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命と心の健やかなる成長のために!
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私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.10)

        「欺き」の罠に立入るな!




ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。・・・・ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それは・・・・バテシバで・・・・ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ・・・・床を共にした。
                                        【Ⅱサムエル記11章2~4節】


サタンの「罠」に警戒せよ!
 実はサタンは、様々な「惑わし」をもって、霊的な「罠」を仕掛けていますが、私たちは気付かぬうちに、その「罠」の領域に立入っていることがあります。それと同時に私たちは、イエス・キリストの「救い」の御業を通して、十字架の「血潮」のサイン、即ち永遠の「贖い」を保証する、「聖なる衣」を着せられていますが、それでもサタンの危険領域に、知らず知らず踏み込むことがあります。だからこそ、聖霊様は常に警告します。「サタンをなめてはなりません!彼は羊の衣を着たり、神の天使を装って(元々天使でしたから・・・・)、聖なる者を騙して、欺くことを常としているからです。最初の罠にはまった、エバの失敗の教訓から学びなさい!」と。


 今回の記事に登場するダビデ王は、主なる神を愛することにおいて、最高の品性を持ち併せた、偉大なる霊的「器(雛型)」です。その彼が何故、今回の如き愚かな罪の「罠」に陥ったのでしょうか?ダビデの「スキャンダル隠蔽事件」は、実は霊的には他人事ではありません。私たちキリスト者にも起こり得る、悪魔サタンの「欺き」の罠です。


 そうです!私たちは「終末の時代」にあって、決して油断してはなりません!「世」の中において、様々な悪しき出来事が、連続して起きて来ると、私たちの眼は霊的に麻痺して、「悪しき次元」に慣れてしまう可能性があります。「その時」にサタンは、私たちの「霊」に付け込んで来るのです。


ダビデの油断
 今回の事件の歴史的背景は、長年に渡る敵ペリシテ人との紛争が、いよいよ終結に至る、つまり「混乱」から「安定」の兆しが見えて来た、平和な時代の到来です。外周付近の紛争は継続中ですが、ダビデ王自らが、陣頭指揮を取ることは殆ど無くなりました。イスラエル民族が、いよいよ強力な国家体制を持つ、そんな時にサタンが、ダビデに対して「罠」を仕掛けたのです。


 ダビデ王は何故、この時「王宮」の屋上に行ったのでしょうか?正確な理由は分かりませんが、午後の睡眠(休息の時)を終え、天気が非常に良くて、たまたま屋上に行ったのかも知れません。本来であるならば、彼は霊的には「祭司」の器ですから、その時に跪きながら「主よ、あなたの守りが無ければ、この国の平安はありません。今も尚、最前線にてイスラエルの兵士達が、敵との戦いを続けております。彼らを守り導き、あなたの勝利の中にかくまって下さい。」と、謙虚に祈るべきところを、彼の眼に「たまたま」、サタンの「欺き」が侵入して来ました。


 サタンは知っていました。ダビデの「霊」の中にある、霊的な「驕り(慢心)」が芽生えつつある!ことを。彼は自分の「肉の力」によって、イスラエルが安定し始めた!などとは、思っていませんでした。しかし「あー、もうこれで、いよいよ大丈夫だ。安心できる・・・・」などの、一瞬の「気」の緩みが生じた時に、サタンは彼の「驕り(慢心)」をキャッチしたのです。


 本来であるなら、ダビデは王宮にて「主よ、私は再び、あなたの御前に座します。どうぞ私たちの歩みを、確実に完成して下さるのは主よ、あなたですから、私たちの歩みに誤りが無きよう、どうぞ点検して下さい。」と、天に居ます創造主を見上げて、真剣に祈るべきところを、彼はこの時、屋上から「下」を見下ろし、次のように思ったのではないでしょうか。「いゃーエルサレムも、遂に平和になった。皆、平和を喜んでいるだろうか?」などと。これは、ちょっとした気(思い)の「緩み」です。


