バルナバ・ブログ村診療所

命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.25)

                     さようなら!金の子牛




モーセが山から下りて来ないのを見て、民がアロンの元に集まって来て・・・・民は全員、着けていた金の首輪を外し、アロンの所に持って来た。彼はそれを受け取ると・・・・若い雄牛の鋳造を造った。・・・・彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす献げ物を捧げ、和解の献げ物を供えた。・・・・主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。・・・・民は堕落し・・・・若い雄牛の鋳造を造り、それにひれ伏し、生贄を捧げて・・・・神々だと叫んでいる。」主は更に、モーセに言われた。「・・・・私の怒りは彼らに対して燃え上がっている。私は彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」
                                                 【出エジプト記32章1~10節】
彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。・・・・彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。
                                                   【Ⅰコリント書10章5~7節】


巨大な「偶像」が崩壊する時
 今の時代は、滾々と続く「暗闇」が支配する、「終末の時」の前夜の如き時と言えます。しかし今の「コロナ禍」は、兆しの時に過ぎません。来る「大患難の時」の直前に、私たちが「携挙」の恵みを戴くためには、益々キリストの花嫁として、霊的に練り聖められていくことが求められます。


 私たちは、今回の「コロナ禍」によって、今まで見ていた(求めていた)ものが、如何に「つまらないもの」であるのか!そのことに気付き、今後は見るべきものをはっきりと見る等、本来あるべき霊的次元に立ち帰るよう、聖霊様が促しておられることに、素直に聞き従って参りましょう。


 そして更に促しておられる霊的行動が、「つまらない次元」に対して、信仰の声を上げて「さようなら!」と命じることです。今まで生きていた次元から、急いで離れて(脱出して)、「逃れの場」イエス・キリストの中に、喜び勇んで入りましょう。


 今までの繁栄を築いた、「グローバル経済」という名の、巨大な「バベルの偶像」は、「コロナ禍」の世界的拡散により、いとも簡単に崩壊しました。しかし、その中にあって私たちキリスト者は、「何が本当の正しい生き方なのか?」、「何処に神の正しい道があるのか?」などを、聖霊様の「導き(ガイダンス)」を通して、教え示されれることで、私たちが「贖われた民」であることを、多くの人々が「知る」きっかけとなります。残念ながら、エジプトを脱出したイスラエルの民の中で、ヨシュヤとカレブを除いた第一世代は、カナンに入ること無く死に絶えました。


見えてきた事実
 今回の記事における、重要な奥儀の第一ポイントは、この世界的「コロナ禍」は、主なる神から見れば、ほんの小さな「災い」、喩えて言うなら「蚊が刺す」程度のものであるという点です。そしてこの「コロナ禍」を通して、実は見えてきた霊的な「事実」が幾つかあります。


 先ず第一の事実は、①「先」が見えない「時」の過程の中でも、人は今まで信じてきた「モノ」、特に目に見えて高価な「金(貨幣も含む)」を信頼して、グローバル経済を進めたことです。この時のイスラエルの民は、それまで神の偉大なる「奇跡(恵み)」を体験して(受けて)きました。にも関わらず彼らは、指導者モーセの下山を待つことが出来ずに、見えざる神(主)に代わって、目に見える「モノ」、即ち「金の子牛」を造って、それにひれ伏して礼拝しました。


 彼らの愚かな行動の如くに、「コロナ禍」から見えてきた第二の事実は、②次の「モノ」を求める過程で、実際に目に見える(リアルな)、新しい「イドラ(偶像の語源)」を、祭り上げる(信奉する)ようになる!ということです。それは今は「モノ」であても、最終的に「ヒト」に移行して行きます。即ち「666」と呼ばれる反キリストです。


 このように、新たな「金の子牛」が次々と、世界各地で出現し始めた「今の時」に、私たちキリスト者は、そのような愚かな次元に、決して組してはなりません!むしろ私たちは、彼らの求めた肉の次元から、いち早く決別すべきです。


「金の子牛」の意味すること
 ところで彼らは、何故目に見える神を、「金の子牛」として崇めたのでしょうか?「別のモノ」でも良かったはずです。「偶像」というものは、どこの民族にも共通する訳ですが、大抵「巨大なモノ」を造ります。実は、彼らが真っ先に求めた「金の子牛」は、サタンの「意思」から生じたものです。これが今回の記事から示される、奥儀の第二ポイントです。


