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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.16)

                       キリスト者のQOL




ヨセフはエジプトの王ファラオの前に立った時三十歳であった。ヨセフは・・・・エジプト全国を巡回した。・・・・ヨセフはその七年間に、エジプトの国中の食糧を出来る限り集め、その食糧を町々に蓄えさせた。・・・・ヨセフは、海辺の砂程も多くの穀物を蓄え、ついに量りきれなくなったので、量るのをやめた。
                                                                【創世記41章46~49節】


生きるための「拠り所」
 QOLとは、英語で「quality of life」と言い、一般的に「各自の生活(人生)の質」のことで、分かり易く言えば、その人の「生きがい」や「楽しみ」などです。今回は、生きる(生きて行く)ための「拠り所」と捉えて下さい。「キリスト者にとって、生きる拠り所は何ですか?」と問われた場合、あなたは如何なる返答をしますか?


 「そんなこと分かってます。イエス・キリストです!」と即答する方が殆どでしょうが、逆に更なる質問として「では、そのイエス・キリストは、あなたの生活や人生に、どれ程深くまで浸透して、あなたはイエス・キリスト中心の生活になっていますか?」と問われた場合に、「うーん、それはちょっと・・・・。イエス様を忘れる程の生活リズムですね!」と渋々返答する、それが私たちの現実のQOLです。


 2020年5月初頭のニュースに、ある男性(54歳)の焼身自殺が報じられました。彼は2020年の夏期に予定されていた、東京オリンピックの聖火ランナーの一人として、一生懸命に身体を鍛え、その時を楽しみに待つという、家族にとっては大黒柱の父親でした。


 ところが今回の「コロナ禍」により、東京オリンピックが延期となり、緊急事態宣言を受けたことで、自営業の店を閉店せざるを得なくなりました。つまり、彼は自分の人生の「拠り所」である、聖火ランナーとして走るという「目標」を失い、また家族を支える大黒柱の「拠り所」である、店の経営を放棄せざるを得なくなった結果、彼が最終的に選択したことは、如何なるものであったのでしょうか?


 もし自殺する直前に、家族の者に一言相談していたら、彼の人生に対する失望感を、別の方向に逃れる(休ませる)、小さな「きっかけ」となっていたかも知れません。しかし彼は、誰にも相談すること無く、4月30日に油をかぶって、自らに火を点けました。人は、自分が築いた「拠り所」を失った時、その絶望感は、その人を殺す程の悪しき「力」を持っています。


 さて、再度問い直しますが、私たちキリスト者は、何を「拠り所」として生きるべきでしょうか?今回の世界的「災い」の中で、多くの人々が「生き残るためには、どうしたらよいのか?」と、必死に「新しいQOL」を探求しています。しかし私たちは、「生き残る」という目標をもって、「新しいQOL」を探る必要はありません!使徒パウロが明言するように、「生きる」のも「死ぬ」のも、主(イエス・キリスト)のため、これが唯一の「QOL(真の拠り所)」だからです。


「平時」の備えを怠るな!
 ヨセフは、神の「知恵(啓示)」を解き明かすという、たぐいまれな賜物を与えられていた結果、自分が望んだ訳でもないのに、ファラオの見た「夢」を説き明かすことにより、30歳という若さで宰相(国務及び外務、そして財務・農政を統括する大臣)に任命されます。それはエジプトにおける、「ナンバー2」の地位です。そしてヨセフは「啓示」通りに、事(政策の実行)を速やかに開始しました。


 今の「コロナ禍」は様々な面において、確かに大変な事態ではありますが、私たちキリスト者にとって「チャンスの時」です。そうです!キリスト者にとっての、真のQOLを見出す時だからです。それは「災いの時」に、生き残るためではなく、「生きる」ため、かつキリストのためには、「死ぬ」ためにあります。


