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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.8)

               三度目の正直




ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕(しもべ)たちに掘らせた井戸を、ことごとく塞ぎ、土で埋めた。・・・・イサクはそれらの井戸を堀り直し、父が付けた通りの名前を付けた。・・・・ゲラルの羊飼いは「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。・・・・イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。・・・・もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄の為に広い場所をお与えになった」と言った。
                                            【創世記26章15~22節】


「敵」との対立(争い)
 イサクにとって今回の「プロジェクト」は、一度目の「井戸掘り」が成功し、更に二度目も成功した訳ですから、いつでも為し得る事業(ビジネス)でした。しかし彼は、一度目の井戸名を「エセク(争い)」、そして二度目の井戸名を「シトナ(敵意)」と名付けました。最後となる三度目の井戸名は、「レホボト(広い場所)」と言い、神が敵の妨害から贖い出し、遂に神の約束を拡大すべく、広い場所へと導いて下さったことに由来します。


 覚えて戴きたいことは、三度目に堀った土地(フィールド)は、父アブラハムがロトとの勢力「争い」を避けるべく、あえて不毛の如き「荒地(高地)」を選んだように、そこは敵(ペリシテ人)も寄り付かない、不毛の地でした。しかし主なる神は、イサク一族を豊かに祝福し拡大すべく、そこを取って置かれたのです。


 ご存じのように「水」は、全ての生物に何からの「恵み」を供給します。しかし大寒波等で、その「水」が凍結した場合には、「水」そのものが固体化する訳ですから、水道管を炸裂させたり、氷柱(つらら)となって凶器にもなります。このように物事というものは、私たちが「現実」として見る限り、それは余り変化が見られないものと、私たちは捉える傾向にあります。


 しかし、最近の物価高騰に見られるように、一旦予測不能の「事変(異変)」が起きた場合に、私たちは即「混乱(パニック)」に陥ります。つまり精神的な水道管が、見えない「流れ」の異変によって、瞬時に炸裂するのです。イサク一族は、ペリシテ人に懇願して、井戸掘りに着手した訳ではありません。彼らは、出来るだけ「現実(ペリシテ人との対立)」を避けながら、かつて父アブラハムが堀った井戸を捜すべく、彼らが占有していない土地(辺境地)を選びました。


霊的なパラダイム・シフト
 今、世界規模で「構造的枠組み(パラダイム)」の、シフト現象が起きています。シフトとは「移動する」ことです。イサクが経験した、今回の「井戸掘り」を巡る変遷も、一つのパラダイム・シフト(構造的転換)です。実はイサク一族の「信仰」には、私たちが霊的に手本とすべき、素晴らしい資質があります。


 イサクは何故、敵(ペリシテ人)との対立(争い)を避けて、敵が占有していない不毛の地で、黙々と井戸を掘り続けたのでしょうか?その理由は単純です。全ての「祝福」の法則を、父親(アブラハム)から継承して、素直に実践していたに過ぎません。彼は「現実」が、如何なるものであったとしても、主なる神は祈り求める者に対して、必ず応えて下さる、つまり「結果」を伴う祝福をもって導いて下さる、この信仰を父から継承していたのです。


 霊的に「井戸」を掘ることは、私たちキリスト者にとって、主なる神の「御心」を求めて、激しく叩き続ける信仰のことです。2月上旬のアメリカ・ケンタッキー州にある、アズベリー大学に起きたリバイバル(霊的覚醒)は、学生たちが普段通りにチャペルに来て、単純に礼拝を捧げていた、まさに「その時」、突然に始まったことでした。人間的な「計画」は一切ありませんでした。しかしそこにおいて、神の御前に座して賛美を捧げ、静かに祈る礼拝者たちの中に、聖霊様が優しくも、そして暖かな風を送り込んだ結果、彼らは神の臨在に触れ、ある者は罪を悔い改め、ある者は神の麗しい臨在を讃え始めるなど、ただそれだけのことでした。その中に神の「答え(命の水)」を、彼らは見出したからです。


 このように「井戸」を掘ることは、神を渇き求める者に対して、「命の水」を絶え間なく、無代価で与えて下さることを、単純に信じ続けることですから、更に深く堀り下げるのです。しかし敵は、イサクの信仰行動を容認することは出来ず、次は激しい「敵意(シトナ)」を剥き出しにして、イサク一族を追い出すべく、最初の「井戸」を塞いでしまったのです。


 私が最近、一番に懸念していることですが、日本において将来、財政的破綻が起こらないように、高齢者の人口増加を抑制する政策等の、いわゆる現代の「姥捨て山」論争が、公けで堂々と展開し出したことです。若者たちの中にも、高齢者排除思想(風潮)の気運が、段々見え隠れしています。仮に、かつてのナチス時代のドイツのように、優生学的な「弱者排除思想」が増大化しますと、悪魔サタンによる完全なる「敵意」が、日本人どうしの中に埋め込まれることになります。


三度目の正直
 しかし覚えて下さい!彼ら(高齢者等の弱者)が、何処に行けば「命の水」があり、生き永らえることが出来るか?このことに対する真実の「生き様」を示すのが、私たちキリスト者ではないでしょうか!イサク一族は、たとえ新たな「敵意」が来ても、神が導かれる次の場所を求めて、再び「井戸」を掘りました。その結果どうなったのでしょうか?敵は二度と、彼らの前に完全に現れなくなった、つまり三度目にして「真実の井戸(レホボト)」を得たのです。


