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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.3)

       全てを清算する神の「報い」




女は実を取って食べ・・・・彼も食べた。二人の目が開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉を綴り合せ、腰を覆うものとした。その日・・・・主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れ・・・・
                                    【創世記3章6~9節】


罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
                                    【ローマ書6章23節】


果たして彼らは「失敗作品」なのか?
 「永遠の愛」をもって「永遠の祝福」に至らせ、「永遠の命」を授けられた、最初の人アダム(エバ)は、父なる神にとって「最高作品」でしたが、彼らはサタンによる、二つの「フェイク」を信じて、「善悪の木」の実を食べました。しかし「エデンの園」が始まって以来の、この最大の霊的事件(犯罪)は、後々主なる神が「御心」を完成する為の、大いなる転機ともなったこと、先ずこれを覚えて下さい。


 そうです!父なる神は、全てをご存じでした。彼らがいずれ裏切って、霊的に背を向ける、つまり神の「御心」から離れることを。しかし父なる神は、如何なる事があったとしても、ご自分が始められた「計画」を、「然り」なる方として必ず完成されます!父なる神は彼らの「裏切り」を、決して完全なる「失敗」とは見なされませんでした。何故なら、彼らがこの霊的大事件を、次なる信仰の旅程に至る、霊的教訓として学ぶのであれば、神の豊かな「贖い」の出発点ともなるからです。


 ところで、この世のビジネス(商い)において、自分が売りたい!と思う「商品」を売る場合に、売手は必ず何かをアピールします。その一つの方法として、自分が実演する(食べる、使用する、取扱う)ことで、商品の魅力を伝える場合があります。その時に、三つのプロセスが重要となります。


 実は今回の記事(6節)に、その世的なプロセスが描かれています。世の商売主サタンは、最初のお客であるエバに、如何なるプロセスをもって、「善悪の木」の実をアピールしたのでしょうか?第一に①「見た目に物凄く美しく(美味しそうに)見える」ことです。商品の「美しさ」を、如実に見せれば必ず売れます。第二に②「ちょうど良い熟れ(売れ)頃である」ことです。その商品が「素晴らしいものである!」という、良きタイミングを、お客に知らしめれば必ず売れます。第三に③「それを得れば(食べれば、手に入れれば、使用すれば)驚くべき体験をする」ことです。実はサタンは、私たちに対して常に、上記の三つのプロセスをもって、霊的に誘惑し(唆し)ます。仮に私たちが、イエス・キリストとの「親しい交わり」よりも、別の霊的な感動(覚醒)体験を求めるのであれば、既に唆されているのです。


 さて、「善悪の木」の実を食べた結果、彼らに何が起きたのでしょうか?確かに彼らは目が開かれ、以前よりも賢くなりました。しかし同時に、彼らは「真実の光」の次元とは別の、サタンが演出する「偽りの光」の次元が見えるようになりました。本来の人アダム(エバ)は、イエス・キリストを中心とする、聖なる「永遠の愛」に覆われるべく、「命の木」の実のみを切に慕い求める者でした。そうです!「命の木」から「永遠の命」と、「天の力」を戴きながら、「エデンの園」を統治(管理)するという、重要な働きがありました。


 にも関わらず、彼らが見た「偽りの光」に覆われた世界は、「自分が素晴らしく」見えました。そして互いに見た瞬間、今まで見たことの無い「相手の姿」に驚愕します。それまでは「相手の姿」が、神の「真実の光」に覆われた、麗しいパートナー(無くてならない存在)として見ていました。しかし彼らは互いに、自分が実は何も無い(覆われていない)「現実」、つまり「裸である!」と認識したのです。そして愚かにも、彼らは互いに「隠し合う」作業に明け暮れるようになります。


 しかしイエス・キリストの「真実の光」には、「隠し事(秘め事)」は存在しません。全てがオープンであり、求める者には惜しみなく、無代価で光を投じる(供給する)方です。彼らは第一に、「善」と「悪」を区別する能力を得ました。そして第二に、それらを自由に選択するという、「肉の自由」を得ました。しかし霊的には「負の結果」を、嫌が応にも得ます。即ち霊的な「死」です。「霊」が死んだ結果、私たちの中に「肉」が働き始めました。そしてサタンは、必ず私たちの「肉」に働きかけます。霊的に死んだ彼らは、もはやポンコツとして、駄目な作品になったのでしょうか?父なる神は、全てをご存じでした。彼らが「罪」を犯したとしても、「贖い(救い)」の御業を達成するべく、再びある方法を用いて、彼らに「御心」を示されました。


アダムの「報い」とエバの「報い」
 この時、男性の祖であるアダムは、如何なる「報い」を受けたのでしょうか?それは、生涯「食べ物」を得るべく、様々に苦しむことです。主なる神が、本来のアダムに託した「働き(労働)」は、「エデンの園」を管理するべく、その祝福のフィールドを更に耕す(拡大する)ことでした。しかし、現実の私たち男性社会の「労働」の次元には、ひたすら生活の向上を図るべく、何となく「労役」を課せられている、即ち「苦しみ」が伴うイメージです。


 では女性の祖であるエバは、如何なる「報い」を受けたのでしょうか?それは、苦しみを伴って「子」を産むことです。本来ならば「子」を産むことは、創造主なる神が定めた「拡大の法則」です。ですから、そこには純粋な「喜び」と、将来に対する「希望」が伴います。しかし女性は、その後において「陣痛」ばかりでなく、様々な事において母親として、「子」の為に苦しむ(気に病む)ことになります。