 そういう意味で私たちキリスト者が、真のQOLを見出して行く時に、重要となるポイントは、今の「平時の時」の備えを怠るな!という点です。多くの人々にとっては、今の時は決して「平時」ではなく、「有事」に等しいと考えます。しかし「大患難の時」から遡って捉えるのであれば、今は未々「平時」の時です。


 では、ヨセフは「平時の時」の備えとして、実際に如何なる事業に取り組んだのでしょうか?実は最初の数ヶ月(半年以上)の期間は、具体的な政策には全く取り掛からず、先ず①国内をくまなく巡業(調査を目的としたトラベル)したと記されています。そして訪れた各町の農業従事者から、直接聞き取ることで、毎年分の「収穫量」のデータを収集しました。


 全国巡業を終えた彼は、早速その膨大なデータを基にして、各地に必要な「大倉庫」の建設計画に取り組もうしたのですが、聖霊様がストップをかけました。「あなたの計算は、何を基準としているのか?あなたは、エジプト国民の人口を基準として、7年の飢饉に必要な備蓄量を、目標設定値と定めているが、主なる神の永遠の基準からは、常に全ての民のため、つまり全世界レベルにあるのだ。」と。


 聖霊様の指示に従った結果、彼は続いて②各地に収穫拠点として、巨大貯蔵倉庫の建設に取り掛かりました。すると農民が農業に携わる一方で、農閑期に建設事業にもダブルワークすることで、エジプト国内に経済特需が起こります。この巨大国家プロジェクトは、開始から7年間続く訳ですが、7年目を迎えた頃になっても、そろそろ終了とは行きませんでした。


 政策を押し進めれば進める程、「終わり」に近づくことが無い!と気付いたヨセフは、遂に神に対して両手を挙げました。つまりこの計画が、最初から神の「御手」にある以上、もはや自らは動かない(次の計画を立てない)!と悟った訳です。そうです!神の為さることは、私たちの「小さな(浅はかな)考え」では、決して推し量ることの出来ない次元、つまり物凄い奥深い領域にあります。


 ならば私たちキリスト者は、何を為すべきでしょうか?ヨセフは途中から、自分の「やり方(計画)」、自分の「時の進め方」、自分の「計算」等を完全に放棄し、昼間は行政官として指揮監督に就きますが、夜は帰宅したら即「就寝」ではなく、霊的なQOLの基本姿勢、即ち先ずは神の御前に座して、全ての事に感謝の祈りを表明する!という、真実の礼拝を土台としました。この基本姿勢は、収監されていた時期にも、一日たりとも欠かすことがありませんでした。


 そうです!私たちキリスト者のQOLは、神に対して真摯に相対する、つまり「祈り」の生活を基本とします。「平時」に祈り備える者は、「有事」の時に必ず勝利する(災いを乗り越える)ことが出来ます!自分は「祈り」無くして、決して立つことが出来ません!と霊的にへりくだって祈る者が、賢い(知恵ある)キリストの花嫁として仕立てられます。


 彼は政策を推し進める中で、最終的に「はかる」という行為を止めました。「はかる」という言葉には、「図る(考えを巡らす)、(長さを)測る、(重さや数量を)量る、計る(計算する)、謀る(はかりごとを立案する)、慮る(思いを様々に使う)等」と、様々な意味が伴います。ヨセフは、そのような様々な「はかる」次元から解放されるべく、一番大事な「思い(飢え渇き)」の次元へと、霊的に軌道修正されました。即ち、主なる神ご自身の「御思い」に、自分の全てを捧げ尽くす生き方のことです。


二宮尊徳の見出した「QOL」
 昔の日本人には、今の「コロナ禍」にも、優れた「知恵」と「先見の明」をもって、ヨセフの如くに対処できる偉人(指導者)が、かなり見受けられました。その中に江戸時代末期に起きた、「天保の大飢饉」に際して、小田原藩(神奈川県)の領民四万人の命を、一人の餓死者も出すことなく救済した人物、二宮尊徳(金次郎)がいます。


