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命と心の健やかなる成長のために!
こんにちわ!
あなたの命と心は、いつも健康ですか?それとも、何かの問題で病んでいますか?
私たちは、そんなあなたの、命と心の健康に気を配り、また命の処方箋を、聖書の「命の言葉」から提供します。

Terminal Faith(No.4)

     帰りたい、帰れない、帰ろう!




主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。・・・・主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
                                        【創世記3章21~23節】


私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。
                                        【詩篇124篇8節】


帰りたい
 「帰りたい」、「帰れない」、「帰ろう」という三つの行動意思は、私の人生の旅路にとって、「良き」にしろ「悪しき」にしろ、重要なキーワードとなっています。そして今でも、真の「帰るべき所(ホーム)」を求めて苦しむなど、精神的に葛藤しています。これは多くの人々が悩み苦しむ、共通の思いではないでしょうか!


 私たちキリスト者は、自分の「霊」は主なる神が居ます(臨在する)、天の御国への帰還を求めて生きています。しかし現実は、大変な時代の中で生きているが故に、安心して過ごすことの出来る、家庭という小さな「平安」を求めています。イエス・キリストも、自分が安心して「枕する」ところが無い!と、赤裸々に語っています。あるとすれぱ、父なる神と相対することの出来る、静まった「祈りの山」だけである!と。


 本来「帰るべきところ(源)」を求めるのが、私たち生き物の「帰巣本能」です。ペットでさえ、自分の「存在」を本当に大切にしてくれる、「飼い主」のところに帰って来ます。これが「帰りたい!」という、全ての生き物に共通する、素直な気持ち(感情・意思)です。


 覚えて戴きたいことは、アダムとエバは自ら好んで、また人生(命)を懸けてまでして、「善悪の木」の実を食べた訳ではありません。あの蛇の「誘惑」さえなければ、いつも通りに「善悪の木」を見ても、何の魅力も感じなかったことでしょう。むしろ「命の木」の方が、麗しい甘美な「香り」を放つなど、彼らの欲求の全てを満たしていた訳です。


 父なる神は、彼らを「エデンの園」から出立させ、「この世」に遣わされる際に、次のように諭し「励まし」を与えました。「覚えておきなさい!この聖なる衣は、私がいつもあなた方と共に居る!という、真実のサイン(しるし)である。あなた方が本来立ち帰るべきところは、このエデンの園である。あなた方は決して孤児ではないことを、これを見る度に思い出しなさい!」と。


帰れない
 しかし彼らは、「エデンの園」を出るや否や、「父の元に帰りたい!」と、すぐに気落ちすることになります。私の若い頃(30歳代)の「証言」になりますが、東京生活を五年ほど過ごした後、私は故郷の地(宮崎)に戻り、数年後に神の「導き」で妻(滋賀出身)と出会いました。そして彼女と結婚した後、私はいよいよ第二の人生を、妻と共に故郷の地で「ずっと過ごすだろう!」と思っていました。が・・・・


 そうは問屋は卸しませんでした。神の「ご計画」が、「辛い経験」として用意されていたのです。結論から言えば、「親元(故郷の地)」を離れざるを得ない決断、そんな状況に追い込まれたのです。そして、それは「悲しみ」を伴う辛い決断となりました。「本当はここに居たい!しかしこのまま、ここに居たら・・・・」という苦渋の選択。ですから私は、今の地(滋賀)に移り住んだ後も、時折「帰りたい!しかし帰れない!」などと、悲観的に呟く(嘆く)ことがあります。


 本来「子(息子、娘)」というものは、「親」が思っている以上に、様々なことに思い悩み苦しんでいます。本来の放蕩息子も、親元を離れたからと言って、決して「故郷」を捨てた訳では無く、常に心の中では「お父さんのところに、いつかは戻りたい!」と思っていたはずです。しかし現実は、様々な問題(金銭トラブル)に直面するなど、「もう自分は駄目だ。こんな状態では、とてもじゃないが父親に会わす顔が無い!」と、絶望のどん底でもがき苦しんでいたことでしょう。


 アダムとエバも、犯した「罪」の大きさを、彼らなりに自覚していました。その犯した「罪」が故に、「エデンの園」から追放された!という罪意識から、自分たちは「もう愛されない!」、「必要とされない!」などの思いに駆られるなど、最終的には「帰れない!」という心境にまで至ります。しかし主なる神は、彼らに大事なものを託しました。それは主なる神が、彼らに「聖なる衣」を着せた際に、「これを見たら、私があなた達のことを、決して孤児とはしないこと、そして常に共に居ることが分かる!」という、約束の御言葉です。


父の御元に帰ろう!
 彼らは「エデンの園」を出た後も、この「聖なる衣」を見続けました。そして、その度に主なる神の、愛に満ち溢れた「御顔」を思い出しました。特にアダムの場合は、呪われた大地を耕作する過程で、土を掘れば掘る程、大量の汗を流す訳ですが、身に着けた「聖なる衣」が、日中の暑さから背中を守り、また汗を吸い込んだ「聖なる衣」が、火照った上半身を冷ますなど、彼は主なる神の「臨在」を、しみじみと感じ取っていました。


 そうです!土を耕すことで見えて来る次元が、主なる神の「麗しさ(真実の愛)」です。主なる神は彼らの「業(日々の務め)」を通して、呪われた大地を、神の「祝福」の地へと変える、大いなる「贖い」の御業を拡大されました。その結果、彼らは「帰れない!」と悲観していた、三次元的「罪」の束縛から解放され、信仰をもって「いつでも(神の御元に)立ち帰ろう!」という、霊の次元の行動に至ります。


 そして彼らは祭壇を築いて、地の産物の「初物」を捧げる度に、主なる神の「臨在」を間近に確認し、いつも二人で次のように告白しました。「私たちの真実のホーム(帰るところ)は、あなたにあり!私たちの助けは、主よ、あなたから来ます!」と。そうです!私たちが帰るべきホームは、イエス・キリストの御元です!


 イエス・キリストの豊かな「祝福」と、麗しい信仰の「回復(立ち返り)」の時が、神の御名を信じる私たちを通して、道を彷徨う多くの人々の元へと確実に流れ着き、そして豊かに結実しますよう、主イエス・キリストの聖名で祝福してお祈りします。アーメン!(2023年1月22日のメッセ-ジ)


☆バルナバ・ブログ福音薬局 

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