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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

今の試練の時(No.8)

                   見えないものに勝機あり!




・・・・ヤコブはラバンに言った。「私を・・・・生まれ故郷へ帰らせて下さい。・・・・あなたの為に、私がどんなに尽くしてきたか、よくご存じのはずです。」・・・・「何をお前に支払えばよいのか」とラバンが尋ねると、ヤコブは・・・・「・・・・ぶちと斑の羊を全てと、羊の中で黒みがかったものを全て・・・・私の報酬にして下さい。・・・・」ところが、その日、ラバンは縞や斑の雄山羊とぶちや斑の雌山羊の全部・・・・自分の息子たちの手に渡し・・・・自分とヤコブとの間に歩いて三日かかる程の距離を置いた。ヤコブは・・・・家畜の群れが水を飲みにやって来た時、さかりがつくようにし・・・・丈夫な羊が交尾する時期になると、ヤコブは皮を剥いだ枝を、いつも水ぶねの中に入れて群れの前に置き、枝のそばで交尾させたが、弱い羊の時には枝を置かなかった。・・・・こうしてヤコブは益々豊かに・・・・なった。
                                                                  【創世記30章25~43節】


神の「知恵」の偉大さ
 今回の記事に出てくるヤコブは、まるで生物学の世界的権威の如くに、遺伝子情報を巧みに操る、そんな超人的働きをしています。ご存じのように、この時代には未だ、理論的に遺伝に関する教え(遺伝の法則)は存在しません。


 自然の法則によれば、雌株と雄株の交配が様々に為されることで、その結実(果実や実)が「色あい」・「出来具合」・「甘味度」等が、多種多様に変化していることは、何となく昔の人も気付いていました。


 しかし実際に、その自然「交配」に対して、あえて人為的な方法(実験)を用いて、家畜生物に対する人工「交配」に挑んだのは、ヤコブが史上初の人物ではなかったかと思います。果たしてヤコブは、主なる神の創造の領域にある、素晴らしい遺伝の法則を、如何にして知り得たのでしょうか?


 私たちが今回の記事から、先ず第一に知らなければならない奥儀、それは「悪しき者」をも騙すことの出来る、神の「知恵」の偉大さに関することです。ラバンは、「悪しき者」の典型です。彼は自分の息子と共謀して、甥のヤコブに「恵み」の一部を、報酬として分け与えることを、一切為しませんでした。


 ところで、人間的な「取引」をした結果、ヤコブはラバンを通して、如何なる「報い」を受けたのでしょうか?それは彼が、長期に渡るラバン一族の、「悪巧み」の支配下に置かれたことによります。そこで得た第一の「報い」、それは二人の伴侶(レアとラケル)でした。これは、彼が描いていた「人生設計図」を、台無しにする程の「報い」でした。しかし、このことを通して、彼は主なる神の取扱いの、絶妙な「タイミング(適切さ)」に、ようやく気付くことになります。


 第二の「報い」は、長期に渡るラバンの支配下から、逆に学んだ(知り得た)神の法則、特に家畜の群れの中に起きる、不思議な「繁殖リズム」でした。主なる神が定めた①「時(シ-ズン)」と、②雄と雌が交尾するタイミング、そして③雌が強い雄を上手に選び抜く、種の保存本能に秀でている仕草等を、じっくり(長年)見て取った彼は、ある時「主よ、もしかしたら祝福の法則とは、神の定めた時と、神が雌と雄をめと合わせる、そのタイミングが鍵となりますね!もし私がそれを逃したら、逆に主の祝福を取り逃すことにもなる!」と霊的に悟りました。


 ところがラバンは、サタンの「入れ知恵」により、ヤコブの管理する家畜から、目に見えて「肥え太ったブチと斑(まだら)種」を、全て自分の一族に移行した為、ヤコブに残ったのは、僅かの「貧弱な白色種」だけでした。その瞬間彼は、「あー、やられた!」とは思わず、逆に「主よ、あなた様の仕掛けた罠に、ラバンたちは引っ掛かりました。」と、「神の時」に賭ける決断をします。


