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Terminal Faith(No.9)

      「欺き」の罠から逃れ出よ!




これらの事の後で、主人(ポティファル)の妻は、ヨセフに目を注ぎながら言った。「私の床に入りなさい。」しかし、ヨセフは拒んで・・・・言った。「・・・・あなたは御主人の妻ですから・・・・どうしてそのような悪を働いて、神に罪を犯すことが出来ましょう。」彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが耳を貸さず・・・・共に居ることをしなかった。こうして、ある日、ヨセフが仕事をしようと家に入ると、家の者が一人も家の中に居なかったので、彼女はヨセフの着物を掴んで言った。「私の床に入りなさい。」ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
                                         【創世記39章7~12節】


「欺き」の時代
 「今の時」は、はっきり申し上げて「欺きの時代」と言えます。それ故に今に生きる私たちは、今まで以上に警戒心をもって、聖霊様の「御声」に、謙虚に聞き従う必要があります。「欺き」とは何でしょうか?「騙す」に似通ったイメージがありますが、「騙す」ことは最初から「悪意」が見え隠れしますが、「欺く」とは聖書的には、真実でない(真理に反する)ことを、あたかも「真実(真理)」のように思わせ(見せ)て、信じるように仕向けることです。


 それは「正しくない(偽った)」状態を、「本当かも知れない」と思わせ、遂には受け入れさせてしまうことです。「今の時代」がまさに、霊的には大きな「まやかし」、即ち「欺き」が満ち満ちた時代です。今回の記事に見られる、奴隷である好青年ヨセフに対して、ポティファルの妻が誘惑する事件は、まるでサスペンス映画の如き、非常にスリルのある内容ですが、私はこの出来事の中に、単なる「性的誘惑」の罠だけではなく、悪魔サタンの「欺き」という、「霊的誘惑」の罠が記されている!このように解釈しています。


 そうです!ヨセフが被った「霊的誘惑」が、私たちの身近にも同様に、「欺き」の罠として仕掛けられていることを、肝に銘じて覚えておいて下さい。ヨセフの今回の冤罪事件には、実は私たちにとって、大きな意味があるからです。主なる神が、素晴らしい御業を為される時には、聖霊様を通して「選びの器」を召し出し、その者に「油注ぎ」を与えます。それがヨセフでした。ですからヨセフは、神の「贖い」を現すべく、前もって(先に)呼び出される、神の「選び」の雛型です。


サタンの仕掛ける「罠」
 ご存じのように、ヨセフは只の奴隷でした。ところが彼が、ポティファルの邸宅で働き始めると、彼が為す全ての事が麗しいものとして、ポティファル邸に満ち溢れます。これに面白くないのが、悪魔サタンです。これ以上、神の美(栄光)が現されるのを阻止すべく、サタンが選んだのがポティファルの妻です。


 彼女は当初、一奴隷のヨセフに対して、何ら関心がありませんでした。しかし、自分に仕える女奴隷たちが、今までとは違った仕事ぶり、また態度(仕草)で、麗しく変わってくる訳です。つまり奴隷たち全員が一様に、陰日向無く謙虚に仕えるようになったことに、彼女は驚嘆し始め、その原因(事の発端)が、ヨセフが当家に来たことにある!と気付きました。


 そしてポティファル邸全体が、神の麗しい臨在に満ち溢れ、全てが整然と管理(調和)されているなど、事の発端がヨセフにあると確信した彼女は、ヨセフそのものに興味を持ち、物陰から彼を監視するようになりました。そしてある時から、彼女は「興味」の対象から、「異性意識」の視線(色目)へと変わりました。そして最終的に彼女は、ある計略をヨセフに対して謀ります。「私が仕掛ける罠によって、彼の本意(野心)も、同時に探り出そう!」と。これがサタンによる「謀りごと(罠)」です。


 彼女は早速、ヨセフに対して命じます。「奴隷のヨセフよ、今すぐ私の部屋に来て、私の仕事を手伝っておくれ!」と。命じられた通りに、ヨセフは淡々と仕事をこなし、終わったら丁寧に辞して、即座に退出しました。しかし彼女は、ヨセフに対して毎日、様々な用事を命じることを通して、彼女の領域(罠)に誘い込んで行きました。最終的にサタンは、彼女の「思考」の中に、「欺き」の知恵を与えました。


 彼女はある時、仕事を終えて退出しようとするヨセフに対して、ベッドに座りながら優しい言葉で語りました。「ヨセフよ、私の横に座って、少しの間で良いから、私の用事を聞いておくれ!」と。奥方様の命令ですから、断わる訳にも行かず、ヨセフは渋々ながらも、かしこまって(彼女と距離を置いて)ベッドに座しました。その間、彼女はヨセフの視線が、何処に向けられるかを、じっと観察しました。少しでも自分の美貌と、美しい体つきに視線が移るか否かを探るため。


 しかしヨセフは、一向に彼女の方向に目を移そうとしません。それ故に彼女は直接、ある言葉を投げかけました。「私は、お前を好きになったわ。だから少しでも、私と一緒にここに居て欲しい!」と。それに対してヨセフは、全く耳を貸しませんでした。つまり返事もせずに、丁寧に「その場」から退散したのです。


