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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.12)

         神の「守り」と「導き」を信じ続ける




これらのことの後で・・・・二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を・・・・監獄に引き渡した。・・・・牢獄の中で幾日かが過ぎ・・・・二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。・・・・朝になって、ヨセフが二人の所へ行ってみると、二人とも塞ぎ込んでいた。ヨセフは・・・・尋ねた。「今日は、どうしてそんな憂鬱な顔をしているのですか。」「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と二人は答えた。ヨセフは「・・・・どうか私に話してみて下さい」と言った。
                                                                【創世記40章1~8節】


「死の影の谷」を行く時も
 ヨセフを「奴隷」として買ったエジプト人のポティファルは、エジプトの王ファラオを、宮廷内にて護衛する侍従長、つまり近衛師団長の如き上級役人でした。また彼は、宮廷内で起きる様々な犯罪(王に対する反逆や国費の着服等)を取り締まり、犯罪者を王命により強制収監する、内務警察長官としての勤めも兼務していました。


 ですからヨセフの場合は、個人的な「内々の事件」とは言え、ポティファルは一方的にヨセフを収監できた訳です。聖書の記述の「これらのことの後で・・・・」(1節)の言葉が、如何なる年月を要した表現なのか、全く判断できませんが、仮に数年間と考えてみても、その間彼は「いつ自分が監獄から出られるのか?」分からない状況の中にあって、精神的にも肉体的にもボロボロになり、「私は悪いことをしていないのに・・・・」等の理不尽な思いに苦しみます。


 監獄は、「暗闇」だけが覆う小さな空間で、「終わり(終止符)」無き状況が続く所です。彼の収監期間が定まっているのであれば、「出所」の時まで何とか忍耐できます。しかし彼の場合は、ポティファルの個人的「恨み」による、無期懲役の如き裁きです。そのような最悪の状況下にありながら、何故彼は「信仰」を失わなかったのでしょうか?恐らく、彼も人の子ですから、慟哭の如き「叫び(祈り)」を、神に対して何度も訴えたことでしょう。


 実は、今回の冤罪事件による、理不尽な強制収監を通して、ヨセフの中に神が強く介入し、以前に増して取扱われることで、磨きのかかった「練り聖められた品性」が見出されます。私の好きな聖書の御言葉である、詩篇23篇の中に「死の影の谷を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共に居て下さる。あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力付ける。」(4節)という、素晴らしい「ダビデの歌」があります。


 ダビデは羊飼いの経験から、自分の人生の歩みに「たとえ最悪の状況が訪れたとしても、私は尚も主なる神のみを畏れて、一歩ずつ歩み続けます!主なる神が常に私の傍らに居て、共に歩いて下さるばかりか、私を守り続け、そして導き続けて下さるから、如何なる災いも恐れる必要がありません!」と、高らかに賛美したのです。


神の「守り」と「導き」を拠り所とする
 この御言葉から示される奥義は、如何なるもの(人、事象、天災等)も恐れる必要が無い根拠として、絶えざる①神の守りと②神の導きが、常に私の人生の全てを支配し、赤子の如き私の手を、力強く握って下さる点です。そうです!私たちの父なる神は、日もすがら、夜もすがら、私たちを見守り続けて、正しい道へと導いて下さいます。


 実はヨセフの被った「暗闇(死の谷)」の経験は、今回が初めてではなく、最初の経験があったからこそ、その時に学んだ神の「取扱い」が、霊的に益(プラス)となっています。尊敬し慕っていた兄たちの、突然の裏切り(罠)により洞穴に落とされ、あわや暗殺される経験は、拭い去ることの出来ない「心の傷」を被ります。しかしその後、神の不思議な介入により、死の淵より贖い出され、エジプト人の高官の元に売られ、そこにおいて神が共におられることを、自分の手の業を通して知りました。


 ですから今回の二回目の経験も、霊的には一回目の時以上に、主人からの一方的な「冤罪」裁定により、「心の傷」は更に深くえぐられます。しかし、いつ監獄から出所できるか分らない状況の中にありながらも、彼の場合は「復讐」は考えませんでした。以前と同様に、自分の責務を忠実に果たし続けました。それから数年の後、ある時二人の「高官」が、収監されることになります。


 ところでヨセフは、「何」を人生の拠り所としていたのでしょうか?それは、主なる神は「インマヌエルの神」、つまり常に自分と共に居て下さる方が、必ず自分の人生を①守り、正しい道へと②導いて下さる!という、確固たる信仰によって生きることです。


 ところが人という生き物が、如何に目に「見えるもの」を拠り所として、まるで「神」を拝むかの如き、「無知」かつ「弱き」状態になるのか!それを教え示したのが、福島第一原子力発電所の震災事故です。例えば私たちの住む世界は、「これがあれば大丈夫!」と思って、日々回しているのが資本主義経済、即ち「マネー」という信頼(拠り所)です。


