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終末のエクレシア(No.29)

    最終的な「霊の戦い」に備えよ!




しかし、先ず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれる時、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。その時には、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなた方ではなく、聖霊なのだ。・・・・私の名の為に、あなた方は全ての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
                                       【マルコ福音書13章10~13節】


「荒波」にあっても尚信じ続ける
 今回イエス・キリストが語られる、「終末の時代」の第四の「備え」は、私たちキリスト者にとって、信仰上の「霊的興奮(武者震い)」を覚えるものです。それは「生きる」か、「死ぬ」かの戦いになるからです。終末期に起きる大収穫(リバイバル)において、私たちは多くの人々を、イエス・キリストの「救い」へと、「この世」から連れ上る訳ですから、悪魔サタン勢力は黙って見ていません。彼らは巨大な大船団の如き、世的な「権力」を総動員して、必ず「エクレシア号」を粉砕しようと試みて来ます。


 しかし私たちが、「最後の戦い」に召し出されて行く時には、聖霊様が先陣を切って下さり、全ての敵船団を一網打尽にして、荒波の中に引っくり返して下さいます。大津波にも決して引っくり返らない、「エクレシア号」が進み行く時には、聖霊様が「神の戦い」として、全面的に主導権を獲り、「勝利」から「勝利」へと、物事を推し進めて下さいます。


 「その時」に私たちは、今までにない酷い経験をすることになりますから、当然「震え」も生じます。それは荒れ狂う、大海原に立つイエス・キリストから、直接「私を信じて、こちらに歩いて来なさい!」と命じられた、ペテロと同じ心境(恐れの余りに躊躇する姿)でしょう。イエス・キリストは、私たちにも命じられます。「信じて、疑わずに、進み行きなさい!」と。このイエス・キリストの言葉は、「最後の戦い」における、私たちの霊的標語となります。


 「その時」に私たちは、何を信じるのでしょうか?イエス・キリストが、私たちの「先」を行かれ、既に勝利を取られている、そして勝利の「御旗」が、既に掲げられている!ことを信じるのです。敵が敗北することは、イエス・キリストの「復活」によって、既に決定付けられているからです。


 しかし私たちは、時折不信仰になって怖がるところがあります。三次元的な「現実」を、大事に抱えようとするからです。イエス・キリストは明言します。「私の名の為に、あなた方は全ての人に憎まれる」と。霊的に「憎まれる」ことで、私たちの身近な場所において、霊的分断が次々と生じます。しかし「最後まで耐え忍ぶ者は救われ」ます。そのような時代に、既に入っています。


 神の「福音」が、世界の隅々に至るまで宣べ伝えられた、まさに「その時」から、終わりの時代の「最終段階」に至ります。ですからその前に、イエス・キリストの「証人」たちが、いよいよ全世界に出かけて行く、それが「今の時」です!それは「死」を恐れずに、喩えるなら「戦争」を前にする兵士の如くに、「最後の戦い」に出陣する時、それが「今」です。


二つの「流れ」
 さて、最終的な「霊の戦い」に臨む際に、私たちは何を備えるべきでしょうか?その前提として、「終わりの時代」に入る直前に、二つの大きな「流れ」が起きることを、先ず知らなければなりません。先ず第一の「流れ」は、「福音」が全ての民に届けられるよう、遣わされる人々(使徒たち)が興されることです。それは今までの歴史において、各キリスト教団体から、様々な国々に宣教師として派遣される、そんな三次元的次元ではありません。


 それは喩えるなら、戦争の真っ只中に、「武器」を持たずに出陣するような、相当な覚悟を要するものです。しかし「その時」、神の「勇士」が興されるのです。特にイスラエル民族の中から、14万4000人の使徒が興されます。恐らく、彼らは「キリスト狂い」という、悪しきレッテルを貼られることでしょう。しかし彼らが興されて来るのと同時に、聖霊様の働きに従う「キリストの証人」たちが、私たち異邦人のキリスト者からも出て来て、彼らと合流することになります。


 その後に起きる第二の「流れ」は、第一の「流れ」を阻止しようとする、サタンを頭(かしら)とする「反動勢力」の台頭です。彼らは、「死」を恐れないキリスト者たちを、徹底的に弾圧します。その時キリスト者たちは、最終的に強制連行され、無実の罪(偽証罪、共謀罪等)で起訴され、遂には「法廷(宗教裁判)」に立たされることになります。そして「その場(法廷)」こそが、聖霊様が用意した「戦場」となります。


 「その時」に、殆どのキリスト者がうろたえます。「え!これが私たちのゴールですか?」と。しかし同時に、聖霊様が「弱い私(あなた)」の為に、執り成して働いて下さいます。反動勢力は、私たちの「信仰」の土台を、イエス・キリストから切り離すべく、霊的な分断(策略)を試みて来ます。その方法の一つが、証言台に「家族」を立たせることです。そして裁判長は、次のような誘導尋問を、私たちに投げかけて来ます。「あなたがイエス・キリストに関して、偽証していたことさえ認めれば、家族に罪は及ぶことは無い!しかし、無罪を主張するのであれば、家族も共謀罪として、実刑を下さなければならないが、どうするかね?」と。


