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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.14)

            「救い」の扉-復活の力




                  苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、
                  主は彼らの苦しみに救いを与えられた。
                  主は御言葉を遣わして彼らを癒し、
                  破滅から彼らを救い出された。

                                                   【詩篇107篇19~20節】


三つの「基本行動」
 「復活」とは、死んでいた(倒産した、活動していない、解散していた)あるもの(人、企業、団体、集合体等)が、「再び(復)生き(活き)始める」ことです。私たちキリスト者にとって、イエス・キリストの「復活」とは、「死」という最大の恐れ(滅び)を克服し、永遠の命に至る「救いの門」を開かれた、最大の「祝福」の時であり、それを信じる者に「永遠の命」という、最高のギフトを戴いた記念日です。


 今、まさに人類全体が、「存亡」まで行かなくても、かなりの「破滅」を被る、第二次世界大戦以来の「苦難」の中にあります。しかし心配しないで下さい!「新型コロナウィルス」は、世界史の中で繰り返し発生して来た、単なる「感染病(疫病)」の一つに過ぎません。では如何なる時に、世界的「疫病」が発生するのか?また「疫病」などの災いに対して、私たちは如何なる神の「御言葉」をもって、勝利する(乗り越える)ことが出来るかについて、私たちは聖書から教えて戴きましょう。


 先ず「免疫学」の観点から、私たちが常識として知るべき第一の「ガイダンス」は、感染症を予防する「三つの基本行動(アクション)」に関することです。第一の行動は①早期に発見すること!です。それが何処で起こり、如何なる種類のものであるかなど、早めに出所と正体を見出すことが重要です。続いて第二の行動は、②早期に情報を発信することです。そして第三に、③早期に(予防などの)あらゆる対策を講じることです。しかしこれには、長期の時間を要する場合があります。


聖書が示す第一の指針
 では聖書は疫病等の「災い」に関して、如何なる指針を与えているのでしょうか?第一に①早期の「気付き(発見)」が大事なポイントとなります。ある面これは、預言的感知力が必要になります。即ち、次に何が起きるのかを、霊的に読み取って行く賜物のことです。イエス・キリストは、終末の時には「そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」(ルカ福音書21章11節)と、弟子たちに「終わりの時」に関する、預言の言葉を残しました。


 イエス・キリストが、この御言葉の中で特に注意すべき「災い」に関して、各地で次々と①(巨大)地震が起こり、それに伴って②(世界的)飢饉が発生することで、最終的に③地球規模の未知の疫病が蔓延すると、この三つの流れを説いています。しかし未知の「疫病」に関しては、「今の時代」に突然発生したものではなく、人類史の中で様々に出てくるところを見ますと、生物学的に「疫病」は、人類と「共生している存在」と言えます。


 感染症には①細菌によるもの、また②ウイルスによるもの、この二種類に分類されます。細菌による代表的なものが、例えば「ハンセン氏病」や「ペスト」、そして「天然痘」です。不思議なことにこれらの感染病は、人類が文明を進歩させればさせる程、各地で次々と起こり、時には一つの「文明」を滅ぼすこともありました。


 また起きるパターンとして、「平和な時(騒乱が無い時)」に起きるのではなく、大規模な「戦争」が発生した後に、必ずと言ってよい程蔓延しています。では「今の時」の世界的災い(新型感染病)に関しては、いつ世界的「戦争」が起きたから・・・・と言えるのでしょうか?それは超大国どうし(アメリカvs中国)の、世界的経済を巡る「覇権争い」から起きた!と言っても過言ではありません。


 人が起こす「エゴ」と「エゴ」の最大の衝突が、「戦争」という災いです。このように①地震⇔②飢饉⇔③疫病は、人の「罪」がもたらす、様々な肉的欲望の結果、世界史の中で連動して発生しています。しかし私たちキリスト者は、そのような「災い」が起こったとしても、イエス・キリストが命じているように、「決してうろたえてはならない!」という、確固たる信仰で生きることです。


