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終末のエクレシア(No.31)

「神の時」を求め、祈りに専念しなさい!




屋上にいる者は下に降りてはならない。・・・・畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。このことが冬に起こらないように、祈りなさい。それらの日には、神が天地を創られた創造の初めから今までなく、今後も決してない程の苦難が来るからである。主がその期間を縮めて下さらなければ、誰一人として救われない。しかし、主はご自分のものとして選んだ人たちの為に、その期間を縮めて下さったのである。
                             【マルコ福音書13章15~20節】


三種類の人々の「危険性」
 私たちが為すべき、本来の霊的優先事項を忘れて、自分の事ばかりに専念していますと、大事なことを見失う危険性があります。そうなると、如何なる事態に陥るのでしょうか?ロトの妻の如くに、気付かない内に「塩の柱(塊)」、つまり世で「身動き取れない状態」になり、結局は滅び果てるだけです。


 今回の記事において、イエス・キリストが示した三種類の人々は、それぞれに「自分の時」を思って(優先して)、自分(及び家族)の事ばかりに専念しました。まさしく今の日本の霊的状態を指しています!「神の時」が、いつ来ている(如何なる段階にある)のか、殆どの人が無関心です。その「心理」の底にあるのは、自分中心に「人の時」を刻むことであり、彼らは盲目的に「自分の事」に専念しています。


 イエス・キリストが示される、第一の種類の人々は「屋内(家の中)に居る者」であり、第二の種類の人々は「屋外(畑)に居る者」です。双方に注意すべきポイントは、「(その場から)動いてはならない!」という点です。人は突然に起きる、何らかの不測の事態の時には、必ずと言って良い程、動揺してしまって、その場から何かを取りに(見に)行ったりするなど、ついつい「動く」心理が働きます。しかし動いた時点で、即「終わり」です。


 このように人は、とんでもない事態が目前に起こり始めた時、殆どの人が動く訳ですが、動いたら更なる大惨事に巻き込まれるなど、非常に危険極まる異常心理が働くからです。これは霊的な面においても同様で、私たちが「時」というものを、「自分のもの」として使用していますと、必ず「自分中心」的な思考、及び行動しか出来ませんので、必ず「自分の時」を、再び確立しようと動いて(模索して)しまうのです。


 しかし聖霊様は、そのような私たちに厳しく叱咤します。「あなたは神の時を見失っている。神の時が人の時を超えて、余りある次元の中で全てを支配し、あなたが行くにも帰るにも、また太陽の光の下で歩く時も、月の光の下で一夜を過ごす時にも、神の絶えざる恵みが、あなたを導いているのです。あなたはそれを忘れている。」と。そうです!私たちは「神の時」を、決して見失って(忘れて)はなりません!


 次に示される、第三の種類の人々は「身重の女性」、及び「幼子を育てる母親」です。彼女たちの役目(務め)は、母親として間違ってはいませんが、優先事項が「神の時」よりも、「子供」の為や「家族」の為など、「母親の時」を先に置こうとするため、どうしても魂的「弱さ」に左右されます。その結果、主なる神が緊急に示されるサインを、霊的に見逃す危険性があります。


 これはある面で、イエス・キリストが別の「喩え」で示された、主人の帰りを待つ二種類の乙女に似通っています。反キリストが登場して来る時には、サタンは必ず「キリストの花嫁」を探して、彼女たちに「刃」を向けて攻撃して来ます。そして脅すのです。「子供を守りたいのであれば、666認証コードを受け取りなさい!そうすれば、子供にひもじい思いをさせること無い程の、十分な食糧を提供しますよ。」と。


「冬」の時に備えよ! 
 さてイエス・キリストは、「このことが冬に起こらないように、祈りなさい。」(18節)と、私たちにアドバイスを投げかけていますが、この場合の「冬」とは、「喩え」として分かり易い言葉です。「冬」の季節は、イメージ的に「大雪」や「道路凍結」など、生活面に大打撃を与える程、強力な危機のシーズンです。そのような危機的事態が、「大患難時代」には、想定を超える巨大な大惨事となって、頻繁に現れ出始めます。


 「大患難時代」は全ての人類にとって、血眼になる程「安定(春の時)」を捜し求めるなど、生きていくこと自体が、激しい「苦痛」を伴う「冬の時」となります。ではその苦難の時から、私たちは逃れることが出来るのでしょうか?創造主なる神が、自然界の中に「四つの時(四季)」を定めた理由は、「春の時」が始まりであり、「冬の時」は終わりを教える(告げ知らせる)為です。「冬」は、神から見て「完成の時」です。


 しかし全ての者が、主なる神が用意される、素晴らしい「新天地」にあずかる訳でありません。父なる神の「戒め(教え)」を忠実に守り、御子イエス・キリストによる、十字架の「福音」を信じる者だけが、無代価で「永遠の命」を与えられ、「新天地」に入る(住む)資格証を得るのです。


 ソドムとゴモラの「裁き(終わり)」の徴しは、今の時代も更に激しい「現れ」となって、創造主は用意しています。「救われる者」と「滅ぼされる者」を、霊的に淘汰する(選り分ける)為にです。しかし心配しないで下さい!「その時」が来る前に、必ず「使者」なる方、即ち聖霊様が遣わされ、「救い」の手順(脱出の道)を、事前に教え示して下さいます。またアブラハムの「祈り」の如くに、「その時(秋の収穫時)」が延ばされるよう、聖霊様は盛んに執り成して下さっています。「今は恵みの時、救いの時!」と。


 私たちキリスト者が為すべきことは、「賢い乙女」の如くに、①決して慌てふためること無く、霊的な「冬の時代」にあっても、ひたすら②「神の時」、即ち神の「救い(贖い)」を求めて祈り続けることです。「主よ、あなた様の滅びの時を、今は未だ保留して下さい!出来るだけ私たちは、あなた様から戴いた、この素晴らしい救いの恵みを、世界中の隅々にまで届けたいからです!届け終えるまで、しばらくの間お待ち下さい!」と。


 「大患難」の時が到来することは、紛れも無い事実です。しかし覚えて下さい!主なる神が「全て」の事を相働かせて、私たちキリスト者に「益(神の恵み)」を、事前に用意して下さいます。それ故に私たちは、「昨日」も「今日」も変わること無く、「明日」に向かって感謝しながら、日々の恵み(糧)を戴きながら前進しましょう。


 どうぞ、あなたの「霊の眼」と「霊の耳」、そして「霊の唇」が、更に聖霊様を通して研ぎ澄まされ、あなたの信仰が「神の国」を激しく求める、より高い次元の中で聖められて参りますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年10月2日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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