 しかし、この世界的マネーの流れの中に、ひとしずくの疫病(新型コロナウィルス)が、ポトリと落ちて流されるや否や、たちどころに全ての流れが凍り付き、あらゆる動きを停滞させました。不信感という「恐怖」だけが蔓延し、経済が回らなくなったのです。


 原発事故に伴う「放射能」拡散と、今回の「新型コロナウィルス」の感染拡大は、物理的には同次元にはありませんが、突然の「災害」という視点で見れば、非常に似通ったことを教え示しています。恐らく「新型コロナウィルス」の場合は、ワクチンの開発が進み、実際に投与し始めれば、少しずつ収束していくことでしょう。しかし福島第一原発事故の教訓を、その後風化させることなく、「いつでも起こり得ること!」として学び、今も生かし続けていたのであれば、今回の「コロナ禍」に対しても、後手後手の対策にならずに済んでいたかも知れません。


 福島第一原発(1F)は1971年3月に完成し、「電気エネルギー」を供給し始めました。全てが純国産ではなく、プラント施工技術はアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)社によるものでした。当時の福島県民は喜びました。「こんなにクリーンな電気エネルギーは無い。莫大な経済効果により、地元住民が半永久的に潤い続ける!」と信じて。


 ところが、それからちょうど40年後の3月11日に、あの未曽有の「東日本大震災」が起き、1号機から5号機が津波による浸水被害を受け、メルトダウン(炉心溶融)という、最悪の事態に陥りました。1号機→3号機→4号機と、各号機が炉心溶融や建屋の水素爆発により、「放射能」が大量に漏れ始め、2号機建屋の爆発防止作業に集中している中、時の総理大臣は「もう(日本は)終わりだ!」と呟きます。


 しかし不思議なことが起こります。メルトダウンによる、2号機建屋内の気圧が膨らむ中、もう少しで水素爆発を起こす寸前、人力に拠らない形で建屋外壁の一部が壊れ、その開口部から膨張した空気(放射能を含む)が抜けることで、水素爆発が起こらなくて済んだのです。その報告を聞き終えた総理は、思わず言葉を漏らしました。「神のご加護があった!」と。


「次の転機」を読み解く
 二人の「高官」が収監された時、ヨセフは如何なる態度で、彼らに接したのでしょうか?特に彼らの場合は、ファラオ直属の宮廷役人でしたから、収監された立場とは言え、尊大な振る舞いは変わっていません。しかしヨセフは、他の囚人に対するのと同様に、丁寧かつ謙遜に会話し、柔らかな物腰で接したことで、次第に彼ら二人もヨセフを信頼するようになりました。


 そして「ある時」、彼ら二人が同時に奇妙な「夢」を見ます。翌朝、二人共に塞ぎ込む姿を見て、ヨセフは話しかけました。「お二方、どうされましたか?何だか眠れてない様子ですが・・・・」と。中々話を切り出そうとしませんでしたが、ポツリポツリと「夢」の内容を語り始めました。するとヨセフは、暫く目を閉じて祈ります。「主よ、感謝します。今のこの時のために、(収監された)私が居たのですね。どうか彼らの見た夢を、あなたの知恵を通して、その意味するところを教え示して下さい!」と。


 ヨセフには、「次の転機」を読み解くという、天的な賜物が与えられていました。この「機(時の機会)」は、決して「人の時」のことではなく、神の「動きの時」のことです。ヨセフは、この神の「動き」によって様々に守られ、そして導かれていることを、十分に知っていたが故に、この二人の高官の見た「夢」に関しても、必ず神の意図する「動き(ご計画)」がある!と確信していました。


 では私たちにも、その天的な賜物が与えられるのでしょうか?この質問は、私たちがヨセフのように、「未来を読み解く予言者」の如き存在になることを、意味するものではありません!それは、神の「動き」を静かに見守り、神が「しるし(ゴーサイン)」を与えた時に始めて、聖霊様の「導き」を通して行動するだけで、決して自らの「動き」に頼らない、ある面忍耐を要する「信仰」の賜物です。


 そうです!主なる神の「守り」と「導き」が、常に私(あなた)と共にあることを信じて、高らかに褒め称え、かつ前進し続けている民が、私たちキリスト者です!それ故私たちは、神の「守り」と「導き」が常にあることを、片時も忘れず信じ続けて下さい!そうすればヨセフ同様に、今のこの時(災害の中)にあっても、「次の転機」を読み解くことの出来る、天の賜物が豊かに増し加えられますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年3月22日のメッセ-ジ)


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