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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Good-Shepherd(No.6)

                         何故さまようのか?




アブラムが99歳になった時、主はアブラムに現れて言った。「・・・・私は、あなたとの間に契約を立て、あなたを益々増やすであろう。」・・・・「・・・・あなたは多くの国民(民族)の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。」
神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。・・・・私は彼女を祝福し、諸国民の母とする。・・・・」
                   【創世記17章1~5,15~19節】


「24年」と言う年月
 信仰面に関しては、「幼子」の如き私たちに対して、主なる神は様々に「信仰の扉」を開けて下さり、常に守り導いて下さいます。ご存知のように、羊は「群れ」として行動する動物です。ですから「一頭」で行動する場合、彼らは何も出来ない弱き(臆病な)存在です。ところが(私たちもそうですが)、自分勝手に行動したくなる性分があるのも、幼き子羊たちの特徴です。


 今回の記事に出て来る「アブラハム」の場合、彼は父なる神との最初の「出会いの時」が、75歳という前期高齢の時期(今の中年期)でした。その時に彼は、シケムの地にて神との「直接会談」、つまり顔と顔とを付き合せる程の、親密な「交わり(会話)」を為しました。


 その会談の席において、主なる神は彼に対して、彼に対する偉大なる「ご計画」を、約束(祝福)の保証として直々に伝授しました。即ちアブラハムの「子孫の繁栄」に関する契約です。そして今回の神との対話が、何と最初の「会談」から24年後の事でした。


 この「24年」という長き年月は、この時のアブラハムにとって、如何なる「時の経過」だったのでしょうか?この時の彼には、肉の子(イシュマエル)が存在しています。恐らく彼にとって、イシュマエルが神から授かった、「約束の子」と自負していたはずです。


 ところが主なる神の側においては、イシュマエルではなく、本来の神の「ご計画」に基づく真実の「約束」の実、つまりアブラハムとサラとの間に生まれる、「イサク」の誕生の時を用意しておられたのです。この時のアブラハムの最初の反応は、「何を今更・・・・」という、言わば「肉なる抵抗」から来るものでした。


 「24年」という長き年月は、実は私たちの信仰の歩みにも、時折生じるものです。「こんなに長く祈っているにも関わらず、(神は)一つも願いを聞いてくれない!」等と。私たちが「肉の判断」だけで、この「24年」のプロセスを経ますと、一応「信仰の門」はくぐっても、その到達点が必ず「不信仰の館」に入ることになります。


 このような不信仰に、陥りやすい私たちであっても、主なる神は決して怒らず、むしろそのような「肉の次元」に立入らないよう、様々に教え導いて下さいます。そうです!私たちは「人の時」に立つという、愚かさ(弱さ)が常にあります!


 私たちが「肉の判断」で測る「24年」は、「とてもじゃないが長過ぎる!」と思われますが、主なる神の側から見れば、不可能(不毛)と思われる領域の中に、実現可能な「祝福のフィ-ルド」を創造する!という働き場になるのです。ですからアブラハム夫婦の場合の「24年」は、主なる神にとっては、彼らを「じっくり見守り育てる期間」という、非常に寛容的な神の取扱いでもあります。


 親の「愛」の中には、我が子の成長を絶えず我慢できる程のもの、つまり「じっくり見守り育てる」ことの出来る、素晴らしい神の「本性(ご性質)」が与えられています。それ故に「待つ(我慢する)」のです。どうなるか知っているからです。


「新しい名」をもって祝福する
 「約束の子」を授けるには、「アブラム(人の付けた名)」ではなく、「アブラハム」という、神が命名する「新しい名」をもって完成する、これが「24年」後の今回の出来事でした。私たちも「新しい名」をもって、新しいキリスト者が完成されます。即ち「キリストの子」という霊的名称です。そうです!キリストにあって、私たちは自由な「神の子」なのです。


 アブラハムはこの時、「は-、アブラハム・・・・。多くの民族の源となる?」と、最初は首をかしげたかも知れません。それは「イシュマエル」から始まるのであれば、一つの民族の源に過ぎない!と、彼は当初考えていたからです。


 続いて主なる神が命じられた言葉の中に、彼の肉の判断を超えて働かれる、偉大なる神の「ご計画」が述べられています。それは「何故なら、あなたを多くの民族の父(源)とするからである!」、即ち「あなたが肉の判断で計画している、イシュマエル(一つの民族)から始まるのではなく、多くの民族の父祖とするのは、この私主だけである!」ことを、あえて彼に断言したのです。


 更に主なる神は、彼の妻に対しても「サライ」ではなく、「サラ(諸国民の母)」と呼ぶように、彼に命じられました。しかしこの時彼は、ひそかに笑ったのです。「もう(私たちの性的関係は)過去に終わった!」と思っていたからです。


 このように信仰的にさまよい、愚かな肉の判断で「自らの計画」を立てる、弱き不信仰な私たちに対して、主なる神は怒ること無く、さまよう一匹の子羊(私)を見出し、必ず元の霊的ポジションへと導いて下さいます。覚えて戴きたい「人の事実」は、アブラハムの人生を見るにつけ、それは彼の愚かしさを露呈する程、「(皮肉にも)笑える人生」である!という点です。


 しかし主なる神は、「24年」という長き年月をかけてでも、彼(アブラハム)を見出すべく、様々に働きかけたのです。つまり神にとっては、「24年」も自ら定めた時でした。そうです!神の「ご計画」を現すべく、偉大なる「アブラハム」が確立するために、「24年」が必要な期間だったのです。


 あなたにも、神による「新しい名」が付与されています。不自由な「肉の子」ではなく、神の聖霊によって導かれる、自由な「神の子」、即ち「キリストの子(弟妹)」という霊的名称です。あなたが時々さまようことはあっても、必ず「真理の道」へと見出され、信仰をもって前進し続けることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!


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