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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.18)

         朽ちざる神の「恵み」にシフトせよ!




エジプトの国に七年間の大豊作が終わると、ヨセフが言った通り、七年の飢饉が始まった。その飢饉は全ての国々を襲ったが・・・・やがて、エジプト全国にも飢饉が広がり、民がファラオに食物を叫び求めた。・・・・ヨセフは全ての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売った・・・・また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。
                                                             【創世記41章53~57節】


何にシフトして生きるのか?
 私たちキリスト者は、「今の時」を三次元的に捉えるのではなく、霊的に飢え渇く「恵みの時」として捉え、本来の正しい生き方にシフトすべきです。また私たちは、今の「試練の時」に、生きて行く上で何を学び、かつ実践して行くべきかが問われています。


 ヨセフは七年の豊作の時に、確かに「神の知恵」を用いて、神の「恵み(大収穫)」を備蓄しましたが、その後に来る「七年の飢饉」の時のことが、常に頭をよぎるなどの心配がありました。「果たして持ちこたえることが出来るだろうか?」と。しかし彼は最終的に、神の朽ちざる「恵み」に、その思い煩いをシフトすることで、「神は必ず全てを満たされる!」という、確信に至ることが出来ました。


 そうです!私たちが持つべき正しい「信仰」は、マイナスの時にあっても「主なる神が、(今の時を)どう動かれるのだろうか?」などと、逆に神に対して期待感を持つなど、「先読みの賜物」を戴きながら、信仰によって生きることが大切です。七年間という時間的スパンは、プラス(豊作)の時は何も思わないのですが、逆にマイナス(飢饉)の時には、一向に出口(収束の時)が見えて来ませんので、国家としての安定感が無くなり、殆どの人がパニックに陥る傾向にあります。


 いつの時代にも起こり得る、「災い」という歴史的観点から、私たちは信仰面で何を学ぶ(備える)べきでしょうか?第一に①「戦争」と「疫病」、そして「巨大地震」という三つの災害は、いつの時代にも連動して起きることを、「今の時」にも的確に、かつ早く知る(先に読む)ことです。第二に②見えざる次元において、霊的な備え(祈り)を継続して行う(捧げる)ことです。祈ることで、私たちがどう行動し、大収穫の時に何を備えるべきかが、聖霊様の啓示により知らされるからです。第三に「次の(災いの)時」の兆しを見逃さないことです。


二宮尊徳の生きた「実践学(姿勢)」
 老中に懇願され「藩命」を受けた二宮は、熟考した上で引き受けることにしました。しかしその際彼は、老中に一つの「条件」を願い出ます。「分かりました。身を賭して頑張ります。但し私が為すことに対して、一切の口出しは無用ですが、それでも宜しいですか?」と。老中からの確約を頂戴した彼は、早速栃木県の桜町に向かいました。


 桜町に到着した彼は、役人たちの不正や怠惰もさることながら、地元の百姓たちの殆どが、真面目に働いていない光景、例えば昼間から酒を飲んだり、賭け事に明け暮れるなどを目にしました。しかし彼は、その様に一切怒ることなく、役所に戻り「帳面(記録簿)」を隈なく調査しました。


 すると、事の原因が誰でも分かる、ある「データ」を見つけました。それは「税」の取り立てが「法外なもの(正規の二倍)」でした。つまり彼らの労働意欲を削ぐほどの年貢を、毎年納めなければならない酷い仕打ちでした。そこで彼は、先ず第一の改革として、正規の年貢量を「四分の一」に減免しました。


 しかし彼には、次の事が分かっていました。「たとえ年貢を減らしても、一度怠惰な生活に明け暮れた彼らは、そう簡単には一生懸命働かないだろう・・・・」と。そこで彼は、第二の改革(対策)として、「年貢を納めた者には誰でも、必ず報奨金及び農耕器具を与える!」ことを確約しました。そうです!人は真面目に働くことで、その「労働」の努力が報われると、必ず次の時も更に頑張るようになることを、二宮は自らの経験として知っていました。


