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終末のエクレシア(No.24)

          「終末」のプロローグ




イエスが神殿の境内を出て行かれる時、弟子の一人が言った。「先生、ご覧下さい。何と素晴らしい石、何と素晴らしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
                                            【マルコ福音書13章1~2節】


「神殿」の境内を出る
 「プロローグ」とは、何らかの出来事の「始まり(序章)」を指します。今回の記事において、イエス・キリストが「神殿」の境内から出て来られる場面が、最初の出来事として描かれていますが、この事は次の出来事に至る、預言的なシーンをも描いているのです。次の出来事とは、神の「ご計画」の本丸、つまり十字架による「救い」です。


 実はイエス・キリストが、「エルサレム神殿」の境内を出ること、これは「終末」に至るプロローグを、霊的に物語っています。思い出して戴きたいことは、イエス・キリストが「エルサレム神殿」に入場された際、先ず最初に為されたことは、神殿の境内で商売を繰り広げる、世俗的なビジネス・システムを破壊したことです。この時イエス・キリストは、激しい「怒り」をもって、商売人たちに怒号の言葉をあびせました。「ここは強盗の巣ではなく、神を求める人々の祈りの家である!」と。


 神殿の境内を出た後、イエス・キリストの弟子数名が、荘厳なる神殿の外観を見ながら、驚嘆の言葉をもって、神殿の建物の栄華(素晴らしさ)を褒め称えました。するとイエス・キリストは、不思議な言葉(預言)をもって、彼らに応答しました。「こんなものは、いつの日か完全に取り崩される時が来る!」と。イエス・キリストのこの言葉に、実は重要な預言的奥義が示されています。


「古きところ」に留まるな!
 そうです!「終末」に至るプロローグとして、イエス・キリストが示される預言的啓示を、今に生きる私たちは、霊的に真摯に受け留め、かつ聖霊様を通して指示される、適切な「備え(準備)」に着手しなければなりません。そこで先ず第一のポイントとして、「古きところを神は良しとはされない!」ことを肝に命じて下さい。つまり主なる神が命じた時に、私たちは「古きところ」に留まるのではなく、必ず「新しきところ」を求めて、直ちに出立しなければなりません。


 しかしこの時、弟子たち(私たちも含む)は「え、どうして?」という疑問が生じます。イエス・キリストはこの時、まるでエルサレム神殿には、神の臨在が全く無いかの如くに、拝礼もせずに立ち去ったからです。弟子たちにとって「エルサレム神殿」は、イエス・キリストが「大祭司」として立ち、ローマ帝国からの独立を宣言するなど、革命拠点のイメージを抱いていました。


 「古きところ」とは、既存の伝統や文化・習慣に縛られるなど、神への信仰的「飢え渇き」が、微塵も感じられなくなる程の、悪しきフィールドのことです。神にとっては、全てが「新しきもの」を産み出すなど、霊的には「命の水」が、絶えず溢れ流れ出るイメージです。


 ところで、イエス・キリストの霊的称号である「王の王」とは、この世の君(王、大統領、首相、国家元首など)に優る「大君主」を意味するのではなく、霊的な王(世の次元を脱出した神の民、神の祭司)である、私たちキリスト者を統べ治める、真の王(大祭司)イエス・キリストを意味します。


 この「王の王」なる方が、古き天地を滅ぼし尽くした後に、新しい地において、新しい「神の宮(神殿)」を打ち建てるのです。そうです!「終末」に至るプロローグとして必ず起きること、その前兆として既存の「古き教会」が、先ず霊的「振い」にかけられます。特にローマ・カトリック教会という巨大宗教システムが、エルサレム神殿同様に、真っ先に振い分けられることでしょう。


 既存の「古き教会」の三大特徴(悪しき在り様)として、第一に①ピラミッド型の支配体制を、必ず造り上げています。第二に②聖書を部分的に引用しても、神の「命の言葉」を語ろうとしません。第三に③神ご自身を礼拝することよりも、この世的な「別のもの(行動、イベント等)」を優先します。イエス・キリストが今回、弟子たちに古き「エルサレム神殿」の崩壊という、将来に対する預言を残したことの真意は、決して彼ら(私たち)を驚愕させる為ではなく、「その時」がいつ来たとしても、それが「終わり」を意味するのではなく、逆に新しい「神の宮」の出現(完成)の時である!ことを、全てのキリストの花嫁(エクレシア)に知らしめる為です。


 「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。」(ヘブル書3章6節)この御言葉を詳訳すると、「イエス・キリストは神の家を、神の御子(皇太子)として、ご自身の信仰をもって守り治める方である」となります。ここで示される「神の宮」とは、後々の私たちにも継承される、「終末のエクレシア」を意味しています。と言うことは、イエス・キリストが信仰をもって、私たちの全てに責任を持って、担って下さることが分かります。


 たとえ終末に向けて、悪しき様々な出来事が、次々と起きたとしても、真の花嫁である「終末のエクレシア」に、聖霊様が使徒行伝の時と同様に、天から激しく臨みます。すると「その時」、終末のエクレシアが反キリストによる、世界的迫害の中にあったとしても、「後の雨」の大収穫(最後のリバイバル)が起きるのです!


新しい「神の宮」として
 第二のポイントとして、イエス・キリストが打ち建てられる、新しい「神の宮(エクレシア)」とは、イエス・キリストが「王の王」として、遂に統べ治められる霊的雛型であり、御国において完成される、史上最高の礼拝(婚礼)のフィールドとなります。ですから、既存の古き巨大宗教(多数派)から見て、私たちが少数派であったとしても、聖霊の火を消すこと無く、「聖なる油(祈り)」を常に準備し続け、互いに励まし合いながら、御国の「完成式典」に向けて、日々前進するのであれば、新しい「神の宮」が確実に打ち建てられます。そうです!私たちが「確信」と、希望に満ちた「誇り」とを持ち続ける限り、私たちこそが「神の宮」になるのです。


 私たちは、イエス・キリストという「堅固な岩」の上に、エクレシアとしての土台を据えるべきです。「後の雨」の大収穫に備える為です。その時期は予想も付きませんが、サタンは神の「ご計画」を阻止するべく、いよいよ大弾圧(迫害)に着手しています。「後の雨」が降り始めた時には、キリストの臨在が確実に見えてきます。私たちが語る福音の言葉だけでなく、若い世代が行動するその中にも、偉大なるキリストの御名を讃える、賛美(ワーシップ)が、街中に溢れ流れ出るでしょう。また「恐れ」を知らない、霊的に覚醒した民(神の兵士)が出陣して来るでしょう。


 「今の時」に与えられる(示される)、一つ一つの霊的シグナル(兆し)を、是非大切に取扱って下さい!あなたにしか与えられ(示され)ない、神からの霊的預言があるからです。偉大なる「王の王」イエス・キリストは、間もなく「真の統治者」として、地上に再臨されます。私たちは「その時」に向けて、「確信」と希望に満ちた「誇り」とを持ち続けましょう!あなたも新しい「神の宮」として、必ず打ち建てられて行くからです。


 どうぞあなたが、イエス・キリストを通して始められた、この「終末」のプロローグを、神の「ご計画」として戴きながら、日々前進して行くことが出来ますように!真の「王の王」なるイエス・キリストの臨在に、あなたが更に霊的に敏感になり、キリストの花嫁として、全ての「備え」が盤石でありますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2022年7月31日メッセージ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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