 余談になりますが、最近「Chat-GPT」という検索エンジンが、全世界を驚嘆させています。この検索エンジンを使用して、例えば「今年の●●大学受験に合格する為に、必要な数学レベルの試験問題・・・・」と入力した場合、一般的な検索エンジンでは、検索結果は「ゼロ」になります。つまり検索不可能な、コマンド・レベルだからです。しかし「Chat-GPT」の場合、数分以内に試験問題が作成されるなど、使用する人の殆どが、高度なAI技術に圧倒されるそうです。


 仮に悪魔サタンが、この「Chat-GPT」のデーターベースに、世界中の人々が望む神観(神のイメージ)を、様々な宗教の教義から宗教行事(慣例儀式)に至るまで、そのデータをミックスさせて、一番に魅力(説得力)のある「麗しいカミサマ」を造り上げるとします。例えば人生に悩み苦しむ、ある青年が次のような「願い」を、この神様に伺いました。すると答えは「あなたは素晴らしいものを持っているので、そのあなたが・・・・さえすれば、必ず~などの素晴らしい祝福に至り、あなたの望む、思い通りの人生が約束されることでしょう!」と、肯定的な「励まし」の御声(検索結果)を、瞬時に聞く(知る、得る)ことになります。


 多くの人々から、それぞれの「神観」の情報を集積する過程で、「Chat-GPT」のAIが、世界統一の「カミサマ」を、最終的に造り上げることは、いとも簡単でしょう。この「カミサマ」が、多くの高齢者たちに対して、あるメッセージを投げかけるとします。「あなたが今まで培ってきた、様々な知識や情報、そして記憶などの全てを、この私に提供して下さるよう、どうぞお願いします!またその為に、あなた自身のIDコードを登録して下さい。そうすれば、あなたは死んだ後も、永遠に生きることが出来る世界を、私はあなたに対して、無条件に提供します!」と。


 これは、あくまで私の推測レベルのストーリーですが、昨年話題になった日本映画『PLAN75』が、まさに近未来の日本を描いていると思われます。このように事態は急変しています。悪意を持った指導者が台頭し、一気に問題解決を図るべく、地球規模の人口削減政策を推進する、その先駆けとして「キリストの花嫁」狩りを、堂々と実施する時代が、もう目前に迫っているからです。


 しかし覚えて下さい!これに対抗する方、即ち「王の王」イエス・キリストが、間もなく再臨されます。第三のシフトである「レホボト」は、敵ペリシテ人が完全に井戸を放棄する、つまりイサク一族によって為された、「神の勝利」を描いています。同様に、今の時代にイエス・キリストが、最終的に完成されるパラダイム・シフトは、敵(悪魔サタンの勢力)から、私たちを完全に守り導き、御国へと連れ帰る(携挙する)ことを意味しています。


 いずれ私たちキリスト者は、その存在も危ぶまれる程、激しく攻撃される時が来ます。私たちが真摯に生きれば生きる程、世の人々は「敵意」を剥き出しにして、盛んに攻撃して来るでしょう。しかし恐れないで下さい!「敵意」が起これば起こる程、私たちは神の領域へと、更に導かれて行きます。そして「世」と決別するのです。


 今の時代の中にあっても、私たちはイエス・キリストに、信仰の「望み」を置く民(一族)です。ですから私たちは、イエス・キリストと共に、「最後の仕上げ」とも言うべき、偉大なるパラダイム・シフトに乗り、霊的に駆り出されて行きましょう!何処にでしょうか?これから出て(浮かび上がって)来るであろう、社会的弱者の元です。彼らは「生きる(生き永らえる)」ことに於いて、何らかの「息苦しさ」を抱えています。彼らに対して、真実の「安らぎ(安寧)」を提供できる方は、イエス・キリストだけです!イエス・キリストは、今も尚「失われゆく小羊」に対して、大声で呼びかけています。「私が来たのは、罪人(この世から排除された人々)を招く為である!健康な者にではなく、病人を癒す為に来たのである。」と。


 これからの「終末の時代」において、私たちキリスト者は、更に上(天)よりの信仰を戴きながら、日々前進して行きましょう!多くの魂(霊的な弱者)が、真理の道を見失って、「恐れ」と「不安」を抱えながら彷徨っています。彼らの中に、私たちは導かれて「福音」を語るだけで、神の「救い」と「癒し」の御業が起きます。ですから私たちは、聖霊様に満たされながら、熱心に祈り続けましょう!霊的な井戸を堀り続けて、神が無代価で与えて下さる、「命の水」を豊かに飲みましょう。そしてこの「命の水」を、多くの人々に届けるのです!「収穫の時」は、もう目の前に用意されています。


 あなたも真実の神の御子、イエス・キリストによって招かれた、霊的なイサク一族の一人です。是非信仰の「井戸」を掘り続け、今の時が「レホボト時代」に入っていることを、聖霊様から教え示して戴き、あなたの歩みに伴う神の「祝福」が、更に拡大して行きますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年2月19日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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