 彼の打ち出した改革の成果により、十年後には何と以前の、平均石高の「二倍」の収穫を、桜町は蓄積できるようになりました。この「二倍」の収穫実績値は、当然彼らに対して毎年支払った、「報奨金」及び「農耕器具」の総額を差し引いたものです。如何に彼が、百姓たちの「心」を掴んだか、その答えが「二倍」という数値に現れています。


 実は彼は、百姓たちの意欲を高めるために、「報奨金」などの目に見える「報い」だけではなく、目に見えざる「知恵」の向上のために、自分の屋敷を開放して、断るごとに「知恵」の実践を教え説きました。その教育の中で、彼は三本柱の「教え」として①一日一個の善を積み立てる(積善)こと、②如何なる者も働けば必ず報われる(勤労)こと、③徳をもって生きれば、必ず徳によって生じた報いがある(報徳)こと、この三つのQOL(人道)を示しました。


 さて「天保の飢饉」の四年前の、梅雨期も終わる「ある時」、彼はある作物の異変に気付きます。それは「夏茄子」の食感が、いつもと違って何となく「瑞々しくない(カスカスである)」、そして「種が全く無い!」ことに愕然とします。その結果彼は、異常気象による「天変地異」が起きる、その兆しを掴み取り(先読みし)ました。


 そこで彼は、早速桜町の百姓全てを招集して、「諸君!今年は米が必ず不作となるので、雑穀など天変地異に強い作物も、今後は毎年植え付けて収穫するように!」と、俄かに信じられない事業に着手しました。そして遂に「天保の飢饉」が始まった時に、その事業により備蓄された「雑穀(四千俵)」が、桜町の住民(800人)全てを、餓死から守ることになります。


 「天保の飢饉」は、全国各地に拡大しますが、特に被害が甚大だった地域が「東北地方」で、数万人単位の餓死者を出しました。当然、二宮の故郷・小田原藩においても、飢饉による被害が深刻化していました。毎年知らされる桜町の税収アップの報告と、天保の飢饉に対する、事前の対策事業の成功話を聞きつけた小田原藩は、彼を再び呼び戻すことにしました。


 先ず、江戸の小田原藩邸に出仕した彼は、早速上役の者に「民の窮状は、かなり深刻だと思いますが、藩の備蓄米は如何ほどございますか?」と、唐突に切り出しました。中々正確な備蓄量の数値を出すことなく、不審がる上役に対して、彼は更に大胆な要求を願い出ます。「藩の備蓄米の全てを、民に対して開放して下さい!」と。しかし案の定、上役たちは彼の要求を却下しました。


 すると業を煮やした二宮は、上層部の面々を前にして、次のような怒りのメッセージを放ち、江戸の藩邸を出立しました。「政治が行き届かず、飢饉に及んで民を死に至らしめるとすれば、一体如何なる言葉をもって、あなた方は天に謝罪するのか?!」と。


 その後小田原藩に帰郷した彼は、藩の役人たちから出迎えられ、食事の席に招かれます。藩の役人たちの全員が、昼食の弁当を囲んで談笑している様に、さすがの二宮もブチ切れました。「あなた方は、一体何を考えているのか?民は今にも餓死寸前の状況下にあるのに、のんびり弁当なんぞ食べていられるな!今直ちに、米蔵の鍵を渡しなさい!」と。


 それに対する役人の態度は、「まあまあ二宮先生、とにかく落ち着いて下さい。先生のおっしゃることは、ごもっともですが、藩の全体会議で評決した上で、事を進めるのが筋というものですよ」という、どこかの国のリーターたちと非常に似たもので、決断力が「遅い!」、そして指導力が「後手後手」の事なかれ主義。


 人の「命」を一番に尊ぶ彼は、この時に「知恵」が浮かびます。そして怒り心頭に発しながら、彼は「先生方、よーく分かりました。民が今、まさに飢えで苦しんでいるのだから、今から我々も断食しようではありませんか!」と啖呵を切りました。さすがにこの提案に驚いた老中たちは、遂に重い腰を上げて、彼に米蔵の鍵を渡しました。


