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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

終末のエクレシア(No.33)

        あなたが描く先のシーン




だから、あなた方は気を付けていなさい。一切のことを前もって言っておく。」「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、霊に乗って来るのを、人々は見る。その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
                               【マルコ福音書13章23~27節】


二つの「シナリオ」
 今の時代だからこそ、聖霊様が絶えず激しい「呻き」を伴って、私たちの為に執り成して下さり、盛んに警告して下さいます。「サタンに騙されてはなりません!自分の霊の中に、主イエス・キリスト以外のものを据えることが無きように。」と。至高者なる方は、ただお一人です。この唯一の神を、私たちは霊と真をもって礼拝するのです。私たちが「世」と妥協した「その時」から、私たちはサタン礼拝者となること、これを肝に銘じて下さい!


 先ず覚えて戴きたいことは、人類の創始時代から継続的に、二つの「シナリオ」が進行中である!という点です。一つ目はサタンによる「欺き(騙し戦略)のシナリオ」です。それに対して二つ目は、主なる神が預言書通りに進めておられる、聖霊様主導の「救い(贖い)のシナリオ」です。


 今回の記事の24~25節には、私たちの想像の域を超えた、「天変地異」の最たるシーンが描かれています。しかしこの預言は、サタンの「シナリオ」に従う、サタン礼拝者(暗闇側の勢力)に対する、「未来」の姿を描いているのです。彼らは何に希望を置いて、日々生きているのでしょうか?恐らく世的な「繁栄」と「快楽」を求めて、自己中心的な夢を描きながら、「肉の力」を頼みに生きているのです。


 それに対して、主なる神が意図する「シナリオ」は、私たちに対して必ず、生きる「意味付け(真理)」を示し、最終的に行き着くゴール、つまり「最大のフィナーレ」のシーンを、「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、霊に乗って来るのを、人々は見る。その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(26~27節)として描写しています。そうです!イエス・キリストの「来臨」の時に、最上の喜びをもってお会いすること、これが私たちキリスト者に対する、神の最大のシナリオです。


だから、気を付けていなさい!
 私たちがイエス・キリストを信じる、その目的(ゴール)を常に意識し、その信仰により生かされていること、これを確かなもの(唯一の道)として、私たちが確実に見定めなければ、私たちもサタンの「シナリオ」に騙されることになります。それ故イエス・キリストは、私たちに対して「気を付けていなさい」(23節)と、「終末の時代」における、八番目の霊的「備え」を示されるのです。


 この「気を付けていなさい」とは、「あなた自らが、しっかりと立つべき所に立ち、絶えず見張り続けなさい!」という意味です。覚えて戴きたいことは、敵(サタン)は吠え猛る獅子の如くに来るとは限りません。小賢しい狐の如くに、私たちの霊(葡萄園)に侵入するのです。しかし聖霊様を通して、ギデオンの五百人の勇士の如くに、私たちが霊的武具を身に付ける時、絶えず「気を付けて」戦いに臨むことが出来ます!


 ところで私たちが普段思い描く、「先」に対するシーンの中に、モーセの兄アロンが騙され造った、「金の子牛像」がありませんか?私たちが過ごす「一週間」の中に、イエス・キリストを思い描く以上に、「先(将来、明日)」に対して、様々な「不安」や「恐れ」を描く時、それがいつしか「金の子牛像」になり、金銭(マモン)をあれこれと思い描くようになるのです!


 しかし聖霊様は、厳しく注意勧告を発します。「あなたの先を行かれる方、イエス・キリストを追い求めなさい!イエス・キリストは常に、あなたを勝利から勝利へと導き、あなたに必要な今日の糧を、全てを用意し与えて下さいます。」と。私たちは決して、金銭(マモン)を追い求める余りに、霊的に膝まずいている訳ではありませんが、私たちの意識レベル、そして信仰レベルの中に、「明日の仕事、明日の給料、老後の生活の為に・・・・」などのシーンを描く時、聖霊様は注意喚起します。「そこから様々な狐が、こっそりと侵入しますよ!」と。


 このように私たちが、「先」に対する描き方如何によっては、「敵」の侵入を簡単に許してしまう可能性があります。今の日本人はどうでしょうか?「お金さえあれば何とかなる!」、「お金が全ての幸せの基本である!」などと、肉の欲を駆り立てながら、拝金主義に傾倒して行く人が増加しています。サタンは「拝金主義」の言葉をもって、日本人に接近しているのではありません。とにかくサタンは、先に対する「恐れ」や「不安」を描かせることで、最終的にサタンの前に、跪くことを目論んで来るのです。


 「拝金主義」が蔓延る、今の最大の危機の時に、私たちが正しく描くべきシーンは、イエス・キリストの「栄光の訪れ」です。イエス・キリストが、間もなく来臨される時に当たり、私たちはイエス・キリストにある、「確信」と「希望」に満ちた誇りを、確実に描き続けましょう!私たちは、聖霊様の主導のもと、身を慎んで警戒意識を怠ってはなりません。敵の侵入に対して、互いに「霊」を見張り続けましょう!仮に侵入していることがあるのであれば、イエス・キリストの御名によって、直ちに追い出して戴きましょう!


イエス・キリストの「栄光」のシーン
 私たちが「先」に対して描くシーンが、イエス・キリストではなく、「別のモノ」を描いているのであれば、直ちにイエス・キリストの十字架の身元に行き、イエス・キリストの「血潮」を仰ぎ求めて下さい!そうすれば、イエス・キリストにある「平安」が、あなたの霊の只中に満ち溢れ、正しい「聖なるシーン」が、上より必ず注がれます。


私たちの主イエス・キリストが再び来られる時まで、落ち度無く、非難され無いように、この掟を守りなさい。神は、定められた時にキリストを現して下さいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、誰一人見たことが無く、見ることの出来ない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、私たちに全てのものを豊かに与えて楽しませて下さる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分の為に堅固な基礎を築くようにと。
                         【Ⅰテモテ書6章14~19節】



 パウロは明言します。「未来に備えて、(賢い花嫁として)自分の為に堅固な基礎を築く」ことが、私たちの為すべき信仰行動である!と。私たちが信仰の基礎を、何処にしっかりと置くべきか、それが問われている時代に突入しています。花婿なる主イエス・キリストは、真の花嫁を迎えに来るため、いよいよ来臨の時に備えているからです。


 私たちが「しみ」も「傷」も「汚れ」の無い、美しく整えられた麗しい花嫁として、また神の「聖さ」に満ち溢れた者として、常に神の武具を身に着けた兵士として、いよいよ最後の霊的「戦い」に馳せ参じる、「終末の時代」にあって、どうぞ最高司令官なる聖霊様の主導のもと、常に「気を付けて」、霊的警戒心を怠らないようにしましょう!


 どうぞあなたが、花婿なるイエス・キリストとの、親しい「交わり」のみを追い求めることが出来ますように!また聖霊様が、霊的飢え渇きを更に増し加えて下さいますように!また「確信」と「希望」に満ちた、イエス・キリストにある「シーン」を、常に描きながら前進できますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年10月9日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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