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Terminal Faith(No.11)

        数字という「欺きの罠」




主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった。主は、「イスラエルとユダの人口を数えよ」とダビデを誘われた。
                                       【Ⅱサムエル記24章1~4節】


・レビ族のみは、イスラエルの人々と共に登録したり、その人口調査をしたりしてはならな
 い。
・レビ人は掟の幕屋の周囲に宿営し、怒りがイスラエルの人々の共同体に臨まないように、

 掟の幕屋の警護の任に当たらねばならない。
                                       【民数記1章49,53節】


「数字」に仕掛けられた罠
 実は「数字」そのものは、決して悪いものではありません。しかし私たちが、ある「数字」を見て、どのように思考するのか、これが問題になります。数字を、信仰的に「良きもの」として捉える者は、神が意図して下さる、例えば「」や「」を霊的に優先します。


 しかし現実の私たちは、この数字の概念に、「プラス」や「マイナス」という、二元論的解釈(判断)を付加する為、「プラス」を善、「マイナス」を悪と見なしてしまうなど、非常に不安定な思考の次元に陥ります。これが数字の「トリック(欺きの罠)」であり、サタンが私たちを支配するべく、最速の仕掛けとなります。


 では私たちが、サタンの「数字」による支配(虜)から、完全に贖われるには、どうすべきでしょうか?「そんなの簡単ですよ!数字のことを意識しなければ良いですよ。」と、殆どの人が安易に答えるでしょうが、人は「考えなくてもよいことを、ついつい考えてしまう」存在です。単純なことを、複雑に考えてしまう、「罪」の性質があるからです。「神は人間をまっすぐ(simple)に造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる・・・・」(伝道者の書7章29節)


 信仰的にシンプルに考える者は、神が全ての事を相働かせて、たとえ目前の状況がどうであれ、必ず「益(神のプラス)」として下さる!と捉えます。神のプラスは、常に「無」から「有」を産み出すなど、無限の「神の力」をベースとしているからです。正しい信仰者は、この神の「無」の次元に生きる為、只一つの「有」、即ち「永遠の光」なる、御子イエス・キリストの中に、自分自身の存在価値を見出します。


 そうです!私たちは本来、「命の光」を帯びる者として、母親の「胎」の中に宿り、そして聖なる者となりました。では何故、私たちの思考は霊的に汚されるのでしょうか?サタンが盛んに、私たちの「思考(意識)」の中に、悪しき「パン種」を蒔いているからです。特に「数字」は、私たちが切っても切れない程、非常に危険極まる「欺き」のパン種です。


 今回ダビデ王に仕掛けられた「罠」は、前回(バテシバ事件)の「罠」と違って、「高き所」に行っていませんが、この時もダビデは、「やれやれ・・・・」と思考するなど、霊的隙間(油断)が生じたことが伺えます。ここ(彼の油断)にサタンは、悪しき「パン種」を蒔くのです。イスラエル軍は敵(ペリシテ人)との戦いに、連日「勝利」しているにも関わらず、何故ダビデは人口調査を計画し、実行しようとしたのでしょうか?


カウントする危険性
 主なる神にとって、ご自身が意図して創造したものは、全てが「聖」であることで初めて、「完成(結実)」に至る次元にあります。ですから神にとって、「汚れたもの」は一切妥協できません。むしろ「怒り」を発せられます。例えば私たちは、主日礼拝に関して言えば、「いつも出席しているから、今日ぐらいは休んでも良いのでは?」、また「ちゃんと献金しているし・・・・」、「毎日賛美や祈りを捧げているから、今日は少し遅れても大丈夫!」などと、様々な「解釈(判断、思考)」をしますが、これが霊的にカウントすることです。しかし主なる神は、この種の浅はかな思考を、「汚れ」として忌み嫌われます!


 今回重要となる霊的キーワードは、カウントする(数える)ことです。イスラエル軍が遂に終戦に至り、いよいよ国家的「平和(安定)」が到来した、まさに「その時」が、サタンの仕掛けた「罠」に陥りやすい、最高レベルの危険な時である!こと、これを是非肝に銘じて下さい。


 恐らくダビデ王は、戦後処理(精算)ということで、自軍の「兵力」の残存能力(規模)を、けじめとして知りたかったのでしょう。しかし「ここ」に、彼は「マイナス思考(パン種)」を、サタンからもらい受け、「今の兵力は、どれ位にまで下がったのだろうか?新たに立て直す為にも、早く実数を知らなければ・・・・」などと、カウントすることに焦り始めたのです。


 前述したように、「数字」自体は悪しきものではありません。しかし注意しなければなりません!その「数字」を見て、あれこれとカウントし始めた時に、サタンが「欺きの罠」を用意するからです。未だ来ていない、将来の「見えざる事実」に対して、「不安」や「恐れ」を抱く(カウントする)ことが、思考が縛られた状態、つまり「世」の奴隷と化しているからです。