サタンの「罠」―五つの仕掛け―
 その瞬間サタンが、彼の眼をある「一点」に導きました。聖書は、その時の彼の様子を、明確に記しています。「目に留めた」(2節)と。これは気の緩みによる、「たまたま」の出来事でした。今回の記事から示される、第一の重要ポイントは、神の聖なる「油注ぎ」を、最大限に享受したダビデの「最大の罪」は、実は私たちに対しても、同様の手口(霊的な罠)をもって、サタンが巧妙に仕掛けていることを、常に危機意識をもって防御する(戦う)ことです。


 サタンの手口(罠の手順)には、五つのステップ(仕掛け)があります。前提として、いきなり罠を仕掛けることはしません。先ず第一のステップとして、①私たちを「高き所(ポジション)」に連れて行きます。私たちの「霊」の中にも、実は「高き所」があります。例えば肉の「思い」で、経済的「安定」を求めるなど、金銭感覚を高く設定することがあります。同様に霊的な面において、私たちが神を求めれば求める程、私たちは神の麗しい次元へと、更に聖められて行きますが、その時にサタンが唆すのです。「あなたが更に神の御心を知り、神の御業を多くの人に伝えるには、奇跡を起こす程の偉大なる力と、優れた賜物を神に要求しなさい。そうすれば神は、喜んであなたに必要なものを与え、あなたを偉大なる器として、大いに用いるでしょう。」と。


 それに対してイエス・キリストは、私たちに対して常に「神の御前に座して、いつもヘリ下さりなさい!」と、霊的に「低い所」へと導かれます。次に第二のステップは、②全てのものが目に映る(入る)場所へと誘います。「高き所」は、必ず「全て」を見下ろせる位置にあります。それを見た瞬間に、人はどう思うのでしょうか?思わず「すごい!」と言います。それは決して「偉大なる神の創造は麗しく、神の平和があるからこそ、全てがすごい!」などの次元には無く、むしろ三次元レベルの驚嘆、つまり「人の住む世界は何と力強く、栄光に富んだ素晴らしい場所か!」という自己満足(慢心)です。


 だからこそダビデの失敗、つまり第三のステップである③目に留まった(ある一点に集中して魅かれた)ものを、必ず手に取る(入れる)よう仕向けることです。彼は神の聖なる「品性(麗しさ)」と、神の厳格な「掟(教え)」を忘れる程の、この世の「美(バテシバ)」に囚われました。その結果、彼の肉なる「欲望」の中に、「何としてでも(世の美を)手に入れたい!」という思い(邪心)が、とぐろを巻いた蛇となって出現したのです。サタンは、この種の「肉」の罠を仕掛けることを得手とします。


 第四のステップは、④実際に手に取る(入れる、他者から奪う)ことです。ご存じのように、ダビデ王はイスラエル国家の、法的最高遵守(擁護)者であるべき立場です。にも関わらず、彼は法を犯してまで、ウリヤの妻を「我がもの」としたのです。ここにサタンの恐るべき、「罠」が仕掛けられています。サタンはエバに対して唆したように、私たちにも甘い言葉を投げかけます。「これを手に入れたからと言って、心配は全くない。あなたにしか為し得ない力(才覚や力量)で、それを帳消しにする(もみ消す)ことが出来るから。」と。


 このようにサタンは、スキャンダル事件を隠蔽して、あたかも「真実」の如くに演出することを、常套手段とします。最後の第五のステップは、➄私たちが神との聖なる「契約」ではなく、サタンとの悪しき汚れた「契約」に引導しながら、「呪い」の領域に結び合せることです。即ちダビデに注がれた、神の聖なる品格を貶め、彼を単なる「凡人(世的な人)」に仕立てることです。


 今後私たちは、様々な世の「流れ」の中で、霊的に振るわれます。世界的な「混乱」と、無秩序の如くに迫り来る「死」の恐怖の中で、多くの人々がサタンによって、霊的に奴隷と化していますが、私たちは決して、サタンの「罠」に立入っても、近付いてもなりません!


