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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.21)

          試される「信仰の礎」




これを聞いたネブカドネザル王は怒りに燃え・・・・三人は王の前に引き出された。王は彼らに言った。「・・・・お前たちが私の神に仕えず、私の建てた金の像を拝まないというのは本当か。・・・・もし拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちを私の手から救い出す神があろうか。」・・・・(彼らは)王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことが出来ますし、必ず救って下さいます。
                    【ダニエル書3章13~17節】


「大迫害」が来た時に・・・・
 ダニエルの三人の友人の「霊」の、中心に堅く据えられた「信仰の礎」は、私たちの「霊」の中心にも、同様に聖霊様が堅く打ち立てて下さいます。特に今の「終わり」の時代にあっては、今回の記事の如き、大迫害が来たとしても、聖霊様は力強く励まして下さいます。「あなた方が戦う必要はない!たとえ彼らが、強大な権力(権威)と強引な手段を用いて、偶像(この世)に跪かせようと試みたとしても、決して①現実にたじろぐこと無く、②死を恐れること無く、また③先を気に病むことの無い程の、ぐらつかない堅い信仰の礎が、あなたの霊の只中に、既に築き上げられている!」と。


 ご存じのように、「今」世界中で奇妙な現象が起き始めました。世界中で「戦争」や「地震」などが、勃発し始めたことはもとより、例えば今まで持病も無い、元気だった人が突然「急死」したり、原因の特定できない「変死」を遂げるなど。ですから「今」は、霊的にも「特別警戒レベル」の時代に突入していると言えます。


 では今回の記事に見られる、ネブカドネザル王の絶対命令、即ち「金の像」を礼拝しない者は、直ちに死罪(火炙りの刑)とする!と宣告された時、私たちキリスト者は、どう行動すべきでしょうか?大抵の者は「ちょっと待って戴けますか?暫く考える猶予を下さい!」などと、慌てて王(世の君主たち)の「慈悲」にすがろうとします。


 しかしダニエルの三人の友人の場合は、「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。」(16節)と礼儀正しく、しかし大胆不敵な返答をしました。この言葉を直訳すると「偉大なる陛下!私たちは、自分自身の命を守ろうとは思いません。」となります。要するに、彼らは「王様、お好きなように!」と答えながら、何者にも膝を屈めない、つまり膝を屈めるべき対象が、唯一の神、創造主なる神である!ことを、敵の前で表明したのです。


 続いて彼らは、「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことが出来ますし、必ず救って下さいます。」(17節)と断言しました。そうです!彼らは「死」を恐れて、「王様、どうか助けて下さい!」とは言わず、「今」の状態から「私たちの神は必ず救って下さる!」と返答したのです。直訳しますと「燃え盛る炎に対して、私たちは王様の御力を頼むことで、死から救われようとは思いません。しかし神の御力と神ご自身は、私たちを必ず贖って下さいます!」となります。即ち「死」を超越する力を有している方は、最高権力者の王ではなく、唯一真の創造主、父なる神だけである!と、彼らは逆に宣戦布告したと言えます。


 彼らのこの告白こそが、「今」の終わりの時代に生きる、賢い「キリストの花嫁」の信仰姿勢につながります。「燃え盛る炎」は、三次元的な「恐怖」の世界を現わしています。サタンは常に、私たちの「現実」に恐怖をチラつかせます。如何なる恐怖ですか?真っ先に見せるものが、イエス・キリストと同様の「ひもじいだろう?」という恐怖です。


「恐れ」に勝利したイエス・キリストに倣う
 聖霊様は、何故イエス・キリストを、「荒野」という何も無いフィールドに、あえて導いたのでしょうか?それは40日間に渡る、「断食修行」という訓練を課す為ではありません。ダニエルの三人の友人に対して、霊的に取扱ったのと同様に、聖霊様はイエス・キリストの「霊」の中に、揺るぐことの無い、神の「御言葉」に立つ、全き「信仰の礎」を確立する為に、あえてサタンの試みる、「恐怖」のフィールドに導いたのです。


 サタンはイエス・キリストの、肉なる「飢え渇き」に、優しく囁きかけます。「あなたの語る言葉には、父上から賜った、素晴らしい創造の力が備わっているはずだ。だから、目の前に転がっている、パンの形に似た石ころに、一度試しに命じてごらん。石よ、パンになれ!と」


 しかしイエス・キリストは、サタンの投げかける「誘い」に乗りませんでした。私たちは「信仰の礎」を、何処に置くべきでしょうか?仮に「燃え盛る炎」を怖がっているのであれば、現実の恐怖におののき、何の準備もせずに、次第に眠りこけてしまう、愚かな乙女(世的に汚れた花嫁)に成り下がります。ですから、これからの「終末の時」において、この世と霊的に妥協(調和)することは、霊的な死を意味します。


 何者にも組せず、世に膝を屈めないキリスト者に対して、サタンは続いて「温情(人情)」という霊的餌を投げます。家族を大事に思う心、友人を大切にする優しさなど、私たちの魂的な領域にある、「温情」という痛い部分(心の動き)を突くのが、サタンの常套手段です、


「二つの剣」を用いなさい!
 この時に必要となる、二つの重要な神の「武器(霊的な剣)」を、結論として紹介します。サタンは羊のなりをして近付き、私たちの「情」に働きかけるでしょう。「人類愛」と「世界平和(協調)」を説きながら。しかし私たちは、騙されてはなりません!第一の剣は「あなた方の内におられる方(聖霊様)は、世にいる者(サタン)よりも強い!」(Ⅰヨハネ書4章4節)という御言葉です。そうです!私たちの霊におられる聖霊様は、汚れた霊どもを打ち負かし、常に勝利される「最高司令官」です。


 続いて第二の剣は「世に打ち勝つ者は誰か。イエス・キリストが神の子であると信じる私たちです。」(Ⅰヨハネ書5章5節)という御言葉です。ですから私たちは、この二つの霊的な剣をもって、大胆に告白しながら、霊的に戦い続けること、これを「信仰の礎」としましょう!


 私たちが「終わり」の時代にあって、先ず為すべきことは①「祈りの油」を絶やすこと無く、②「最後の戦い」に備えるべく、霊的な剣などの武具を、御言葉をもって常に研磨することです。いよいよ来たるべき時には、腰には剣を納めた鞘を付け、右手に鋤や鎌をもって収穫を刈り取る、そんなギデオン・ソルジャー、或いはネヘミヤ・ワーカーとして召し出されて行くのです。


 覚えて戴きたいことは、リバイバルの後に「艱難」が来るのではなく、リバイバルと同時に「大迫害」が起きることです。そういう意味で、私たちは聖霊様の為される、聖い「働き(促し、取扱い等)」に対して、敏感でありたいと思います。①直ぐに従うことの出来るスマートさを持ち、②怠ること無く霊に燃えて祈り、③御言葉を蓄え続け、④聖なる品性に磨かれること、これらが重要となります。


 聖霊様による、霊的な大変革(汚れが一掃され、聖なる状態が完成すること)が、一人一人に必ず臨まれる、そんな時代に突入しています!私たちは、聖霊様によって整えられた「聖い乙女」です。「聖い乙女」が携えるべき「正しい武器」とは、上記の二つの武器です!「最後の戦い」に臨むに当たり、この二つの武器を常に携え持ち、決して置き忘れることがありませんように!


 そうすれば、反キリストが提供する「666(刻印)」を提示された時にも、堂々と「私には必要ありません。」と、行政官の前で告白できる「キリストの証人」、その一人が「あなた(私)」でありますよう、主イエス・キリストの勝利の聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年7月9日のメッセ-ジ)


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