第二の指針
 聖書が示す第二の指針、それは私たちが「何」を正しい情報として、早めに知るべきか?という点です。しかし心配しないで下さい!主なる神が「御言葉を遣わす!」と、聖書で約束しているように、まるで「救い」の使者を遣わすように、主なる神が「聖書」の中から、今日の如き緊急事態の時にも、明確な「正しい情報」を発信して下さいます。


現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足らないと私は思います。被造物(神の創造した全ての生物)は、神の子たち(エクレシア)の現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意思によるものではなく、服従させた方の意思によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物が全て今日まで、共に呻き、共に産みの苦しみにあずかっていることを、私たちは知っています。被造物だけでなく、霊の初穂を戴いている私たちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます。私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを誰がなお望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
                                                                  【ローマ書8章18~25節】


 この世界は本来であるならば、主なる神が私たちに対して、決して「災い」に満ちたものではなく、神との「平和」、つまり永遠に続く神の「調和」が支配する、素晴らしい天地万物が用意されていました。ところがアダム(エバ)の犯した「罪」、つまり神の御心(守りと導き)から離れて、自分の肉の「意思」で自由に立ち、自由に行動し始めた結果、それが神の「御心」を悲しませることになりました。


 その後、人は神の「恵み」を忘れ、自己中心的な生き方から、様々な文明を生み出し、飛躍的に人口が拡大します。ところが、それと同時に天地万物は呻き苦しむことになりました。即ち、人が自己中心的に行動することにより、神が造った本来の「調和」を破壊し、自然界全体も本来の「神の秩序」ではなく、逆に暴走したかの如き、不安定な状態に陥った結果、様々な巨大災害と世界的疫病が生じたと言えます。


 人は、他者の発信した「噂」などの、あいまいな情報に左右されます。しかし私たちキリスト者は、神の「命の言葉」のみを待ち望んでいます。そうです!主なる神のみが、私たちに対して正しい「ガイダンス(導き)」を示し、正しい御言葉の「道標」を、その都度発信して下さるが故に、私たちは確実に神の「救い」を通して、贖い出されているのです!


 イエス・キリストの「復活」は、常に私たちが①何処に避難所として逃れて行くべきか?また②大いなる真の希望を、多くの民に告げ知らせるのは、「今!まさにこの時」であることを、改めて考え直す「恵みの時」でもあります。イエス・キリストの、豊かな救いの「守り」と「導き」に従って行く限り、私たちは恐れる必要はありません!ですから神の「御言葉」を待ち望み、早く受け取りましょう。


第三の指針
 最後に聖書が示す第三の指針、それは早めの「対策」ということで、今の「災い(疫病)」に対して、私たちは如何なる霊的な対処策を、急いで講じるべきでしょうか?だからと言って、何か新しいことを始める必要はありません。神の「救い」は常に、私たちの歩む先に用意されているからです。イエス・キリストの「贖い」の御業は、全ての人々に対して平等に、惜しみなく豊かに与えられています。


 では、具体的にどうすべきか?第一に①素直に(疑わずに信じて)受け取り、第二に②そのまま救いの門(扉)を開いて入るだけで、道が次第に見えてきます。だから忍耐して待ち望むのです。「今の時」は「取るに足らない」、つまり決して恐れる次元にはありません。この後に来る時のために、神があなたの為に用意する、今の「救い(贖い)」を、早く受け取るだけで良いのです。


 多くの民が、今の「災い」によって混乱しています。しかし「今」は、うろたえる時ではありません!あなたが「私は神の御言葉のみを、忍耐して待ち望みつつ、信仰に堅く立ち続けます!」と、高らかに神の「福音」を宣言しながら、イエス・キリストの「復活」の御力を、多くの人々に急いで告げ知らせることが出来ますよう、イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年4月12日の復活祭メッセ-ジ)


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