 イエス・キリストを「救い主」として、純粋に信じる私たちキリスト者にとって、復活した神の御子を否定することは、自分の人生そのものを否定することになります。イエス・キリストが「神の御子」であり、真実の「救い主」であることは、紛れも無い、そして隠し通すことの出来ない「神の事実」であり、今の自分があるのは、「イエス・キリスト」の存在があるからです。


 聖霊様は、いずれ法廷に立つキリスト者に対して、大いなる「励まし(真実のメッセージ)」を、事前に与えています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる!」と。ローマ帝国時代に弾圧された、多くの使徒及びキリスト者、鎖国時代に殉教したキリシタン、彼らは自分が愛して止まない家族を犠牲にしてまでも、イエス・キリストの「福音」を、大胆に語り続けました。彼らは敵を前にして、「イエス・キリストと、自分の大切な家族の、どちらを捨てるか?」と問われました。


 しかし覚えて下さい!彼らの内に働かれた聖霊様は、私たちに対しても「イエス・キリストの贖いの御業、それがあなたを死と滅びの底から、完全に贖い救い出した!こと、それが明かな唯一の証明です!イエス・キリストの贖いの血潮と、その裂かれた御体の故に、あなたは永遠の命を、無代価で与えられるという、この素晴らしい特権にあずかっているのです。このことを信じるだけで、あなた及びあなたの家族は、既に神の救いにあずかっています!」と、強力な「無罪証明書」を提示して下さいます。


 ですからイエス・キリストは、四人の弟子に語った如くに、私たちに対しても「(その時が来ても)心配しなくても良い!恐れることは無い!その時には、聖霊様から示して戴く、神の言葉を語るだけで良いから。」と、強く励まして下さいます。 そうです!聖霊様こそが、私たちの「弁護者」、つまり法定代理人(代弁者)として、私たちの「唇」を借りて語るのです。


神の精鋭部隊「エクレシア」
 「新約時代」において、神が召集したキリスト者の群れを、「エクレシア」と呼びますが、では「旧約時代」における、「エクレシア」の原型(雛型)は一体何でしょうか?それはモーセに導かれた、イスラエル民族の各部族から、選り分けられたグループのことで、それは全て男子で構成された、「イスラエル軍隊(神の兵士たち)」のことです。


 同様に私たちキリスト者も、「新約時代」の完成期である、「今の時」において、神の軍隊(兵卒)として召集されていることを覚えて下さい。何の為にでしょうか?全ての民に、イエス・キリストの「福音」を届ける為です。そしてイエス・キリストの「御名」によって、悪魔の要塞を破壊し、そこから囚われ人を解放し、「病い」に苦しむ者に、神の偉大なる「癒し」を宣言する為です。


 ある面でエクレシアは、最終的な「霊の戦い」において、最前線に駆り出される精鋭部隊です!聖霊様(最高司令官)が、私たちと共に出陣される限り、私たちの唇に神の偉大なる「啓示」を与えて下さり、その時に偉大なる神の「救い(解放)」が、多くの人々の「霊」に解き放たれます。そうです!私たちの最大の「武器」は、イエス・キリストの「福音」です。


 いよいよ私たちは、主なる神の「栄光」に覆われて、聖霊様との密なる「連携(協力関係)」を、更に深めて参りましょう!あなたがイエス・キリストの「福音」を携えて行く時に、使徒行伝時代の時と同様に、「奇跡」から「奇跡」へと至る、神の不思議な「導き」によって、神があなたの唇を用いて語る時が次々に来ます!そして最後の宣教地が、たとえ法廷であっとしても、あなたの横隣りには最高の弁護士、聖霊様がいつも共に座して下さり、必ず弁護して下さることを信じ続けましょう!


 それ故に「毎日(日々)」が、霊的な「戦い」の訓練の時であることを、是非覚えようではありませんか!私たちは「真理」を知っているからこそ、真の「自由」があるのです!私たちは「束縛」の如き状態の中で、必死になって生きていますが、イエス・キリストという、唯一の「救い」に至る道を、信仰で歩んでいることも確かです。


 どうかあなたが、毎瞬(全ての時)の中に働かれる、聖霊様の「働き」に対して、感謝して突き進むことが出来ますように!聖霊様による霊的訓練があってこそ、あなたは精鋭部隊の一員(一兵卒)として、勝利の御旗を掲げることが出来るのです。「今日(今)」与えられている、聖霊様との「交わり」を大事にしましょう!あなたが神の「御力」によって、「キリストの証人」として磨かれ、益々聖められて参りますよう、主イエス・キリストの御名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年9月11日メッセージ)


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