 私たちが霊的に膝を屈めるべき方、そして私たちが自分の命を懸けて、忠誠心をもって礼拝すべき方は、生ける「神の子羊」です!ここに、サタンが造り上げる「偶像」との、大いなる霊的ギャップがあります。彼らが求めたものは、死んだ(生きていない)「金の子牛」です。これは「今の時」に、霊的に悪しきモデルとして当てはめて考える時、やはり「金(ゴールド)」ではないでしょうか!


 では「子牛」とは、何を意味しているのでしょうか?前述しましたように、何故彼らは、巨大な「金の牡牛」を、たとえ金の量が少なくても、金メッキ処理で造らなかったのか?ここに鍵となる「答え」があります。それは「巨大」イコール、(持ち運ぶのに)重過ぎるからです。つまり、彼らが造り上げた「金の子牛」は、いつでも手軽に持ち運びが出来る、コンパクトな神(偶像)でした。と言うことは、彼らはこの「金の牡牛」を、カナンまで持ち運ぶことを想定した上で、新たな神として祭ることを、この時から決断していることが伺えます。


 では「今の時」に、この「金の牡牛」という新たな偶像神は、如何なるモノを指しているのでしょうか?それはコンパクトで、かつ持ち運びし易いもの、しかも何時でも、自分が欲しいと思うものを、気軽に探し求めて得ることが出来る・・・・。ここまで考えてきますと、それは今までの「通貨(紙幣、貨幣、金)」ではなく、電子経済をリードする小型機器、即ち「スマート・デバイス(皮膚下に埋め込むチップも含む)」ではないかと推測します。


 今の「コロナ禍」で見えてくる、将来の新しい生活スタイルは、如何なるモノに触れることなく、この「スマート・デバイス」さえあれば、モノの売り買いが可能になるなど、これが無ければ不便極まるものと言うことで、新たな「金の子牛」になることでしょう。しかし覚えて下さい!たとえ物理的な「スマート・デバイス」であっても、それをコントロールする側が、「現人神」を名乗る、偽りの「救世主(反キリスト)」であるなら、「その時」には全ての人々が、彼に跪くことになるのです。


 使徒パウロは、コリント教会の信者に対して、今後起こり得るであろう、様々な「苦難」と「試練」に関して、叱咤激励となる福音の言葉を発しました。「イスラエルの民も、数々の試練を体験してきた。その中で最大の試練は、罪の生活を強いられている点である。しかし主なる神は、罪の奴隷であった彼ら(私たち)を、様々な災いから贖い出すことで、必ず新たな脱出の道を用意して下さる。しかし、依然として一部のイスラエル人は、その罪の奴隷の生活に、グッバイ(さようなら)!と宣言して決別できなかった。それ故に厳しく命じるが、如何なる偶像礼拝をも、あなた方は避けなさい!」と。


 そうです!私たちキリスト者にも、このパウロの檄文は投げかけられています。今までの古い生き方を捨て去り、如何なる金の子牛にも、「さようなら!」と命じるように。聖霊様が私たちに対して、霊的に繰り返し促すことは「あなたは目に見える、この世の経済の奴隷ではない!目に見えざる神の経済の中に、あなたの生活の全てを委ねなさい!」と。


 今は、未だ「恵みの時」です。この「恵みの時」に、私たちは「金の子牛」に、目を奪われるのではなく、逆に明確に「さようなら!」と宣言しましょう。「私には生ける神の子羊、主イエス・キリストが真の羊飼いとして、私に必要なもの全てを、日々与えて下さっている!明日の糧も、必ず天から降り注いで下さる真実の神が、私と共に常にいらっしゃるから、私は如何なるモノにも膝を屈めません!」という、信仰の告白と共に。


 私たちが礼拝すべき方は、唯一の神の御子、「救い主」イエス・キリストだけです!あなたが是非、この「コロナ禍」の中にあっても、勝ち得て余りある、豊かな信仰生活を日々送ることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年7月12日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局のご案内 


バルナバ・ブログ村診療所 - にほんブログ村


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する