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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.19)

              試練の時に問われる「生き方」




ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀を全て集め、それをファラオの宮廷に納めた。・・・・人々が家畜をヨセフの所に連れて来ると・・・・ヨセフは・・・・引き換えに食糧を与えた。次の年になると、人々はまたヨセフの所に来て、言った。「・・・・私どもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、私どもと土地を買い上げて下さい。・・・・」ヨセフは、エジプトの全ての農地をファラオのために買い上げた。・・・・土地はこうして、ファラオのものとなった。・・・・
                                                        【創世記47章13~26節】


生きるための「命の糧」
 私たちは今回の「コロナ禍」により、それ以前とその後の「生活様式」が、がらりと変わったことに、未だためらう(或いは付いて行けない)部分が、かなりあるのではないでしょうか!今まで培ってきた「考え方」や、生活(人生)の「在り方」を変えることは、そう簡単に直ぐには変えられないからです。


 さて今回の記事には、ヨセフがいよいよ、神の霊に満たされて、七年間に渡る最悪の大飢饉の時に、自分の計画に拠らず、神の知恵をもって、如何なることを次々と為していったのかが、順序だてて記されています。その中でヨセフが、主なる神から戴く「神の知恵」を通して、彼の元に「食糧」を求めて来る、エジプト及びカナンの人々に、惜しみなく「食料」を与えていることが、詳しく描かれています。


 ご存じのように飢饉の時に、人々(私たち)が一番に欲しがるものとは、金銀や土地・財などではなく、命をつなぐための食料と水です。この食料を巡って主なる神は、ヨセフを通して私たちキリスト者に対しても、霊的な「食べもの(糧)」である、「命のパン」という観点から、実は重要な「奥儀(御国の教え)」を教え示しています。


 私たちは、いずれ「神の国(御国)」に帰還する際、「何」を生きる糧として食してきたかが、実は問われることになります。即ち、「今の時」を生きるにあたり、「世の糧」と「霊の糧」を、天秤にかけて測った場合、「世の糧」の方が重くなる(重宝している)、そんな「現実」の弱さの中に、私たちは生きています。


神が示す生きる「順序だて」
 しかし今回の記事に示される奥儀には、そんな私たちの「弱さ」を配慮し、そこから救い出して下さる、神の「助け」と「導き」という、霊的ステップ(順序だて)が示されています!前述したように、私たちが培ってきた「生活様式」は、たった一つの「災い」により、いとも簡単に崩れ去る(朽ち果てる)ことを、先ず覚えて下さい!


 ヨセフの元に来た人々は、その全てが今までの「生活様式」を放棄し、ただ一つのもの、即ち「食料(世の糧)」を求めて集まって来ました。その霊的姿勢(光景)は、ソドムとゴモラという、目に見える繁栄の都を、喜んで選択したロトと同様のものです。しかしアブラハムの場合は、ロトとは別の次元にある、目に見えざる永遠の「神の都」を、荒れ果てたフィールド(岩地)の中に求めました。


 イエス・キリストの「福音」の中にも、「砂の上に家を建てるのではなく、岩地を丹念に掘り進めて、その上に堅固な基礎を築く者になりなさい!大洪水(災い)の時には自ずと、その賢い選択結果が分かるからです。」とありますが、今の世界的「災い」の時に、私たちが神の「導き」によって、「生活様式」や「生き方」が、どのように造りかえられて行くか、また「災い」に順応できる霊的柔軟性が求められます。


 例えば、多くの人々を「(一ヶ所に)集める」方式の、大規模イベント(展示販売会・スポーツ大会・集会・祭り・礼拝等)は、ゼロからの発想転換が求められます。「集めない」方式では意味を為さない(効果が無い)!と考えるからです。しかし、使徒時代のリバイバル運動の流れに、「神の知恵」を探り求めるのであれば、「集める(密集)」方式ではなく、「分散(拡散)」方式、即ち「一ヶ所(一つの巨大施設等)」に集中させる方式から、多くの「小規模の箇所(使徒時代は各家の教会)」に「つながる」ことで、その意味合いが以前より鮮明になるのではないでしょうか。