 二宮は少しでも早く、米蔵の鍵を開けて、民に米を分配するつもりでしたが、それをすると瞬く間に備蓄が底を着き、いずれ暴動が起きることを予感した彼は、下役たちに命じました。「早々に藩内の領民全てを調査して、所得に応じて家族を三つのグループに分けなさい!」と。彼が三つに分類したグループとは、①無難(経済的困難が全く無い家族)、②中難(ある程度は食べて行ける経済力がある家族)、③極難(食糧が全く無く、明日死ぬかも知れない家族)です。


 三分類した後、彼は早急に③極難の人々に「お粥」を、一日一杯分の量で配給し始めます。「僅かな量しか提供できないが、餓死することが無きよう、毎日提供することを約束する。空腹をこらえることも仕事と思って、とにかく頑張っておくれ!」という言葉(励まし)を添えて。


 しかし長期化する「飢饉」の中で、藩の備蓄米が僅かになり始めた時に、彼は続いて①無難と②中難の人々に対して、次のように願い出ました。「どうか皆さん方の食料或いは金銭を、極難の人々に提供してもらえないだろうか?」と。すると予想通りの返答が返ってきました。「明日死ぬかも知れない彼らに、私たちの食料を上げたからと言って、私たちに何らかの見返りがあるのですか。彼らが返してくれるとでも言うのですか?」と。


 この返答にも、二宮は怒りを顕わにして言い放ちました。「代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれた仲間ではないか!一文の銭で施したり、ー抄いの米を与えるのが人情というものではないか。未来の実りを信じて、今こそ、この飢饉から彼らを救うべき時ではないか!」と。すると一人二人と、彼に賛同して出資する人々が出てきた結果、彼は出資された金銭等を「報徳金」と呼んで、極難の人を救う「基金」としました。彼の打ち出した緊急対策により、小田原の領民40,390人の命を、全て救済することが出来ました。


 その後、二宮は20年間に渡って、日本各地の六百を超える村々の「復興事業」に携わりました。彼の志の真髄(基本精神)は、彼が教え説いた次の言葉に要約されます。「私の願いは、人々の心の荒廃を開墾して、天から授かった善の種を育てて、また蒔き広めることにある。心の荒廃を一人が開けば、土地の荒廃が何万丁あろうとも恐れるものではない!」と。


先読みの「賜物」
 ヨセフには、先読みの「賜物」がありました。しかもヨセフは、人の知恵には拠らず、神の知恵を拠り所とする、「信仰」によって生きました。人の知恵には、朽ちる「損得」が付きまとうことを、彼は熟知していたからです。彼は、後半の七年間の「大飢饉」の時にも、この先読みの「賜物」をもって信仰を働かせます。そして七年の豊作期に蓄えた、膨大な備蓄穀類を惜しみなく、食料を求めに来る人々に売り出したのです。


 私たちキリスト者は、命の源なる方、主イエス・キリストに、全ての「望み」を置いて生きています。主イエス・キリストは、尽きることの無い「恵み」をもって、私たちを養い導いて下さいます。ですから、私たちは先に信じる者として、先読みの「賜物」をもって、神に対して信仰を働かせるのです。「私は神の計算に委ねます!日本はこれから、如何なる事が起きるのか分かりませんが、私は尽きることの無い、また朽ちることの無い、天の領域にある恵みによって、日々生かされているからです。」と。


 ヨセフは各地の大倉庫から、食糧を売り出した結果、その代価である「金銀」「宝石」等が、国庫に蓄えられる訳ですが、彼はそんな商売的な次元に立っていませんでした。彼が見ていた次元は、尽きることの無い、神の永遠の御住まいにある、朽ちざる天の食糧(命のパン)でした。即ち、イエス・キリストがサタンに対して、言い放った黄金律「人はパンのみにて生きるにあらず、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる!」ことを、何よりも大事な「蓄え」として生きたのです。


 私たちは尽きることの無い、また朽ちることの無い、神の「命のパン」があることを知っているから、天に望みを置くのです。この真理を、絶対に忘れないで下さい!私たちは神から戴く、無尽蔵に蓄えられた、朽ちざる神の「命のパン」と、「命の水」によって生きる神の子です。


 あなたが、聖霊様の与えて下さる、先読みの「賜物」を豊かに受け取りながら、日々神の「徳(知恵)」をもって、多くの人々に霊の「糧(福音)」を、送り届けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年5月17日のメッセ-ジ)


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