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Terminal Faith(No.13)

「終末の時」に問われるキリスト者の品格




さて、ネブカドネザル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点が無く、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデヤ人の言葉と文書を学ばせた。
                                            【ダニエル書1章3~4節】



五つの「品格」
 「死」を前提とした迫害は、「終末の時」には更に激しく、次々と襲来します。そうです!私たちキリスト者は、決して他人事では無い、霊的戦いの中に駆り出されて行きます。「その時」に、主なる神が備えて下さる、麗しい品格を備えていなければ、世的な権威を恐れる余りに、逆に「世の君」に膝を屈める可能性があります。それ故に私たちは、ダニエル及び彼の三人の友人が、如何なる優れた品格を、霊的に備えつつ持ち併せていたのか、この点に関して聖霊様から、教えられる必要があります。


 創造主なる神の「ご計画」が、いよいよ「完成の時」に至りつつある中、悪魔サタンは必死になって、「終末の時」を早める演出(霊的陰謀)を、世界各地で展開しています。それと同時にサタンは、神の「ご計画」に従うキリスト者を、徹底的に弾圧して滅亡させるか、逆に自らの前に膝を屈めるよう、「恐れ」と「不安」の大波を起こしています。


 しかしステパノの場合、彼は使徒行伝のリバイバル時代において、①いきなり敵前に現れて、②大胆にキリストの「福音」を語り、結果的に③迫害者の手によって殺されました。その時の彼の顔の表情は、「さながら天使の顔のよう」(使徒行伝6章15節)でした。それは苦痛に満ちた顔ではなく、まるで目の前に神がおられ、その麗しい御顔の輝きを見る顔でした。


 ダニエル及び彼の三人の友人に、天より備えられた品格は、五つあります。バビロン帝国のネブカドネザル王は、帝国を安定的に長く統治するに当たり、カルデヤ人以外から、即ち被支配民族の中からも、エリートを養成して登用することにしました。特に第一次バビロン捕囚で、強制移住させられたヘブライ人の中に、英知に富んだ優秀な若者が多いことを、侍従たちから事前に知らさせていました。


 そこでネブカドネザル王は、あらゆる民族から若者たちを選抜し、しばらくの間「アカデミー」で訓練(教育)させることにしました。この時の「選抜基準」が、実は五つの品格でした。先ず第一の品格基準は、①ハンサムであること。これは顔立ちが美しく、優れた表情を有していることではなく、如何なる状態にあっても、一切変わることの無い、堂々とした風格(信仰姿勢)です。


 次に第二の品格基準は、②インテリジェント(聡明)であること。これは判断力において、神が与えて下さる知恵をもって聡明に判断(理解)することです。つまり神の奥深い次元から、全ての物事を捉えながら、神の次元の中に解決方法(答え)を見出すことです。


 続いて第三の品格基準は、ヘブライ民族が幼少の頃より訓練されてきた、③神の言葉(トーラ)を暗唱することです。彼らは成人に達するまでに、膨大な神の言葉の情報を、徹底的に頭脳に埋め込み、それらがいつでも引き出せるように、実生活の中で使用(活用)します。神が整えた「命の言葉」に立つ(寄り頼む)べく、彼らは霊的に躾けられたと言えます。


 そして第四の品格基準は、侍従長が与える様々な難問に対して、彼らは④瞬時に理解し、そして明確な回答(知恵)を提供することです。しかも彼らの回答は、全てが同じ神の「知恵」から来るものでした。最後の第五の品格基準は、➄身体的に欠陥の無い、優れた健康面を備えていることです。これはローマ書8章にも通じることですが、身体的な面ばかりでなく、霊的な面においても、自分自身が神に捧げられる、生きた「生贄」として、欠陥無きもの(無傷で汚れが一切無い聖なる器)であることです。


 私たちの体は、神が住まわれる「神の宮」です。そしてイエス・キリストが、私たちの「霊」の只中を、ご自分の住処として住まわれた時から、私たちはイエス・キリストに似る者として、全ての面で成長して行くのです。そして、イエス・キリストに似る過程の中に、イエス・キリストが望まれる、麗しい品格があるのです!そしてこの麗しい品格は、最終的には「キリストの花嫁」に繋がります。


 そうです!たとえ「現実」がどうであれ、神が私たちに与えて下さる、この麗しい天上の品格は、常に①堂々とした信仰姿勢で生き、②如何なる者にも屈しない、また③如何なる人間的知恵に頼らない、更に④聖く、汚れの無い、純真な乙女として、➄聖霊様の仕上げとも言うべき、健全なる「体(神の宮)」に造り変えられるのです。


 覚えて下さい!サタンは私たちの霊的品格を、世的な「汚れ」の方へと誘導し、様々に世的な事柄を魅了させ、ことごとく貶めるべく働いています。ですから私たちは、決して「この世」と妥協してはなりません!それはウィルスの如くに、一度「霊」の中に侵入(感染)しますと、健康面を全面的に損なう如くに、「体(神の宮)」全体を破壊し尽くすからです。


聖霊様による「最終訓練」の時
 裁き主なる神は、最終的に私たちキリスト者を、「携挙」の直前に選抜します。その時に聖霊様が、最高審査役として選考結果を提出します。「えーと、この者は四つの品格基準には合格しましたが、最後の品格には至りませんでした。安息の掟に合致しない傷(汚れ)が一点ありましたので、残念ながら不合格です!」と。実は「今の時代」が、聖霊様による最終的な、第五の品格基準を見定める、私たちキリスト者にとって、非常に重要な霊的訓練(備え)の時です!


 終末のエクレシアが、霊的に「シミ」も「傷」も一切無い、麗しい「キリストの花嫁」となること、これをイエス・キリスト(真の花婿)は、熱情の愛をもって待望しています!私たちが今後、体験して行くであろう、様々な霊的「戦い」において、サタンは必ず「この世」の方向に、私たちを妥協させる(調子を合せる)べく、「別の実(繁栄と祝福)」を提供することでしょう。


 最終的に私たちは、ステパノが体験した如くに、いずれ世の権威の前に立たされ、キリストと同様の「死のカード」受け取るのか、それとも「666カード」を受け取り、世的なマモン像に膝を屈めて生きるのか?その究極の選択を迫られる、そんな時代に生きているのです。聖霊様は、今も尚必死に働いて下さり、私たちが第五の品格基準に沿うよう、執り成しつつ「訓練(聖め)の時」を提供しています。この聖霊様の働きに対して、私たちは喜んで従って参りましょう!


しかし私たちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、傷や汚れが何一つ無く、平和に過ごしていると神に認めて戴けるように励みなさい。【Ⅱペテロ書3章13~14節】


 「励みなさい」とは、聖霊様が各自に対して、直々命じている最終科目です。私たちはいずれ来たる「大迫害」の時に、身が震える弱さを覚えますが、その後に来る「完成の時」に、必ず神の御前に立たされ、イエス・キリストと再会します。そして遂に始まります。それは「新しい天」と「新しい地」を、私たちが相続する、最大の「喜びの時」の始まりです。


 イエス・キリストは、一切の「罪」と「汚れ(傷)」が無い、純真無垢な「小羊」として、十字架上にて屠られました。このイエス・キリストの「救い」を、霊的に身にまとった私たちが、聖霊様を通して更に聖められ、自分自身が生きた、聖なる「生贄」として、この時代に訓練され、美しく整えられて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年4月2日のメッセ-ジ)


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