 「天保の大飢饉」は、1833年から1839年の6年間に渡って続く、「天災(気候変動)」によって引き起こされたものです。この大飢饉により、日本各地で「飢餓」や「一揆(暴動)」が起こることで、おびただしい数の人々が死にますが、その総数は全国で120数万人に上りました。


 二宮は5歳の幼少期、大雨で近くの酒匂川が氾濫した為、先祖代々受け継いできた、田畑と家を失うという経験をします。両親は再び開墾して、一生懸命に働くのですが、彼が12歳の時に次々と過労で亡くなります。それ故、彼は親戚の元にあずけられることになりましたが、ある時から不思議な(異常ともとられる)行動を始めます。


 そして氾濫した川の土手に、数時間もぼんやりと立ち続ける姿が、村人の目にとまり「まさか、あの坊主。両親の後を追って自殺するつもりでは・・・・」などの噂が広まります。しかし本人は、そんな気はさらさらありませんでした。では一体、何をしていたのかと言えば、「何故この川は、度々氾濫するのだろうか?氾濫するから、多くの人が田畑を失い不幸になるのだ。では氾濫させなくするには、どうすればよいのか?」などと、この一つの「難問」に挑んでいました。


 ある時、一つの知恵(方策)が浮かんだ彼は、早速「子守り」のアルバイトを始めて、その稼いだ賃金をもって松の苗木を購入し、毎年川の土手に植樹しました。今でも川の土手には、その松の巨木が生え残っています。その後、彼は学問に励みます。特に、中国の『論語』の教えに影響を受けた彼は、その書物のある言葉に注目しました。「己に打ち勝てば、天下は自ずとその徳に従う!


 つまり彼は「自分が災難に負けてしまえば、結局は皆と同じで不幸のままだ。しかし自分自身に打ち勝つ精神をもって、この災難を乗り越えて行くのであれば、天下は自分が培った(経験した)知恵などの徳により、それがいつかは役に立つ時が来る!」と確信しました。


 『論語』の言葉(真理)に感化された彼は、その後人が見捨てた「農地」や「荒れ果てた田畑」を、一人で黙々と開墾し始め、その田畑に人が捨てた「余り苗」を植えました。その結果、秋の収穫には米「一俵分」の量、つまり一人で60kgの実績を得た彼は、次のように確信しました。「一人で60kg収穫出来るのであれば、村人が皆で助け合って働けば、物凄い収穫量を上げられるに違いない!」と。この経験から彼は、「勤勉(全ての事に真摯に勤しむこと)」と「倹約(自らは節約することで、他人の助けになること)」こそが、人が生きて行く上での基本的QOL(拠り所)と確信し、この二つの「教え」を広め、実践することに尽力します。


 30歳になった頃、彼の実直な生き様が、時の小田原藩の老中の耳に入り、彼は急遽呼び出しを受けます。そして老中は彼に、ある願い事を託しました。「実は、私の実家である栃木の桜町は、田畑が多くある割には、中々年貢(収穫米)の量が増えてこない。ちょっと行って(改善して)くれないだろうか?」と。一介の百姓如きの者(彼)に、老中直々の「藩命」が下されました。さて、彼は如何なる返答をするのでしょうか(・・・・次回につづく)。


 「今の時」だからこそ、祈りを土台とする霊的QOL、つまり正しい信仰生活を送ることによって、上(天)からの「知恵」が授かります。私たちが必要とするもの全てが、主なる神の「ご計画」の中で整えられ、既に用意されています。ですから、私たちは「その時」に向けて、知恵(神の徳)を戴きながら、霊的に益々磨かれて参りましょう!


 あなたを必要とする人が、必ず次々と出てきます!あなたがヨセフの如くに、「神の知恵」を先にあずかる者として、様々な地域へと巡り歩く働き人に仕立てられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年5月3日のメッセ-ジ)


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