 ところで「レビ人」は何故、人口調査を禁じられているのでしょうか?彼らは、主なる神が定めた「職務」にのみ就くなど、特別に選ばれ任じられているからです。また彼らは他の部族と違って、カナンの一部の領地を得ることが禁じられました。その理由が、「創造主なる神ご自身が、彼らの嗣業の地であるから」という、誰もが理解(納得)し難いものでした。つまり神にとって、彼らの存在自体が、神の「祝福」の源(パイプ役)であり、彼ら自身からは一切の、人間的カウントを禁じています。


 そういう意味で私たちキリスト者も、神ご自身を自分の「家宝(財)」とし、主なる神だけが「祝福」の源である!が故に、「キリストの家族」として、次(先)の「繁栄」や「拡大」を、人間的に目論む(カウントする)必要はありません。神ご自身が責任を持って、私たちのことを養って下さるからです。


 レビ人が命じられた主要な「職務」は、幕屋の警護でした。何故彼ら(弱小部族)だけが、幕屋を警護したのでしょうか?他の12部族が守り囲んでいるから、幕屋はいつも大丈夫?ではなかったのです。覚えて戴きたいことは、「敵」という存在は、見える勢力(ペリシテ人、アンモン人など)だけではありません。12部族の中にある、精神的かつ霊的な領域に、見えない形となって蔓延する、悪しき「汚れ」など、これらの侵入を防御するのが、レビ人の「警護(ガード)」という聖なる務めです。


 さてダビデは何故、「数字」のカウントという、「欺きの罠」に陥ったのでしょうか?サタンは私たちを騙すべく、様々に霊的な「罠(トリック)」を仕掛ける際に、四つのプロセスがあります。先ず①神から別のモノへと見せます。次に②見せたことで「偽りの情報」を、その人の「霊」に流します。特に「数字」を使って、偽りの情報をもって、私たちの「思考」に付け込みます。その結果③不安の次元に貶めることで、最終的に④全てを奪い取ります。サタンは私たちの「霊」の只中から、イエス・キリストという、「真実の光」を奪い取り、そして「偽りの光」をもって、全ての人の「霊」を支配します。


イエス・キリストにある勝利をカウントする!
 では如何にして、数字という「欺きの罠」から、私たちは勝利できるのでしょうか?「イエスは再び言われた。『私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』」(ヨハネ福音書8章12節)イエス・キリストのこの御言葉には、数字に関する事柄や、カウントする行動概念は、全く言及されていませんが、一つだけ重要なポイントが示されています。それは「命の光」と「暗闇」の関係に関することです。


 イエス・キリストは、ご自分の霊的な働き(霊的身分)として、「世の光」と喩えました。つまり全ての人々を照らす「光」であり、彼らに希望を与えるべく、「正しい道」へと導く、「真実の光」の如き存在である!と。それに対して悪魔サタンは、人々に様々な霊的トリックを用いて、「暗闇」の中を盲人の如くに、黙々と歩ませる悪しき存在です。経済的不安、不信仰から来る「疑い(マイナス思考)」など、それら全てがサタンによる数字の「罠」です。


 しかし「暗闇」の中に、永遠に灯し続ける「真実の光」が放たれると、私たちの一歩先に、その光の道筋(光明)が見えてきます。まさに「その時」から、イエス・キリストが暗闇を照らす、「世の光」である!と分かるのです。それ故に聖霊様は、私たちに叱咤します。「命の光なる、イエス・キリストに飢え渇いて従って来る者は、神ご自身を嗣業の地として、信仰をもって受け取りなさい!」と。


 私たちの「霊」は、父なる神が住まわれる、聖なる「幕屋(至聖所)」です。私たちの「幕屋」を警護して下さる、聖霊様が強く命じていることは、「真実の光が消し去られることが無きよう、サタンの偽りの光の侵入に、常に警戒の念を怠るべからず!」です。これは、私たちの常なる「戦い」です。ダビデは「戦い」が終焉を迎える頃に、「警戒の念」を解き油断しました。しかし私たちの霊的戦いは、今も尚継続しています。そしてこの戦いは、イエス・キリストの来臨の時まで、決して終わることがありません。


 是非、これからは信仰の賜物を用いて、たとえ「暗闇の時代」にあっても、「良きカウント」を打ち鳴らして参りましょう!父なる神は、あなたの「命」を生かし、食べるにも着るにも、住むにも困ることの無き、天の「祝福」をもって、いつも満たして下さいます。


 私たちが数えるべき次元は、「神ご自身が私たちの嗣業である!」という、霊の次元(領域)にある神の「恵み」です!私たちは「神の国」の経済で、霊的に打ち立てられた「祭司」として、神から直々に召し出されていることを、常に覚えようではありませんか。


 「この世」の中で、霊的に縛られた人々が、サタンの「奴隷」と化し、益々増加する中にあっても、私たちは「神の国」の次元に生きる、真の「自由人」として、世に遣わされる「神の光」を帯びた者です。あなたが更に「神の次元」を数えながら、偉大なる神の「働き人」として、更に召し出されて参りますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年3月19日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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