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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.20)

                        不可解な脱出ルート




イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。・・・・彼らがエジプトから追放された時・・・・道中の食糧を用意する暇も無かった・・・・イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。四百三十年を経たちょうどその日に、エジプトの国を出発した。
                                                    【出エジプト記12章37~41節】
一行はスコトから旅立って、荒れ野の端エタムに宿営した。
                                                    【出エジプト記13章20節】
主はモーセに仰せになった。「イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それを面して、海辺に宿営するのだ。」
                                                    【出エジプト記14章1~2節】


神が定めた「ルート」
 エジプトを脱出したイスラエルの民が、神の導きにより辿ったルートは、地図を照らし合わせて見ると、非常に不可解な旅程であることが分かります。「不可解」とは、人間的に見て(判断して)理解できないことを言いますが、神の「御心」の次元から見るのであれば、それは全てが「理(御心)」にかなっています。


 つまり神が定めた「ルート」は、イスラエルの民の全てに対して、ご自身の豊かな祝福を、天から溢れる程に注ぐべく、彼らを正しく守り導くための、必要なルートでした。このルートは、指導者モーセが綿密に知恵を絞って、前々から計画したものではありません。


 ところで現時点(2020年)で、歩いて辿る日本一長いトンネルは、何処の何という名前のトンネルかご存じでしょうか?それは山口県下市と、福岡県北九州市司区を結ぶ「関門トンネル」です。トンネルと言っても、地上にあるものではなく、関門海峡の海底深くを掘り下げた、海底地下のトンネルで3.4Kmの長さがあります。さすがに片道3.4Kmのルートは、かなりハードな歩きでありますが、入口から下り勾配と続き、暫く平坦な長距離を歩きます。しかし、やがて上り勾配になり始めますと、もうそろそろ「出口」が近くなると言うことで、最後のスパートに元気が出てきます。


 ところが今回の「コロナ禍」に関しては、専門家たちが次々と「出口戦略」を発表するものの、私たちには出口までの「距離感」、つまり明確な「収束の時」が掴めません。「いつになったら?」と度々思うのですが、しまいには「来年も駄目かも知れない・・・・」等と、「出口」に至る前に歩み自体を放棄する始末。


 イスラエルの民にとって、トンネル「出口」がカナンの地であることは、当然分かっていました。そしてカナンまでの旅程が、二次元的には「長いルート」とはならず、「敵」に邪魔されなければ、短期的なものであると理解していました。


神の為さる「スピード」
 さて脱出したイスラエルの民と、運命を共にする寄留外国人の総数は、詳細が記述されていませんので、具体的な数値は分かりませんが、壮年男子の数が約60万人と記されていることから、総勢約二百万人規模ではないかと推測されます。


 一つの国家規模単位の「難民」が、エジプトからカナンまで移動する訳ですから、この歴史的大事業は、今の時代には到底起こり得ません。例えばシリア難民でさえ、欧州各地を目指して避難しましたが、多くの国が彼らの入国を拒否しました。ですから、このイスラエル民族の大移動が、如何に神の偉大なる「ご計画」によって、歴史手的事業として起きたかが分かると思います。


 総勢二百万人に及ぶ、イスラエル民族という国家規模集団の移動には、二つの大きな意味があります。先ず第一に①神の為さるスピードは、私たちの測り知れない次元にある!という点です。彼らが元々居住していたエジプトの地は、たとえ奴隷の如き重労働を、日々課せられていたとは言え、仕事や食料も豊富で、富も蓄えられるなど、生きる上での活性化に満ちた場所でありました。


 ですから「そこを去れ!」と命じられても、直ぐに従うことが出来ない等、霊的躊躇さがありました。そこで主なる神は、彼らがエジプトの地を「捨て去る」、その決断をする暇(いとま)も無いスピードで、彼らを導くことになります。つまり「出エジプト」には、私たちには測ることの出来ない、神の時の「スピード」があります。


 今回の「コロナ禍」に対する、日本政府のリーダーシップ感覚は、私たち国民感情から見て、対処するスピードに苛立ちを覚えます。それは私たちが、未だ考える「暇(いとま)」があるからです。「暇(いとま)」という思考スピードは、仮に私たちがあれこれと考えてしまう場合には、必ずと言ってよい程「動かない(動かなくなる)」、これが私たちの「弱さ」です。


 例えば「片付け」や「大掃除」の際に、「断捨離(不要なものを捨て去る)」という考え方で、自分の生活環境を整えようとする場合、もし「あー、これは勿体無い!」、「これには未々思い出(未練)があるからねー」等と考えてしまったら、いつまで経っても終わりません。