 ある日の晩、彼は再び夢の中で「啓示」を授かりました。その中で聖霊様は、具体的な指示を与えました。「ヤコブよ、神の時が遂に来た!人の時は思うようには行かないが、神の時来たらば、必ずその通りになる。さー、私があなたに時々示していた、神の知恵を用いなさい!そうすれば、あなたの思う以上の祝福の実りが、あなたの飼う家畜たちに現れるであろう。彼らは、白色種からは白色種しか生まれない!と思っているから。」と。


 「神の時」と、神の「繁殖方法」に従った結果、時満ちてヤコブの家畜たちに、如何なる種が実りとして現れたのでしょうか?白色種の数を超える、超えたブチと斑(まだら)種が、次々と大繁殖していたのです。そしてラバンたちは、ヤコブが自分たちの家畜を盗んだのではないかと、全ての家畜の「焼印」を調べるのですが、ラバン一族の「焼印」の印した家畜は、当然皆無でした。


見えざる「神の事実」に勝機あり!
 さて、今回の記事から示される第二の奥儀は、私たちもヤコブのように、人間的な「取引」を祈りの中で捧げる、そんな「弱さ(愚かさ)」があります。しかしその結果、「この世」からの取引(巧妙な罠)も同時に受けてしまう、この危険性を知る必要があります。


 しかし覚えて下さい!だからこそ聖霊様は、そのような「弱い私(あなた)」に働きかけ、適切な「神の知恵」を授けて下さいます。「あなたは世の富に仕える者にあらず。見えざる神の永遠の事実の中に、滾々と湧き出る祝福の泉を見出しなさい!」と。


 ヤコブは、ラバンの長期に渡る「試練」を通して、「私は今まで、この神の事実(知恵)を知らなかった。主よ、人間的な祈りではなく、もう一度あなたの聖い御思いの中に、私の全てを置くことが出来ますよう、あなたが備えて下さる、脱出の時を教えて下さい!このままでいたら、私は祖父(アブラハム)と父(イサク)から続く、あなたの豊かな約束の祝福を継承することが出来ません!どうぞ、この弱い私を助けて下さい。」と、ようやく砕かれた姿勢で祈ることが出来ました。


 主なる神は、人間的な取引の祈りを、決して「良し!」とはされませんが、この時の彼の如くに、悔いた砕かれた姿勢で、信仰的な祈りの「生贄」をもって、神に願い出る者に対して、大いなる「啓示(神の知恵)」を与えて下さいます。


 ヤコブは父から、「見えざるものの中に、神の偉大なる祝福が隠されている。だからそれを見逃したら、私たちは約束のものを手にすることが出来ない!見えるものの中には、たとえそれが良きものに見えたとしても、偽りに満ちている。これを忘れてはならない!」と、ことわる度に教えられました。


 「この世」には、見える神(人が造った神)を信じる人々は多くいても、見えざる神(人を創造した主)を信じる人は、残念ながら私たちキリスト者だけです。そして目に見えない「神の事実」の中に、私たちは生きているのです。ヤコブは「神の知恵」を見出しました。そして見えてきた「神の事実」は、「神の圧倒的な偉大なる導きの中に、自分は常に守られ支えられている!」ことです。


 霊的に「弱い」私たちですが、そのような愚かな私たちを、主なる神は霊的な「イスラエル人」として選び召し出し、聖霊様の「助け」と「取扱い」により、確実に賢いキリストの花嫁へと仕立てて下さいます。


 どうか、父なる神の守りの「御手」が、常にあなたを力強く支えて下さいますように。また見えざる「神の事実」の中に、あなた自身の全てが覆われ、聖霊様の一つ一つの「啓示」により、日々前進することが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2020年2月23日のメッセ-ジ)


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