 彼女は毎日、一段落したヨセフに対して、様々な要求を言い付けては、彼を自分の寝室に誘い込みました。例えばある時、「たまには私の服装を見て、褒めておくれ!」と、彼の関心事を自分の領域へと、様々に誘い込もうするのですが、決まって「奥方様、申し訳ありません!しもべは、これにて失礼します!」と、早々に退出する始末。遂に彼女は、最大の「欺き」を仕掛けます。彼女の「霊」の中にある、サタン的な「思い」は、①自分に従わない、②自分の魅力に目もくれようとしない、③自分に拝しようともしないなど、ヨセフの聖なる「品性」に、我慢ならなかったからです。


 最後の「罠」は、「やらせ事件」をでっち上げることでした。いつものようにベッドにて、彼を自分の隣に座らせた彼女は、突然ヨセフの両手を掴み、その手を自分の胸元に触らせるべく、強く抱き締めようと試みました。しかしその時の彼は、掴まれた手を力強く離し、彼女をベッドに戻そうとして立ち上がりました。しかしその時、同時に彼の上着の一部が、彼女の手に残りましたが、彼はその場から即座に逃れ出ました。


 ここで覚えて戴きたいことは、サタンは私たちを騙すべく、しつこい程に何度も誘惑します。サタンにとって、私たちが神と共に居る状態に、我慢ならないからです。私たちが神との、親しい「交わり」を聖く保つ限り、そこには神の「麗しさ」が満ち、豊かな「命の水」のほとばしりが現れ出ます。聖霊様による、圧倒的な素晴らしい臨在が、私たちを通して溢れ流れ出ることに、サタンは許せない訳です。


「欺き」を封じる三つの行動
 さてヨセフ同様に、私たちの信仰に対して、サタンの「欺き」をもって、しつこく誘惑し始めた時に、私たちはどう行動するべきでしょうか?サタンの手口は、エバを騙す時と同じ方法を採ります。主なる神がアダムとエバに命じたことは、「善悪の木」に近付いて、その実を絶対に見るな!という一点です。サタンはエバに対して、「エバさん!これはね・・・・」と言って、「善悪の木」の方へと巧みに誘い込みます。そしてすかさず「これは神の領域に入る為の、素晴らしい実ですよ!」と、具体的なセールストークをもって、その実の商品価値を高めました。


 その瞬間にエバは、その実を見てしまったのです。そして「本当に立派に見える。蛇の言うことは、本当かも知れないわね。」と思いましたが、彼女は蛇に問いかけました。「神様は必ず死ぬと命じられましたけど・・・・」と。するとサタンの化身である蛇は、「いいえ、そのような事も、確かにあるかも知れませんが、全てがその通りになる訳ではありませんよ!」などと、曖昧な返答に切り換えました。


 同じサタンの「欺き」の誘惑を受けた、今回のヨセフがエバと違って、決して騙されなかった理由は、三つ挙げられます。先ず第一に①彼は奥方の誘いかけを、一切「拒んだ」(8節)ことです。「拒む」とは、明確に「出来ません!」と断わることです。つまり奥方から命じられる、適正な仕事(用事、業務)には従っても、私的な言い付けには組しない態度(姿勢)を貫いたことです。


 第二に②彼は「耳を貸さず」(10節)、断固とした姿勢を貫いたことです。ヨセフは、奥方の甘い囁きの言葉を、ただの「音声」としては聞きましたが、自分の霊的領域には踏み込ませない!という、強い意思を貫いたのです。何故でしょうか?サタンが自分を(神の聖なる領域から)貶めるべく、奥方を用いて仕掛けた「罠」である!ことに気付いていたからです。


 第三に③彼は何も考えずに、即座に「逃げて外へ出た」(12節)ことです。つまり奥方を取り巻く、サタンの邪悪な領域から身を聖めるべく、完全に退散する(逃げるが勝ち)ことを選択し、即実行したのです。ヨセフの頭(未来思考)には、その後(自分の服の一部が残ったこと)に起きるであろう、奥方の「陰謀(でっち上げ)」は見抜いていましたが、これら全ての事は創造主なる神が、前もって計画されている事として受け留め、この成り行きがどうであれ、神の御心に全てを委ねました。


 結論になりますが、サタンによる「欺き」の罠を、私たちは警戒こそすれ、決して恐れる必要はありません!アズベリー大学で起きた聖霊様の大覚醒が、今の日本にも更なる炎となって、豊かに降り注がれる、その時が間近に迫っています。「真実」を追い求める一般の日本人が、少しずつなりにも増加する中、霊的に目覚める日本人キリスト者を通して、偉大なる神の「啓示」が示され、聖霊様の働きが命の水となって、溢れるばかりの「ほとばしり」が、必ず起きは始めることを、是非祈り待ち望みましょう!


 私たちは生ける「神の宮」として、世に遣わされている「キリストの証人」です。私たちが一番に期待することは、悪魔サタンが盛んに妬んで、「欺き」の罠を仕掛ければ仕掛ける程、「その時」が近いことです。聖霊様の「ほとばしり」が、日本民族の中に豊かに起こり得ることを、信仰をもって期待して参りましょう!


 最終的にヨセフは、一目散に外に逃げました(脱出しました)。私たちも、今の「欺きの時代」から、霊的に脱出しましょう。イエス・キリストだけが、唯一の「避難所(真実の逃れ場)」です。イエス・キリストだけが、私たちを豊かに守り導き、十字架上から流された、その貴い血潮の「注ぎ」により、私たちは「世」から完全に贖われたのです!


 この唯一の「救い主」、イエス・キリストを信じる、私たちキリスト者を通して、多くの日本の若者たちが、聖霊様の「大覚の時」に立ち上がり、真実に目覚め、霊的大収穫に携わることが出来ますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年2月26日のメッセ-ジ)


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