 私たちがダビデ王のように、バテシバ的な誘惑(罠)に陥ることは、殆ど言ってありませんが、サタンは別の形(方向性)で「罠」を仕掛けること、そして私たちは騙されやすい、罪深い存在であることを、肝に銘じるべきです。「終わりの時代」においては、サタンの「罠」にかかったら、もはや「終了(the end)!」です。それ故に、聖霊様が私たちに対して、サタンの「罠」に立入ろうとした際には、厳しくレッド・シグナルを発するのです。


イエス・キリストの防御に倣う
 第二の重要ポイントは、悪魔サタンの「欺き」の罠に勝利した方は、イエス・キリストだけである!という点です。イエス・キリストは、確かにサタンの誘惑(マタイ福音書4章1~11節)によって、故意に「罠」に立入った訳ですが、最終的にサタンを叱りつけました。「退け、サタン!」と。イエス・キリストも、サタンによって①高き所に導かれ、②世の栄華を見渡すよう促されました。これが霊的な「欺き」の罠の領域です。サタンは「もしこれらのものを、自分のものとして得たいのであれば、今から私が示す方法を試してごらん。」と、イエス・キリストに対して、優しくアドバイスを投げかけます。するとイエス・キリストは、瞬時に即答します。「主なる神を試してはならない!」と。


 そこでサタンは、最後の「罠」として、③イスラエルの一番高き山々に連れて行き、「天地万物をあなたに差し出そう。だが一つだけ、簡単な条件がある。④私を拝め!」と、強引に「罠」へと誘い込みました。イエス・キリストは、咄嗟に彼の元を離れ、大声で叱りつけました。「退け、サタンよ。ただ主にのみ仕え(礼拝し)なさい!と、聖書は命じている。私はその御言葉に従う。もはやお前は、私の聖なる領域に居ることは出来ない。直ちに立ち去れ!」と。


 覚えて下さい!サタンの「罠」は、何処にでも、そして如何なる時にも、無数に仕掛けられています。例えば「現実」を見て、「恐れ」と「不安」に陥るのであれば、それが「罠」となるのです。「現実」よりも①高き所、②安定した収入、③優雅な生活などを求める時、そこに巧妙な「欺き」が潜んでいます。私たちが主なる神にのみ仕え、主なる神のみを礼拝する時に、神が霊的に高き次元(聖なる領域)へと、確実に導いて下さいます。


 そうです!私たちが、サタンの「欺き」の罠に立入らない、一番重要な原則(方法)は、「偽りの光」ではなく、主なる神の栄光に満ち溢れた、「真実の光」なるイエス・キリストを、単純に見上げることです。そしてサタンを叱ることです。「黙れ、サタン!お前は、只のまやかしの光に過ぎない。だから、イエス・キリストの御名によって命じる。消え去れ!」と。


 サタンは、確かに焦っています。様々な世的な「権威」と「力」をもって、私たちを更に縛り上げようとします。そして偽りの「情報」をもって、全ての人類をコントロール下に置くべく、「欺き」の罠を仕掛けるなど、悪しき次元で画策していることを、常に警戒しておくべきです。しかし同時に、サタンが焦れば焦る程、私たちは「サタンよ、さようなら!私が一番に求めるものは、神の国と神の義である。」と、高らかに決別宣言しましょう!


 そうです!私たちは、たとえ「枯れた谷」の如き、不安定な時代の中にあっても、「命の水」を慕い求める鹿の如くに、イエス・キリストを更に、慕い求めて参りましょう!私たちは絶えず、イエス・キリストの御傍(みそば)近くにて、忠実に仕える賢い乙女として、聖霊様が励まして下さいますから。イエス・キリストは、父なる神の居ます所に、直ちに逃れることを常としました。


 私たちが、自分にまとわり付くもの全てを、イエス・キリストの御名によって「出てけ(退け)!」と命じる時、私たちがイエス・キリストのみを礼拝し、イエス・キリストにのみ仕える、キリストの「聖なる花嫁」として、更に力強く前進出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年3月12日のメッセ-ジ)


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