚かな信仰行動は、今の時代にも同様の霊的ケースとして、現に起きていることを知って下さい!今の「コロナ禍」は、決して神が降した「災い(epidemic)」ではありませんが、「終末の時」に次々と起きる、世界的「災い」の全ては、主なる神が「Go!」サインをもって下されるものです。その理由は只一つ、「永遠の滅び」と「永遠の救い」という、「線引き」をする為です。


 ピネハスの咄嗟的な信仰行動を見て、主なる神は感嘆しながら、その御怒りの手を引っ込めました。ご自分の被造物である、「人」に対する熱情の「思い(気)」と、ピネハスが二人の若者(男女)を殺してまで、神に対して絶対的服従を誓う、彼の熱情の「信仰心(気)」が、一緒のレベル(次元)に達したからこそ、神はその「災い」に対して、「直ちに引け!」と命じられ、「全滅」を押し止めたのです。


 父なる神が、いずれ御子イエス・キリストを、全ての民の贖いの「生贄」として、十字架上で屠る(剣を刺し通す)という、その「永遠の救い」のご計画が、今まさに目の前で、ピネハスの信仰行動を通して、ご自身の御目の瞳の中に、まざまざと映し出されたからです。聖霊様は、すかさず主なる神に進言します。「まだチャンスはあります!彼らの信仰を通して、地上に住む全ての民が、誰一人として漏れること無く、あなたの救いの恵みにあずかる、その時が用意されていますから。」と。


 最後にもう一度、あなたに問いかけます。「あなたの熱情の思い(気)は、今、何処に向けられていますか?」。「今の時」だからこそ、日々この「問いかけ」を、自分に対して強く発して下さい!私たちは、見える「経済(今日の生活)」を確立するために、自分の中にある「気」を、熱くする時ではありません!神の御国が、いよいよ地上に現わされるために、あなたは召し出されているのです!


 あなたが益々、イエス・キリストの「真の花嫁」として、主なる神にのみ真の「礼拝」を豊かに捧げることが出来ますように。そして更に、神の御国を激しく奪い取るレベルにまで、あなたの霊的「熱情」の全てが、花婿イエス・キリストに向けられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年7月26日のメッセ-ジ)


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