 この男性と女性に対する「報い」を、三次元的に把握する限り、そこには「罪」の処罰(刑の報い)のイメージしか、私たちは感じ取ることが出来ません。確かに、彼らは「罪」の報酬として、死の「呪い」を戴きましたが、それは決して「因果応報」的な次元(二元論の世界)ではなく、彼らがその「苦しみ」を経る中で、必ず行き着く霊的次元、即ち神の永遠の「贖い」の次元に、実は既に導かれている!という、素晴らしい神の「報い(賜物)」にあずかるのです。


 そうです!神の「報い(賜物)」とは、主なる神が彼らに対して、直々に用意した「聖なる衣」です。つまり一匹の「小羊」を屠り、その裂かれた(剝ぎ取られた)毛皮をもって、彼らにフィットする「贖いの衣」です。これは霊的には、イチヂクの葉が「古い(朽ちる)衣」であるのに対し、「聖なる衣」は朽ちざる、永遠の「新しい衣」を意味します。彼らが「聖なる衣」を着続ける限り、古い大地において苦しんだとしても、そこには必ず神の「贖い(救い)」と、神の「祝福」を生み出すなど、神の「拡大の法則」が伴います。


 イエス・キリストは、ローマ帝国の圧政下に苦しむ、当時のイスラエルの民の霊(心)に、新しい「神の契約」の種(福音)を蒔きました。それは「明日の糧」を得るべく、日々「労役」に苦しむ生活ではなく、「神の国」と「神の義」のみを、先ず第一に求める限り、自分たちに必要なものは、神が既に用意して下さる!という、神の「拡大の法則」でした。これを聞いた男性陣は、恐らく度肝を抜かれたことでしょう。


 また使徒パウロは、女性たちに対して「女は子を産むことによって救いを得る」という、新しい霊的「産み(祝福の継承)の法則」を説いています。子を「産む」ことには、確かに「痛み(苦しみ)」を伴いますが、その後に来る神の創造、即ち「新しい命」を産み出すのは、女性(エクレシア)だけの特権です。神のエクレシアを通して、「新しい命」を次々と産み出すことも、神の「拡大の法則」です。


 「聖なる衣」を着せられた彼らは、創造主から「熱情のメッセージ」を受け取りました。「あなた方は決して孤児(さすらい人)ではない!苦しみに朽ち果てたポンコツでもない!私がいつも共に居ることを、この聖なる衣を見る度に覚えなさい!見よ、私はいつまでも、あなた方と共に居る!」


 彼らは犯した「罪」故に、「霊の眼」の天的機能が失われ、「肉の眼」をもって世界(現実)を見るようになりました。その結果、神の「真実の光」に覆われた、その麗しい「御顔」を見ることが出来なくなりました。しかし聖霊様は、彼らに促します。「神の御顔を求めなさい!」と。ここで、重要な「神の事実」を思い出して下さい!神の御子であるイエス・キリストが、復活後において最初に、ご自分の「御顔」を示されたのが、マグダラのマリア、即ち「新約の恵み」を継承(拡大)する女性であることです。


日本人よ、直ちに目覚めなさい!
 サタンは、エクレシアを通して完成される、神の「産み(祝福の継承)の法則」を、ことごとく破壊するべく、様々に敵対(迫害)行動を展開しています。サタンに連なる「暗闇(偽りの光)」側の勢力は、イエス・キリストの「真実の光」を忌み嫌います。余談になりますが、私は今の日本人を覚える度に、涙が溢れて仕方ない程の、「執り成し」の祈りに導かれます。何故なら「騙されて、眠りこけたまま、偽りの光を信じ続ける、日本人が増加している」からです。


 しかし覚えて下さい!サタンは気付いています。日の出づる国(日本)から、最後の大収穫が起きる!ことを。だからこそ聖霊様は、「真実の光」を追い求める新しい「エバ」、つまり真の「エクレシア」を必要とされるのです。イエス・キリストの「御顔」を慕い求め、「聖なる衣」を大事に取扱う真の花嫁は、①いつも喜び、②絶えず祈り続け、③如何なる場合においても感謝する、そのような霊的に覚醒したキリスト者が、日本において次々と出現しています。


 私たちには、イエス・キリストを通して、「真実の光」が豊かに注がれています。ですから、私たちは改めてイエス・キリストの「贖い」、即ち「永遠の命」に至る、唯一の道を歩みながら、全ての「罪」を清算して下さる、イエス・キリストの「救い」の福音を、多くの日本人に届けましょう!


 私たちは、決して「呪われた民」ではなく、小羊なるイエス・キリストの「贖い」、即ち「聖なる衣」を着せられた、神の「祝福にあずかる民」です!そして私たち(エクレシア)を通して、神の「救い」の御業が拡大し、多くの収穫を得る程にまで、豊かな「産物」の領域に導かれていることを、是非信じ続けましょう!多くの失われた民が「真実の光」を求めて、いよいよ帰って来る!その時が近付いているからです。


 イエス・キリストの豊かな「祝福」が、信じ続けて「御顔」を慕い求める、あなたの信仰生活の全てにおいて、更に拡大しますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年1月15日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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