 私たちの計画する物事は、例えば短期(最短の)計画と、それに基づいた「事前の準備(必要経費、食材等)」が無ければ、その計画は「干からびてしまう!」と考える、三次元的思考の「弱さ」があります。しかし主なる神の場合は、②その定めた「計画」が、一度開始(スタート)しますと、それに応じた「時」と「人」、そして必要な「もの」が、後から付け加えられて必ず完成(成就)に至る!という、四次元的サイクルで進めるという点です。これが第二の意味です。


突然のルート変更
 イスラエルの民は当初(私たちもそうですが)、最短の脱出ルートを想定しました。つまり、エジプトの王都ラメセスを立った後、北東の方角を目指して、途中から地中海沿岸部を北進すれば、最短(つまり最速)でカナンに辿り着ける!と。しかし神が命じた方角は、「引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前」(14章1節)でした。


 神の命じた、突然のルート変更によって、「葦の海(塩湖)」を通過せざるを得なくなります。この神の旅程プランは、イスラエルの民にとって神の「意図」を、全く理解出来ないものでしたが、指導者モーセだけは気付きました。何故、主なる神がルート変更を指示したのか?その真意は「あえて(敵を)誘(おび)き寄せる」ためだと。


 しかしイスラエルの民の場合は、その真意を探り求めようともせず、ただ不平・不満をモーセに当たり散らすだけ。何故なら、迂回することで時間もかかるし、湿地や沼地等で歩行するのに、非常にハードで不安定なルートだからです。


 さて生きた屍の如くに、ラメセスにて意気消沈するファラオは、密偵の知らせ(報告)を受けました。「彼らは、通常の(北東)ルートからそれて、北進しつつあります!」と。するとファラオ及び軍司令官の表情に、ニヤリ!と笑みがこぼれます。その瞬間王は、「馬鹿な奴らめ!よし、全軍を再編せよ!」と、司令官に号令を発しました。


 当初モーセは、神に対して「主よ、この道(ルート)だけは駄目です。乾いた道が少なく、歩くのに不便極まりない所です。もし、このルートを歩行中に、エジプト軍が背後から襲って来たら、私たちは行き場が無くなり全滅します。」と、必死に祈り願い出ました。


 今の世界的災いの中で、日本は測ることの出来ない、暗黒に覆われた長いトンネルの中を、必死に出口(光)を求めて、さまよい歩く状況下にあります。しかし主なる神は、私たちキリスト者に対して、正しい「ルート」に変更するよう、聖霊様を通して明確に促しています。多くの日本人は、日本の繁栄と復興を夢見て、「東京オリンピック」と「大阪万博」、そして「リニア新幹線(東京~名古屋)」という、三次元的ルートに期待しました。・・・・が、そのルートは未だ不安定なままです。


 私たち日本人キリスト者も、確かに突然の「コロナ禍」により、多少の打撃を受け、生活していく上での「不便さ」を強いられています。しかし私たちは、あることに気付き始めています。それは、私たちが迫り来る「災い」の中で、自分の力で変わるのではなく、聖霊様の取扱いを通して「今造り変えられつつある!」ことに。


 私たち日本人キリスト者の多くが、日本の霊的リバイバル(復興)に至るルートを、「栄光と勝利に満ちた、圧倒的な信者数の増加と教会成長!」という、三次元的ビジョンを描きました。しかし「コロナ禍」により、教会における各礼拝と宣教イベントは、制限を余儀なくされています。そうです!世界中のエクレシアが、神の導きによってルート変更されているのです。その方向は、まさしく「使徒行伝時代」への回帰と言えます。


 「使徒行伝時代」のエクレシアは、何かを捨て去ざるを得ない、迫害と貧困の中にあっても、満ち溢れる程の天の祝福を、日々の歩みの中に降り注がれ、天の力を受けて前進し続けました。その使徒時代のリバイバルが、今の日本にも起きつつある!と信じたら、私たちは「ワクワク感(期待感)」に満たされ、賛美をもって小躍りするのではないでしょうか!


 私たちは決して、「エジプト(この世)」を振り返ってはなりません!また「敵(不安と恐れの霊)」を恐れてもなりません!私たちは、主なる神が導いて下さる新しい「ルート」を、日々感謝しながら、淡々と歩いて参りましょう。上(天)よりの神の御力を受ける時、天高く翼をかって舞い上がる鷲の如くに、私たちは天(ゴール)に向けて旅立つことが出来るからです。


 あなたが更に「祈り」と、神の「御言葉」に専念しながら、間もなく来るであろう、「後の雨」の大収穫(リバイバル)の時に、多くの異民族と共に出立する、霊的先駆者として召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年5月31日のメッセ-ジ)


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