 では実際に、集まって来る人々に対して、ヨセフが為した政策は①単純な「売り買い」、つまり何も考えずに、その支払った金額(財)に応じて、食料を売っただけです。続いてヨセフは、②銀の無い(無くなった)人々には、次に家畜(牛・羊等)という「生きた財」をもって、食料を供出することにし、その買い取った家畜に関しては、国有財産としてファラオの管理下に置きました。


 しかし、いよいよ「全て」の財が底を着いた人々には、実はヨセフは何も要求しませんでしたが、彼らの側から「私どもの土地と、私の体の全てを買い取って戴き、その代わりとして食料を売って下さい!」という、非常に大胆な取引きを提案したことにより、ヨセフは③国家の人財という形式で、彼らの「労働力」とその「土地」を国有化し、彼らをそこ(元の畑)において、引き続き農業に従事させました。


 これは決して、一方的に彼らを「奴隷」として、死ぬまでただ働きさせる方式ではありません!何と国有化した「畑」から収穫した穀物の、「五分の一」だけを国庫に納め、残りの「五分の四」は家族の取り分としました。そうです!彼らは「種」さえ蒔いて収穫すれば、生き永らえるための「食料」が保証されたのです。


 国有化した土地の中には、エジプト人が好まない地域、例えばゴシェンの地は、元々卑しい身分の部族が畜産業を営んで、代々居住していましたが、あえてヨセフは「そこ」を国有化することで、イスラエル部族が借り受ける権利を得ます。つまり形式上は国有地である訳ですが、実質その地で収穫される穀物、そして産み出される畜産関係の利益の、「五分の四」がイスラエル部族のものとなります。ここに「神の知恵」の、人知を超えた偉大なる「ご計画」が見出されます。


 ロトの選択した「地上の繁栄」は、今回の「コロナ禍」の如き、世界的災害が起きた時には、一気にその人間的「計画(目標)」が瓦解します。私たちは今までの「生活様式」等を、中々変えることが出来ない「弱さ」がありますが、ヨセフが「神の知恵」を用いて、アブラハムが選択した如くに、神の「選びの場(堅固なる岩地)」に、改めて立とうではありませんか!そうです!私たちが常に立つべき場、それは堅固なる「救いの巌」、イエス・キリストです!


朽ちざる神の「霊の糧」を求める
 私たちの現実生活には、基本的に「食料」と「金銭」、また「土地」や「住まい」等が必要でしょう。しかし主イエス・キリストの「来臨の時」には、それら全てが不要となります。それ故に私たちは、今からでも宣言しましょう!「私に必要なものは霊の糧だけです。あなたから戴く、豊かな生きる順序だてが示され無ければ、私は如何様にも前進する事が出来ないからです。ですから、あなたが下さる命の言葉を、私の足の灯として照らし導いて下さい!」と。


あなた方は、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、即ち、神の変わることの無い生きた言葉によって新たに生まれたのです。・・・・「・・・・草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることが無い。」これこそ、あなた方に福音として告げ知らされた言葉なのです。
                                                  【Ⅰペテロ書1章23~25節】


 私たちは、「朽ちる種」を蒔き続ける者ではありません!「朽ちざる種(神の生きた言葉)」をもって導かれ、その「朽ちざる種」によって生かされた、つまり新しい霊的な「生き方」を示された、神の「選びの民」です。ですから私たちは、全てがご自身の栄光の為に、神が私たちに必要なものの「全て」を、必ず用意して下さる!という、揺ぎ無き「信仰の土台」に立って、「朽ちざる種」を蒔き続けましょう!


 そうすれば、いよいよ来る神の大いなる「大収穫の時」に、「命のパン(霊の糧)」を求めて、至る所から集まって来る人々に対して、惜しみなく与えたヨセフの如くに、私たちも召し出されることになります。その時に、私たちは「私たちの主イエス・キリストは、朽ちざる命のパンと、永遠に湧き出る命の水を、あなた方に無代価で惜しみなく与えて下さいます。ですから共に受け取り、喜んで食して参りましょう!」と高らかに宣言するのです!


 あなたが聖霊様の導きを通して、神の「収穫人」としての新しい「生き方」に、折にかなった「神の知恵」を戴くことで、着実に順応できますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年5月24日のメッセ-ジ)


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